朝をあつめる
眠れない夜が明けると、世界が少しずつ色を取り戻す。カーテンの隙間から光が差し込んでくる瞬間が好きだ。誰かが夜に鍵をかけて、朝になってそっと開けていくような、そんな感じがする。
目が覚めた直後の数秒が、一日のなかで一番あいまいな時間だと思う。自分がどこにいるか、今日が何曜日か、何をしなければいけないか。そういうことが全部、少し遅れてやってくる。頭のなかが真っ白なまま、ただ天井の木目を眺めているその数秒間だけの空白が、妙に心地いい。忙しない日常のなかで、そこだけが完全に自分だけの時間として守られている気がするからだ。
朝が来るのが当たり前になって久しい。でも実は、今日も朝が来たことに、どこかで毎回少し驚いている。
コーヒーをいれる音。窓の外の鳥の声。遠くから聞こえる誰かの自転車。ひとつひとつは小さくて、単独では何でもないのに、重なると「今日が始まった」という感じがする。
やかんでお湯が沸くまでのわずかな静寂、フィルターにお湯を落とした瞬間に広がる香ばしい湯気。それだけで、昨日の続きを引きずっていた頭が、ゆっくりと今日に切り替わっていく。
朝の空気には、昼間とは違う匂いがある。うまく言葉にできないけれど、まだ誰にも使われていないような、そういう匂いだ。窓を開けて深く吸い込むと、冷たい外気が胸の奥まで染みわたる。今日もここに生きているという、確かな実感がそこにある。
学生の頃は朝が苦手だった。夜更かしをしては、鳴り続ける目覚まし時計を何度も止めた。今でも胸を張って得意だとは言えない。それでも、早起きをした日の朝だけが持つあの静けさは格別だ。世界がまだ動き出す前の、誰にも邪魔されない時間。街全体がまだ眠りのなかにいるような、あの独特の静けさが好きだ。
その静けさの中で、よくぼんやりと考えた。今日どこへ行くでもなく、何かを決めるでもなく、ただ光が動くのを眺めながら。将来のことや、どうでもいい過去の記憶が、なぜか朝の光の中では輪郭を失って、ただ穏やかな気配として通り過ぎていく。そういう時間は、大人になって忙しくなるにつれてどんどん減っていった。でもたまに、ふと戻ってくる。予定のない休日、急がなくていい朝が、不意に訪れる。
誰かに話すようなドラマチックな出来事は何もしていないのに、なぜか不思議と、あの頃の朝のことは鮮明に覚えている。
川沿いの冷たい風に身を震わせながら歩いた冬の朝。見知らぬ街の静けさの中で、一人で黙々と食べたホテルの朝食。長い旅の出発前に、古い駅のホームで飲んだ、驚くほど薄いコーヒー。実家に帰ったとき、縁側の近くで祖父と並んで座って見た、山の向こうのどこまでも澄んだ夜明け。
どれも日常のなかのほんの一コマなのに、思い出すたびに、そのときの空気の冷たさや匂いまでがよみがえってくる。
人間は、大人になるにつれて、たくさんのものを抱え込んでいく。守るべきものが増え、未来の予定に追われ、気がつけば目の前の景色を見落としながら生きている。昨日と今日が溶け合い、気がつけば一週間が、一ヶ月が、あっという間に過ぎ去っていく。
だからこそ、意識しないとこぼれ落ちてしまう瞬間がある。
朝をあつめている。
正確には、もう戻れないあの頃の朝と、今この瞬間を生きている朝の両方を、両手でそっとすくい上げるようにあつめているのかもしれない。同じ朝は二度とこない。昨日と同じように見えても、今日の光の角度は昨日とは違うし、今日いれたコーヒーの味わいも、窓の外を通り過ぎる風の冷たさも、この瞬間限りのものだ。
だから今日の朝も、どこかで覚えておこうとする。慌ただしい一日が始まる前の、ほんのひととき。この光の角度。このコーヒーの温度。胸いっぱいに吸い込んだ外気の冷たさ。
忘れてしまいたくない細やかな手触りを、胸の引き出しにそっとしまい込むように。
窓の外の、今日だけの空を見上げながら、私は今日も静かに一日を始める。
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