【ハッピーライティングマラソン21】今、あなたにとって楽しい活動はなんですか?
ごあいさつ
こんにちは
目にとめていただきありがとうございます
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いつもありがとうございます
本田健さんのハッピーライティングマラソンに参加させていただいています
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今、あなたにとって楽しい活動はなんですか?
「整える」こと
私が、日々の暮らしのなかで心から楽しいと感じる活動があります。
それは「整える」ことーーつまり、掃除や片づけをしている時間です。
机や家具の拭き掃除で溜まったホコリを取り、床を雑巾がけし、台所や浴室、洗面所などの水回りを磨く。トイレや玄関を綺麗にするーー。
トイレのように毎日整える場所もあれば、窓のように気が向いたときに磨く場所もあります。
無理のない範囲で、自分の「やりたい」気持ちに従ってやるようにしています。
「きれいになっていく瞬間」に、胸の奥がふっと温かくなるのです。
まるで自分の心まで澄んでいくようで、その過程そのものが楽しくてたまりません。
先日は、季節の変わり目を感じながら、衣替えをしました。
衣装ケースにしまってあった夏物をすべて洗い直し、清々しい気持ちで秋冬物と入れ替えると、まるで自分の纏う“気の衣”まで入れ替わったように感じます。
「気」が整うと、視界がクリアになり、不思議と心の状態まで整っていく。
私にとってこの時間は、自分を整え、高めるための小さな儀式のようなものです。
草抜きに込められた「心の整え」
庭の草抜きも、私の好きな「整える」時間のひとつです。
一度草を抜き始めると止まらなくなります。気がつけば2時間、3時間があっという間。
目の前にごみ袋がいくつも積み重なり、その分だけ空間がすっきりと整っていきます。
草を抜くたびに、地面の色が少しずつ広がっていく。「ああ、きれいになっていくなぁ」と感じる瞬間がそこにあります。
草を抜いたあとの庭には、美しい土色のカーペットが広がり、そこを爽やかな風が通り抜けます。
その風は、私の心の中までも吹き抜け、いつの間にかモヤモヤを消し去ってくれます。
やがてまた草は生えてきます。自然の生命力を感じながらも、再び「整える」ことで、心と体が定期的にリセットされる循環が生まれます。
掃除とは、単に空間をきれいにするだけでなく、心を磨く行為なのだと感じます。
「少年期の草抜き」が原点
なぜ私は草抜きを抵抗なく、楽しむことができるのか――。
思い返せば、幼い頃、庭の草抜きは、家庭における「おーちゃん少年の仕事」でした。
半ば強制的に任されていたとはいえ、それは家族の一員としての小さな貢献の形でもありました。
広い庭を一人で黙々と草を抜いていて、時折腰が痛くなって立ち上がり、「ふぅ~」と息をつく。
ーーその様子を見ていた大好きだったおばあちゃんから「頑張ってるね」と声をかけられる。
やり遂げたあとには、「きれいになったね」と母から褒めてもらえる。
そのことが、子ども心に嬉しくてたまらなかった。
少年にとって「整えること」は、自分を認めてもらえる行為でもありました。
その記憶が今も私の中に息づいていて、整った空間を作り出すことの喜びを自然に感じられるようになったのかもしれません。
地域の中で「整える」
今は、自宅の庭の手入れは妻がしてくれています。
帰省したときにしか庭の手入れができないことに、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、妻が庭をこまめに整えてくれているおかげで、家にはいつもいい気が流れています。
妻には本当に感謝しています。
一方、私はふた月に一度行われる地域の清掃活動に参加しています。
黙々と草抜きをする中にも、心と体をリセットする時間が流れています。
その“整っていく過程”を感じられる瞬間が、静かな喜びをもたらしてくれます。
「整える」という行為は、家の中だけでなく、社会の中でも自分を整えることにつながっているのだと感じます。
「整える」ことがもたらすもの
「整える」ことによって、目に見える空間が清らかになる。終わった瞬間の達成感だけではありません。
それと同時に、目に見えない「心」や「気」までも整っていく。
それはまるで、心の鏡に溜まった曇りを、そっと磨くように。
日々の暮らしを通して、心を澄ませ、自分の原点を思い出させてくれる。
私にとって「整える」ことは、単なる作業ではなく、
「きれいになっていく過程そのものを味わう、生き方」です。
だからこそ、この時間を、とても楽しく充実した気持ちで過ごしています。
素敵なお題ありがとうございました。
