実家では「あれ」で全部通じる。
「あれ取って」
「はいよ」
通じる。冷静に考えると、何ひとつ通じていない。
「あれ」が何なのか、一文字も説明されていないのだから。
それなのに、実家では普通に会話が成立する。
「あれちゃう、そっち。」
「ああ、こっちのあれな。」
「そうそう。」
情報量、ほぼゼロ。でも誰も困らない。
家族にしか解読できない暗号が、いつの間にか完成していたらしい。
そんな環境で育ったせいか、僕は今でも「あれ」と「それ」を多用する。
家では、それで通じる。
問題は、外に出た瞬間である。
ある日、職場で言った。
「あれ、お願いできますか?」
「どれですか?」
そうだった。
世の中の人は、僕の頭の中を見られない。
当たり前である。慌てて説明する。
「あの、黒いやつで……」
「黒い何ですか?」
「あー、えっと、シュッてやるやつです。」
シュッて何だ。
説明している本人が、一番分かっていない。 焦れば焦るほど、擬音が増えていく。
「ビャーッて引っ張って。」
「くるっと回して。」
「ガチャンって置くやつ。」
もはや説明ではなく、ジェスチャー付きの一人芝居である。
相手は少し考えてから言った。
「……テープカッターですか?」
「それです!」
一言で済む話だった。
僕は「テープカッター」という六文字を思い出せず、擬音三つと身振り手振りで必死に再現していたのである。
伝達効率、限りなく低い。
でも、実家ならこうはならない。
「あれ取って。」
「どのあれ?」
「テレビの横の。」
「ああ。」
終了。
たったこれだけで、目的の物が手元に届く。何十年も一緒に暮らすうちに、家族専用の「あれ辞典」ができあがっていたのだろう。ページ数は、相当なものだと思う。
「あれ」は文脈によって、リモコンにもなる。
爪切りにもなる。
去年もらった謎の置物にもなる。
「それ」は、さっき話していた物だったり、今まさに見えている物だったりする。
「こっち」に至っては、指差す方向ではない。
話している人の視線や体の向き、その日の空気まで含めて判断するしかない。
もはや外国語より難しい。
それでも実家では、誰も迷わない。
説明されなくても分かってしまう。
だから困る。
そんな環境で育った人間が、ある日突然、社会へ放り出されるのである。
最近は少し反省している。
「あれ」ではなく、ちゃんと名前を言おう。そう決意する日は、何度もある。
でも、いざ口を開くと出てくるのは、
「あの……ほら、あれです。」
成長、ゼロ。
「あれ」を封印しようとした結果、「あの」が増えただけだった。日本語って難しい。
いや。たぶん、難しくしているのは僕だ。
今日もきっと、どこかで言ってしまう。
「あれ取って。」
そして聞き返される。
「どれですか?」
そのたびに思う。
実家って、案外すごい場所だったんだな。
いや。僕の説明能力が低いだけかもしれない。
知らんけど。
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