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即位十二年 夫の隣で笑っていたい

子らを連れて再婚して十二年。我が家の女王に即位して十二年。私は心身ともにほんのりと趣き深くなってきた五十六歳。しかし愛妻家である王、九歳年下の夫が言うには、わたくし女王には、まだまだのびしろがあるらしい。


女王である私には、家庭内において、ありとあらゆる、さまざまな権限が与えられている。王である夫は女王を扱うのがうまい。女王を立ててくれるのは、優しさであるともいえるが、それはそうしなければ、我が家の切り盛りが回らないからだ。いつどこで何を買い、おおよそ毎日、何を食べるのか。我が家の命綱である今月の銀行残高チェックに始まり、米の銘柄、ミネラルウォーターの銘柄、食パンは六枚切りか八枚切りか。春のパン祭りに参加するのかしないのか。お買い物マラソンに参加するのかしないのか。あらゆる日用品と消耗品のメーカーのチョイスと配達頻度。カーテン、シーツ、クッション、タオル、ラグの色と素材について。


リビングの窓を開けて暮らすのはいつまでで、いつからクーラーを稼働させるのか、自動運転なのか冷房暖房なのか、設定温度は何度にするのか。テレビのチャンネルはどこに合わせるのか、音量はいくつなのか、お風呂のお湯加減、今夜は湯船を張るのかシャワーにするのか。夕食の鍋の登場頻度とその時期はいつまでか、そうめんと冷やし中華はいったいいつ始めるのか。ああ、もうキリがない。日常に満ちあふれる些細なことから、ちょっとだけおおきなことまでが女王のひと言で決まるのだ。どうでもいいようであって、決してどうでも良くない、生活の土台となることのほとんどが、女王の判断力と決断力、今が底値だという、勇気あるネットのポチッとで決まるのだ。


それは我が家という国の女王が私であり、我が家というオーケストラの指揮者は私であるということだ。王である夫を、はい!がんばって~と盛り立てて、王女である娘のおしゃべりを聴き、王子である息子の好物を作る。女王として君臨する私が、やらなくてはならないことも、やりたいことも尽きることはない。女王は忙しいのである。女王はそれゆえに、元気なのである。


王は、仕事で外出する必要があるたび、女王に、「ねえ、この服の組合わせ変かなあ」などと訊いてくる。女王は服のことが好きだから、正しい答え、詳しい答えを知っているはずだと信じて疑わないのだ。「そのパンツよりこっちがいいかな、それだと靴下の色はこっちだよ」我が王はかわいいのだ。


そんな穏やかな毎日を、愛してやまない女王である私、自称女王である以外、なにものでもない私が、ある時書くことの楽しさを思い出した。書くことにチャレンジしてみたいんだけどと、王に話したのは一年ほど前のこと。軽い気持ちでつぶやいた私に向かって、厳かにはっきりと、王は宣言した。


「俺は読まない、評価もしない。でもできる限りの応援はする」

「◯◯ちゃんは、いつか何かになれる。続けていれば、いつか結果は出る。そのためには、がんばって技術を手に入れなくちゃならない。でも、どんな結果であっても、俺は変わらないし味方でいる」


私は、夫の言葉にたじろいだ。私より私を、遠くまで見つめて、まるで二十歳の子が将来を語ったかのように、真剣に受け止めて励ましてくれたのだ。当時は五十五歳、しわが増え、ほほもたるんできた私に、何かになれると言い切った王は私を信じてくれたのだ。私は夫に背中をどんと押された気持ちがした。全身の毛が逆立った。私はもうその夫の気持ちだけで、夫の信頼だけでいい、何もいらない、私は何もいらないんじゃないかとそう思った。


ああ、そうだ、ずっとそうだった。私のメンタルの障害についても、更年期についても、私が泣こうがわめこうが、夫はドスンと構えてここにいて揺らがなかった。私がどんなに低空飛行になったとしても、必ず回復すると言って、どん底でそばにいてくれたのは夫だった。それは夫がそう信じなくては、正直やってられない心境だったということでもある。安定傾向とはいえ私はいまでも時折フラッシュバックする。すると夫がそっとハグしてくれる。主治医のアドバイスだ。ホールディングというらしい。夫の静かなハグは私をすーっとイマココに引き戻す。私はそんな手のかかる女王だった。


