『兎とサイリウム』第3話「Start Over」
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オレンジ色の光の中に居た。
暗闇の中に何万本ものオレンジ色の光が揺らめいている。
持ち主の顔までは分からない。
でも、確かに光と声は聞こえる。
「マクガッフィン! マクガッフィン!」
本当にまた来たんだ。
嬉しくなって、思わず声を重ねてしまう。
「マクガッフィン!!」
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「魍魎ケイ子の『マクガフィン・オブ・マイライフ!!』。緊急生放送でーす!!いやあ、まさかの私の推しメン、千羽虹香ちゃんが謹慎ですよ。なんか、卒業とか脱退でも解雇でもなくて、謹慎なのがなんか気になりますね。辞めなくて良かったあ、でも、あの文章、皆さんどう思いました?」
チャット欄には様々なコメントが流れていく。
「正直、醒めた」
「アイドル運営のことが分かってないガキ」
「でも、ああいうこと言ってくれてホッとした」
「疲れてたところもあったし」
「現実を見てるようで視野が狭くなってる気もする」
「ヲタクに非情になるぐらいでちょうど良い」
「接触が好きな人はどう思ったんだろう?」
「あの子がアイドルしてるのが不思議」
「謹慎は妥当」
「多分、アイドルよりも文章を書く方が向いてる気がする」
「でも、テンバニちゃんのダンスは好き。下手だけど、一生懸命さが伝わる。こなしてる感が無い」
「音外してるけど、手は抜いてるとこみたことない」
「なんだかんだ言ってもみんな、テンバニちゃん推し」
俺は、この放送をする前にある決心をしていた。
それは、魍魎ケイ子の正体を明かすことだ。
そうすることで失うものと得られるものがあるはずだ。まず、失うものは、魍魎ケイ子のファンの方々。多分、中身がおっさんだと知ったら、失望して二度と来なくなるだろう、気持ち悪いだろうし。そして、得られるものは、「必殺必中ヲタ活稼業」が中身だということを知ることで、DAOでの発言権が増すかも知れない。いやあ、失うものが大きいかも。
震えながら、俺は勇気を出してボイチェンを切った。
「えっと、今、ボイチェンを切りました」
チャット欄が困惑した声で溢れる。
「えっ、おじさんの声がした?」
「中身はおじさんだったの?」
「早くもどしてー」
「すいません、見苦しいかも知れませんが、アバターも取ります」
モニターに俺のくたびれた顔が映った。
「事故事故!」
「魍魎ケイ子終了のお知らせ」
「うわあ、知りたくなかったわあ」
そこから閲覧者数は増えて行く。
多分、視聴者の誰かがSNSで拡散しているんだろう。
いつもは500人ぐらいの視聴者数が、初めて1万人にまで達した時、俺は本題を語ることにした。
「僕のアカウント名は、必殺必中ヲタ活稼業という名前です。40代の男性です。まさみんの第1弾のNFTをお持ちの方は、最初の持ち主の名前を確認してみてください」
チャット欄に「えっ、あの人?」、「ガイナ・ドライバーはよ!」というようなコメントが流れていく。
「実は、皆さんにお願いがあって、今日は顔を出しました。僕の推しメンである千羽虹香さんのことです。彼女は、ある投稿をして謹慎になりました。でも、僕はあの投稿が全部が全部悪いことだとは思えなくて。僕はあの投稿を読んで思い出したことがあります」
そこから、俺はまさみんとの出会いからマクガフィンが少しずつ成長していった頃の話をした。
「僕らは、何のためにNFTを買っていたんでしょうか?そもそも、NFTはコピーもできる画像データです。でも、そこに価値を見出して、自分の名前を残すことが出来るから買うんじゃないでしょうか?何か、色々なことがマヒしてしまって、選抜に入る為の手段だったものが、気付けば選抜という目的を追い抜いていないでしょうか? 僕らは何のためにお金を使うんでしょう?」
しばらく、流れていくチャット欄のコメントを見ていた。
ある人は「気持ちがいいから」と書き、ある人は「もう考えていない」と書いていた。ぽんぽん丸さんのコメントもあった。「応援するためですよ。今も昔も」。
「そうですよね、まずは純粋にこの人を応援したいという思いからですよね。でも、気付いたら、変な見栄とか自己同一化とかしてませんか? 余計なお世話かも知れませんが、僕は今夜、もう一度、千羽虹香さんにチャンスをもらいたくて、わざと自分の顔をさらして注目を集めることをしました。もう彼女はイベント最終日まで何も発信できません。代わりに僕らが何かできないかな、と思っています。たとえば…」
