親子の"カタチ"~ステージアップ~
ごあいさつ
こんにちは
目にとめていただきありがとうございます
フォローしてくださっている皆さま
いつもありがとうございます
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昨日、電車で移動していたときのことです。
車両に乗り込むと、お父さんと、幼稚園くらいと小学生くらいの二人の娘さんが乗っていました。
車内は比較的混み合っており、私はそのお父さんの隣で、つり革につかまりながら立っていました。
二人の娘さんは座席に座り、お父さんは娘さんたちの目の前で立っていました。
ただ、そのお父さんはどこか落ち着かない様子で、つり革に体を預け、体を左右に揺らしながらブラブラとしています。
その動きが私の方にも近づいたり離れたりして落ち着かず、私はちょうど右にスペースが空いたので、一歩右にずれて距離を取りました。
そうしてスマートフォンで、皆さまの記事を読んでいました。
いくつかの駅を過ぎたときです。
「ドン❗」
突然、親子の方から大きな音が車内に響きました。
何が起きたのかと思い見てみると、お姉ちゃんが、お父さんのお腹あたりを思いきり叩いているではありませんか。
私は驚きました。
車内の他の乗客も、無言でその親子を見つめています。
けれどお父さんは、娘さんに向かって、
「それが本気か?」と言いました。
それは、「本気の力で叩いているのか」という意味にも受け取れました。
すると娘さんは、続けて二度、三度とお父さんにパンチを繰り出します。
もしかすると、ボクシングや空手などの練習だったのかもしれません。
でも、娘さんはイライラしているようにも見えたので、練習という感じには見えませんでした。
しかし、それでも電車の中で繰り広げられる光景と、お父さんから発せられる言葉には、大きな違和感を覚えました。
ふと後ろを振り返ると、もう一組、別のお父さんと小学校低学年くらいの娘さんが二人で座っていました。
その娘さんは、通路を挟んだ反対側で起きている出来事を、じっと見つめています。
お父さんもまた、娘さんと一緒に、その様子を静かに見ていました。
その二組の、あまりにも対照的な親子の姿が、強く心に残りました。
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わが家の場合、「叩く」という行為について、特に慎重に扱っています。
それは、力の強さや冗談かどうかの問題ではありません。
相手に向けて手を出すこと自体が、「相手を傷つけてもよい」という誤ったメッセージになり得ると考えているからです。
子どもは、大人の言葉以上に、大人の振る舞いをそのまま学びます。
どんな場面で、どのような行為が許されるのか。
それは、説明よりも「目の前の大人の態度」によって、強く刷り込まれていきます。
たとえ格闘技の練習であったとしても、
公共の場で、人に向かって拳を振るう姿を見せることが、どのような学びにつながるのか――
私は、そこに大きな疑問を感じるからです。
もし私が、幼い娘と一緒にその場面を目にしていたら、電車を降りたあと、きっとこう問いかけると思います。
「今の光景、どう思った?」
「もし自分があの場にいたら、どう感じる?」
大切なのは、すぐに正解を与えることではなく、
「考えさせること」
「感じたことを言葉にさせること」だと思うからです。
同じ出来事を見ても、
そこから何を学ぶかは、親の関わり方によって大きく変わります。
だからこそ、何気ない日常の一場面が、
親としての価値観を伝える大切な教材になるのだと感じています。
もちろん、これはあくまで、わが家の考え方です。家庭によって、価値観や伝え方が異なるのは当然だと思います。
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子育ては、特別な出来事の中で行われるものではなく、むしろ、こうした日常の一場面一場面の積み重ねの中にあります。
公共の場で起きた出来事を、
「よその家のこと」として流すのか、
「親子で考える材料」として受け取るのか。
その選択が、子どもにとっての「当たり前」や「判断の基準」を形づくっていきます。
正解を押しつける必要はありません。
けれど、問いかけること、考えさせること、
そして親自身がどう考えているのかを、誠実に示すこと。それこそが、教育なのだと思います。
電車の中で目にした二組の親子。
その対照的な姿が、子どもの未来に何を残すのかは、親の姿そのものなのだということを教えてくれました。
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お時間をいただきありがとうございました。
皆さまからお寄せいただくコメントが、大きな励みと学びになっています。