「どうしてなんの根拠もないのに、信じてくれるの?私の書いたものを、読んですらいないのに、どうして私より私を信じてくれるの?」


最近になって、私は夫に問いかけてみた。


「家族だろ。何かやりたいって言ってるのに、信じる以外の選択肢なんてある?」


女王に即位して十二年。再婚したとき、上の子は十二歳、下の子は十歳。王は二十年以上追いかけてきた夢に一区切りつけて、私たち家族三人をひとりで背負い養う道を選んだ。家族は信じる以外の選択肢がない存在だと、そんな王が言ったのだ。どこかから借りてきた言葉ではない。たやすく語ったのではない。このように生きてきた、彼の想いが詰まった経験が語ったのだ。


私たちと出会って、私たちと生きる道を選んだ夫という人物の隣にいたから、私は笑っていられたのか。そうか。私には見えていなかった世界、彼が見ていた世界は、重たくて暗い雲のその上の太陽みたいなものだった。いつだって、彼の発する私を信じる気持ちは、深くて高くて広かった。彼が放った言葉がちっぽけな私を包む。根拠なんて関係ないところに家族はある。家族を信じる以外の選択肢はない。おおう。おおう。私は泣いた。


こんなこともあった。私が即位して一年ほどだったか。生活も少しづつ軌道に乗り始めて、夫婦の行きつけの喫茶店もできた。毎週末、日曜になるとお散歩をして、おいしいコーヒーを飲みながら、長いおしゃべりをするのが、ちょっとだけ贅沢な王と女王の楽しみになった。ふたりが愛するいつもの喫茶店。固い木の椅子に座って、なんでもないおしゃべりが笑いとともに行ったり来たり。少し前から考えていたことを、思い切って話してみた私。


「結婚のお祝い、何もしていないから、家族写真でも撮ってもらわない?」


それまで穏やかに、ずっとにこにこしていた彼の表情が、サッと変わった。まっすぐに私の目を見て、即答した。


「○○ちゃんの気持ちはわかるけど、それはできない。俺たちの結婚は、子供たちの世界を壊したんだ。俺たちの都合で、子供たちは引っ越しや転校をするしかなかった。この結婚は悲しい出来事なんだ。お祝いはできないよ」


女王に即位して、浮かれていた。私の浅はかさが浮き彫りになった瞬間だった。なによりも子らを第一に考えているつもりだった。夫より考えているつもりだった。だってずっとずっと私は子らを見つめていたから。見つめているつもりだったから。でも、わかってしまった。私が見ていたものは、私が見たいものだった。彼に返せる言葉がなかった。彼の妻になってよかった。


しばらくのあいだ、落ち込んで過ごした。自分を突き付けられて、その自分の幼さに落ち込んだ。なにが母親だ。なにが愛してるだ。お父さんができてよかったねじゃあないんだよ。ああ子らの心に私は鈍すぎた。わかっているつもりの恐ろしさを味わった。もう記念写真はいらなかった。彼の覚悟と洞察力には、大きな愛があった。私はどうなんだ、自分を深く掘りなおさなくてはならなかった。オリジナルな家族を作ろう。お手本はいらない。もう何も真似はしない。子らと彼と私でどこにもない家族を作る。スッキリした。


手探りで夫婦と子らと、我が家らしい家族という城を築く日々が重なった。夫婦ゲンカの理由は、いつだって子育てに関する意見の違いだった。いまでもそうだ。夫とそんなケンカをするたびに、私が感じたことがある。それはとても大切な父親と母親、それぞれの役割の違い。意見が異なる瞬間の、根っこに横たわるわかりやすい理由。


どんなに忙しい時でも、彼は子らの十年後を見ていた。いずれ社会に出ていく子らの未来を見ていた。そのときを思って、安全な家庭という場で、間違いも経験させて、社会のルールを教えようとしていた。そこがスタートだった。私は神経を研ぎ澄ませるようにして、この瞬間の子らを見ていた。子らのすべてをどこまでも包み込もうとしていた。あらゆる危険から守ろうとした。ルールは一切なかった。父親と母親、それぞれの役割の違いだった。