そう言って、俺は用意していたサイリウムを取り出す。
ビニールを開けると、10年近く寝かせていたサイリウムの液体が少し動いた。
「センバニちゃんの、あっ、センバニちゃんっていうのは、千羽虹香さんのことですね。センバニちゃんのNFTを一つ買うごとに、サイリウムを折って光らせませんか?ペンライトでもいいです。あの子のイメージカラーのオレンジのライトを。」
恐る恐るサイリウムを折ると、微かに光った。
良かったあ。
チャット欄を見ると、「もしかして、2014年の2月2日居た?」とか「おおっ、乗った!」というポジティブな意見と「メンバーもメンバーならヲタクもヲタクだわ。反省の色なし」、「痛いおっさん」というコメントもあった。そんな中に「魍魎ケイ子さんも必殺必中さんもどっちも入れ物に過ぎない、俺はあなたの魂に惚れたよ」というコメントがあった。嬉しかった。
「じゃあ、早速、NFTを買った方は、SNSに投稿をお願いします。DAOも嫌じゃなかったら、僕がたまにこんなのどうかなっていうアイディアを進めていいですか? まずは、彼女の魅力を翻訳して世界中に伝えましょう。文章は僕がたたき台を作っていいですか?動画を作れる方、画像を作れる方も大歓迎です。明日の21時にまた配信します。皆さん、サイリウムを買っておいてくださいね。それじゃあ、魍魎ケイ子は多分、お別れです。ありがとうございました」
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そこからの日々は早かった。
まず、マクガフィンのまとめサイトが魍魎ケイ子の正体をまとめて、それをSNSに投稿した誰かがバズり、職場の人にまで俺のやっていることがバレた。終わった。そう思った。でも、上司は、俺が失敗した時と同じように一言、「頑張れ」とだけ言ってくれた。何千人に笑われてもその一言が、俺を前に向かせてくれた。
会社を定時に終えると、俺は、アイドルの生写真を沢山売っている店に寄り、そこでオレンジ色のサイリウムを買おうと思った。ところが、店員さんに「すいません、オレンジは売り切れなんです」と言われた。その店員さんは、俺の顔をまじまじと見て、「頑張ってください」と言った。
近くの100均に入ってみたが、オレンジ色のサイリウムは売り切れだった。仕方がないから、少し大きめの電気屋さんに入った。電化製品だけでなくおもちゃや時計も売っているようなところだ。
あった、残り数本だが、オレンジ色があった。
ホッとして、家に帰る。
既に、Xのタイムラインには、「テンバニのNFT買った!」というメッセージと共に、オレンジ色のサイリウムを光らせた写真やショート動画が上がっていた。
よしよし、と嬉しくなる。
21時。
生配信を始める。
「魍魎ケイ子の、そして、必殺必中ヲタ活稼業の『マクガフィン・オブ・マイライフ!!』さあ、始まりましたよ、今日の生配信。ちょっと待って、画面共有したいデータがありましてね。ほら、今日の時点でのテンバニちゃんの順位。3位ですよ、3位。みんな頑張りすぎでしょ、一晩で。でも、ここから先は厳しいかもですね。でも、凄いですよ。一気に何人抜いたんですか? それじゃあ、今日買った人、一緒にサイリウム折りましょう!よーし、やったあ、もしよかったら、明日も誰かに買ってもらってください。ちょっとだけ安くするもよし、手数料分は上乗せしておくもよし。彼女が帰ってきた時に驚かせてやりましょう!!」
チャット欄も盛り上がる。
そんな時、ぽんぽん丸さんのコメントが目に入った。
「盛り上がってるところ悪いんだけど…。今、ガイナ・ドライバーが三条さんのNFT一気に300買った」
「ええっ!あんの野郎!!」
こんな感じでやっぱり俺たちは、戦いを繰り返す。
何本もサイリウムを光らせて、お金を消費して。
時には年齢も性別も国境も超えて、同じ誰かに魅力を感じたもの同士で連帯する。
10年後にまた後悔するかも知れない。でも、今、この瞬間の生きていることの手触りだけは大事にしていたい。そして、多分、彼女の幸せが自分のことのように喜べる間はこのことを続けていたいんだと思う。最高に狂っているけど。
3月31日の夜。
俺は賭けに出た。
この時点で1位の三条さんにテンバニちゃんはあと300万まで迫っていた。このままのペースで進めば、ここからひっくり返すのはかなり厳しい。そこで、俺は、ガイナ・ドライバーに生配信のゲストに出てくれないか、とDMをした。返事は来ないかと思った。しかし、OKの2文字だけが返ってきた。
