本当に安いお店は安さを売りにしていない
コロナ禍がきっかけで始まったリモートワークも、気づけば今年で7年目。出社回帰の流れもある中、今のところフルリモートを継続中です。
この働き方が私にもたらした変化──それは、近所を歩くようになったことです。
電車通勤をしていた頃は、近所を歩くことがほとんどありませんでした。買い物はネットで完結させ、食材も重い袋を持って帰るのを避けるためネットスーパーを利用。実物を見て確かめたいものだけ、少し遠出して購入する。
つまり、近所で全然買い物をしていなかったのです。
ところが、電車に乗らなくなり、運動不足の解消も兼ねて歩くようになると、今更ながら近隣のお店の豊かさに気づきました。こんなに良いお店が近くにあったのに、なぜわざわざ他の場所で買い物をしていたのだろう。
そんなことを思いながら近所を歩き回るうちに、驚くほど安い個人店と出会うようになりました。近年の物価高とは無縁のまま、ひっそりと、しかし確かな存在感を持って営まれているお店です。

創業120年のパン屋さんとの出会い
その中でも、特に印象に残っているのが、創業120年のパン屋さんです。
初めて訪れたときの衝撃は、今でもはっきりと覚えています。昨年3月のログを見返すと、鴨とキュウリのサンドイッチ、餡をカステラで挟んだシベリア、カスタードプリンを購入して、合計600円でした。
安い!!!
パン屋さんで何かを3つほど買えば、1,000円は軽く超える。そんな感覚が当たり前になっていたので、レジで「600円です」と告げられた瞬間、思考が止まりました。
ふらりと立ち寄ったお店が、周囲の半分ほどの価格で商いをしている。そしてめちゃくちゃ美味しい。サンドイッチを袋から出すと、自立できないほど鴨肉がみっちり詰まっている。
価格と品質、その両方に惹かれて、この世のバグのような存在のパン屋さんに、私は通い詰めるようになりました。






バグのようなパン価格の謎を解く
最初の驚きは、次第に純粋な興味へと変わっていきました。
どの店舗も軒並み値上げする中、なぜこの価格を維持できているのか。
店主のインタビュー記事に、その答えがありました。そこに書かれていたのは、創業から120年続くお店の成り立ちでした。
土地と建物は自前で、家賃の負担がない。さらに、利益を最大化するのではなく、地域の人に喜んでもらうことを基準に価格を決めているといいます。
「1日で儲ける必要はない。トータルで少し利益が出ればいい」
そんな初代から受け継がれてきた考え方を、今も守り続けているとのことでした。
近隣の約30か所の保育園・学童への配達や、大学の学食運営といった別事業も行われており、記事の中で「地元の人々にとってはランドマーク的な存在だ」という表現もありました。
個人店のパン屋さんという感覚で見ていた私は、この地域の新参者だったのだと気づかされました。
地域のインフラを担う存在だった
120年の歴史から見ると新米の客ながらも、さすがに一年通っていれば顔も覚えられているようでした。会計時に特別な会話を交わさなくても、笑顔でやり取りをしています。
ちょっとしたついでに、気持ちが抑えきれず、「美味しいパンをこのような価格でありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えたこともあります。
推し活というと、ファンが対象を支えるイメージがあります。でもこのパン屋さんとの関係は、むしろ逆なんじゃないかなと思います。
対価を払っているのは私ですが、物価高の時代に良心的な価格で美味しいパンを提供してもらい、顔を覚えてもらい、温かいやり取りをさせてもらっている。むしろ支えられているのは、私の方なのです。
以前は、近所に行きつけのお店がある人を羨ましく思って、そんなお店を探そうと躍起になっていた時期もありました。でも、推せるお店というのは、こんな風に生まれるものなのだと気づきました。
最初のフックはパンの安さでした。しかし通ううちに、そのパン屋さんが単なる店舗ではなく、地域のインフラの一部を担う存在だと気づきました。それは、時間と信頼の積み重ねによって築かれてきたものでした。
利益・効率・生成AI活用といった言葉が飛び交う一般企業で働いている私にとって、このパン屋さんは、別の経済の在り方を示す、とても眩しい存在となったのでした。
歩くことのB面──思いがけない出会い
「長期投資としての歩く習慣」など、他の記事では、身体に良いという文脈で、歩くことのメリットをまとめてきました。
それをA面とするなら、今回書いたのはB面──歩くことで生まれる思いがけない出会いについてでした。
リモートワークになって、運動不足解消のために始めた散歩。でも歩くことで得られたのは、健康だけではありませんでした。地域の営みを知り、その背景にある哲学に触れ、気づけばファンになっていく。そんな経験でした。
あなたの周りにも、この世のバグのような、誰かの意地と哲学が静かに息づいている場所があるかもしれません。それは画面越しではなく、実際に歩いてみなければたどり着けない場所にある気がします。
こちらのパン屋さんの名前は伏せたまま終わりますが、最後に、私が特に推しているプリンパンの断面写真を載せて締めたいと思います。

軽いパン生地に、ホイップクリームとカスタード、メープルソースがたっぷり入ったプリンパン。食べた瞬間、口いっぱいに口溶けのよい甘いクリームが広がり、食べた日は一日中このことで頭がいっぱいになってしまうほど、大好きなパンの一つです。
一体どのくらいクリームが入っているのか、いつか確認したいと思って半分に切ってみたところ、想像以上にたっぷり入っていることが確認できました。


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