ふたつの視点は、どちらかひとつが間違っているという単純なものではなかった。お互いの意見を出し合って、話し合って、その日その日、その時その時をすり合わせてきた。小さな人間ふたり、心は大人と同じ、そしてより繊細な人間ふたりが、大人になっていく冒険の過程に伴走しながら、そこで巻き起こる逡巡も悩みも全部味わう必要があった。辛くても、はしょることなく、子らで頭をいっぱいにして、見守る必要があった。難しい課題だった。


その課題は、子らの勇敢な闘いの日々であり、未完成で進化途中の、王である夫と女王である妻の、父親母親としての悩み多き成長の物語でもあった。


彼は言う。私がへまをして落ち込むたびに言う。「のびしろあるね~」と笑って言う。気がつけば私もそう思うようになってきた。自己認識が変化した。人間関係にしても、チャレンジしていることにしても、しょっちゅう失敗するし、間違えて悔やむし、落ち込むことは避けられない。何か言えば言わなきゃよかったと後悔して、何も言わなければ言っとけばよかったと後悔した。だけど、ああ、まだ人として、だめだこりゃの私が見えてくるたび、気がつくたび、その先にあるのは必ず私の可能性という、のびしろだった。


のびしろ。それは夢あふれる五十六歳の私に見いだされた、未開拓な部分。生い茂る大地を耕して、何かを育てることができるという希望。我が家における王の妻、わたくしが自称する「女王」とは、常に自己を開拓し続ける者に授けられた呼び名。私は彼の粘り強い戦いを身近で見てきた。彼の前では、どこをどうしても私が頑張っているなどとは、まだまだ言えない。年齢を言い訳にすることもできない。すくなくともまだ若造の、五十六歳では。


大きな愛をたたえた我が王の隣で笑って生きる。これからも笑って過ごしていたければ、私はのびしろと格闘するのみ。即位して十二年。私はあちこち痛いよう、なんていってらんないのだ。のびしろを休み休み耕すんだ。これからも末永く王の隣で笑っていくんだから。


悩むほど、苦しむほど、のびしろは見えてくる。まだいけるよ!の芽がちょこんと頭を出してくる。ぐるぐるぐるぐる両腕を回し両足をばたつかせながら、滑稽な姿で私は励む。そんな私に見えている私の余白はとても広い。やればやるほど、まだなんにもしてない自分、余白どころか、無限の宇宙にぽつんと浮かんでいる自分が見える。


疲れてお昼寝もするだろう。健康診断で悪玉コレステロール値やら中性脂肪値やらが危ういこともあるだろう。目がしょぼついて、耳も遠くなり、やれ肩が痛い、腰が変だ、膝もおかしい、物忘れが激しくなって、ふたりでアレがアレでアレなんだと言い始めても、まだまだこれからだ。戦う前から負けてはならない。加齢について、気に病んではならない。動かせるところを動かして、動き回ることだ。苦楽ともに思いあわせて、味わえばいいのだ。


できることからはじめよう。ウォーキングもいいし、老眼鏡をかけて本を読むのもいい。年のせいか、涙もろくなった王と女王には、その背中をじっと見つめる、可愛い子らがここにいるのだ。愛するのなら、私たちが息災であること、それをもって我が家の王女と王子を、おもいきり羽ばたかせよう。


女王は、のびしろを、そのままにしておく気はない。ちょっとづつ耕して未知なる種を、これってどうにかなるんかいと思いながらも、勇敢に植え付けてみる。その種のカタチは目に見えない。どんな花になるのかも知らない。でも確かにここに種はある。毎日毎日、のびしろを耕して種を植え付ける。水をやって育ててみる。いつの日かなんらかの花が咲くだろう。その花は、かつて見たことがないような奇妙で小さな花だろう。どことなくユニークでオリジナルな私だけの美しい花、私にはそう見えるってわかっている。満足するってわかっている。即位十二年。女王を信じてくれた愛する王の隣で、笑いながらここにいよう。なにも焦ることはない。なにも失うものもない。女王はやっと見つけたのびしろを、そのままにしておく気はないのだ。




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