21時。
Zoomで繋いだ画面に俺とガイナ・ドライバーの顔が左右に並ぶ。
俺は英語のメモをたどたどしい口調で読む。
「今日はあなたと交渉がしたくてお招きしました。マクガフィンのNFTイベントの件です。あなたがこれ以上、三条さんのNFTを買わずに天羽さんのNFTを300万円以上買ってくれるなら、あなたにとって、99枚目のまさみんのNFTをプレゼントしましょう」
ガイナ・ドライバーはしばらく悩んでいたが、チャット欄を流れていく英語のコメントをいくつか見ながら、彼の頭の中で何らかの計算が行われたようだ。
「いいだろう。明日の10時までに私のウォレットにプレゼントしてくれたら、実行しよう」と答えてくれた。素晴らしい。この素晴らしい決断と共に彼は三条さんファンから永遠に裏切者扱いされ、30種類にも及ぶ裏切者ミームを作られることになる。
配信が終わり、なんとかイベントの勝利が見えてきた。
分かっている。多分、こんなこと、テンバニちゃんは望んでいないと思う。歌の実力とかダンスの実力とか、文章の実力とかで価値を見出してほしいんだと思う。でも、今回のイベントは勝っておかないと、なんとなく次が無い気がしたのだ。数字によってはここで彼女は解雇という最悪のケースを俺は恐れていた。
それは彼女がそこまで考えなくてもいいことだと思う。でも、念には念を入れて置かないと。推しは居る間に推さなければ。
2023年4月1日19時。
イベントは終了した。
第1位 千羽虹香。
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2023年6月2日に発売されたマクガフィンの新曲「山小屋のからの風景」のセンターは、三条さんだった。センバニちゃんは、この時、まだ体調不良を理由に仕事を休みがちになっていて、選抜の仕事も厳しいという理由で離れていた。
それでも、ブログの更新は続けていた。
そのことに対して文句を言うファンもいたが、俺はブログが更新される度に考察動画をアップした。たまに魍魎ケイ子にもなった。どっちの自分も楽しかった。そりゃそうか、好きなことしてるんだから。
2023年10月28日発売の新曲「兎とサイリウム」で千羽虹香はセンターになった、そして、彼女は卒業宣言をした。もう、こんな幸せは自分なんかには、抱えきれないという理由からだった。もったいないと思ったが、相当運営も止めたらしい。でも、どうしても今の自分の価値の付き方に納得がいかなかったそうだ。卒業コンサートも卒業公演もする必要はない、と彼女は言った。その代わりに、NFTのイベントで運営に入った資金である場所でコンサートをしてほしいとお願いして芸能界を引退した。
それから俺は、千羽虹香を見ていない。
あの健康的な色黒の肌をゆっくりと流れる汗の美しさも。
不器用な歌い方で懸命に曲の世界を作ろうともがく声も。
なんども自分の心にとどめておきたくなる文章も。
今は、マクガフィンも推しつつ、他のアイドルも目移りしている。
ただ、マクガフィンの超課金主義のやり方にはさすがに疲れてきている。
久しぶりに昔好きだったグループに戻ってみるのもいいかも知れない。
せっかく、今日は名古屋まで来たんだし。
そういえば、最近、noteで気になるアカウントを見つけた。
「あなたへのおすすめ」というところに出てきた。
「自分が価値を決められていた頃」というタイトルで、読みながら文章の息遣いが誰かに似ているな、と思った。
アカウント名を見ると、「スーサイドラビット」と書いてあった。
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2024年2月2日。
オレンジの光の中に居た。
誰が言い出したのか。
アンコール中にオレンジのサイリウムを振ろうという企画だった。
俺はそういや10年前もこんなことがあったな、と思いながら、オレンジのサイリウムを振っていた。
ただ、今回は叫ぶグループ名が違う。
「マックガフィン!!」
何万という光と叫び声。
その中に、微かに聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
急いで自分の席の周りを見回すが、暗闇にはかすかなオレンジ色の光しか見えない。でも、確かに、聞こえた気がした。
俺は次の曲が始まるまでの間、あの子のことを思い出していた。
完
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