【読書感想文】アルジャーノンに花束を
⚠️ネタバレあります
⚠️一部現代で使うには不適切と思われる単語が含まれますが、本書内の表現を踏襲しています。
最高の小説は最高の一文で終わる。
と思っている。
谷崎潤一郎氏の痴人の愛では最後の一文に震えたが、これは咽び泣いた。
悲しくて嬉しくて虚しくて、何ともいえない感情。
本を読み終わった後にしばらく呆けてしまったのはいつぶりだろうか。
32歳ながら6歳児並の知能しか持たない知的障害者のチャーリィが、手術を経て短期間で驚異的な知能を得るが、それと同じスピードで知能を失っていくという物語。
物語はチャーリィの「経過報告」という日記のような形式で進んでいきます。
高校生の頃にこれで素晴らしい読書感想文を書いていた同級生がいたが、とてつもない感受性だなと思う。高校生の頃に読んだとしてわたしなは今と同じことを感じ取ることはできなかっただろう。
ねずみのアルジャーノンへの動物実験によって知能向上が裏打ちされた手術をした「チャーリィ」は驚異的なスピードで物事を吸収し、自分を手術した教授等が「凡人」であることに気づいてしまうほどの「天才児」へと変貌する。
天才児となったチャーリィはたくさんのことを知る。
白痴であった時に友人だと思っていたパン屋の同僚が自分たちをどのような目で見ていたのか。
教授等は本当に自分のために手術を実行したのか、それは名声や権威のためではないのか。
過去、母親が白痴の自分を「治し」「隠す」ために何を考えどう行動していたのか。
そしてチャーリィは傲慢で、話がわからない人間とは距離を置く、他人に無関心な自己中心的な人間になっていく。
ー 教養が愛する人との間に楔を打ち込む。
これは著者のダニエルキイスが本書を書くにあたってのアイデアとしてメモしてあったものだという。
チャーリィが知能を得た後のパン屋の同僚は、自分たちを勝手に矮小化し、チャーリィを今までとは違う意味で疎ましく思うようになる。チャーリィはその変化にはじめ戸惑ってしまう。
チャーリィは自分たちが今までバカにしていた相手だったからこそ、その悔しさや複雑な気持ちは尚更だろう。
社会の中で生活をしていると、自分の立ち位置や教養のレベルが自然とわかってくる。
あの人はこんなことも知らないのか、と思ってしまうこともある。
また望んでいるいないに関わらず物事が数値化されて順位がつけられることが往々にしてある。
それはテストの点であったり偏差値であったり昇給のグレードであったり、それこそIQであったりする。
誰かが決めたその基準の中で上位に入ると「自分は優れている」と人間は思わずにいられないし、上位の人間に対して「私なんて」という劣等感を抱かずにはいられない。
ただ、その上だとか下だとかの基準はただそれに対する基準なだけであって、
たとえその基準の中で「下」の人がいたとしても、その人を1人の人間として尊厳を持って扱わなくていいという理由には全くならない。
なるはずがない。人間はそんなに単純なものではない。
私はこれを絶対に忘れたくないと思う。
最近になって姫野カオルコさん著の「彼女は頭が悪いから」を拝読し、またその際に改めて上野千鶴子さんによる東京大学入学式での祝辞を読みかえし、そしてアルジャーノンに花束をに出会い、込み上げるものがあった。
知能はそれだけでは意味がないどころか他人を攻撃するに足る危険なものに肥大化していく可能性がある。
他人の愛を受け取り他人に愛を与える能力がなければその知能に意味はない。
チャーリィはそう仮説を立てた。
IQが高いことは誇れることだと思う。
大変な努力をして偏差値の高い大学に入ることも素晴らしい。
就職戦争を勝ち抜いていい会社に入るのもすごいこと。
しかし、それは一つの基準にすぎない。
自分が他より優れた人間だと勘違いをして、知識の探究や知能の向上ということだけに囚われ、自分のためだけにそれを使うのは非常に破滅的なことなのかもしれない。
アルジャーノンを研究するにつれ、チャーリィは皮肉にも自身に行われた研究結果の欠陥を自分で導き出す。
それは、人為的に誘発された知能は、その増大量に比例する速度で低下するという結論だった。
チャーリィは加速度的に知能を失っていく。
知能を失いたくないと願い、苛立ち、周りの人間に当たり散らしてしまう。
徐々にチャーリィの文章はひらがなが多くなっていき、経過報告を書くのもつらくなっていく。
ここの描写は本当に辛かった。
知らないことを知る、出来なかったことが出来るようになるのが人間の喜びであるとすると、その逆である「出来ていたことが出来なくなる」は本当に辛いことであると思う。
私はこれを母をもって学んだ。
私の母親は動けなくなっていく難病を患って亡くなった。
その時に、彼女の辛さにに寄り添えなかった後悔が今も澱のように溜まっている。
亡くした後にどれだけ辛かっただろうかと気づいた。
そして、老いるに従い、人生のどこかのタイミングでそれは私たちにも訪れることにも気づいた。
チャーリィと私の母が急激なスピードで経験したことは、同じ速度ではないにしても、私たちもいつか必ず経験するのだ。
そんななかでもチャーリィは希望を失わなかった。
そして、知識を得たことも後悔しない。
知識を失っていくとしても、がんばって毎日本を読めば読み書きを忘れることはない、世界にあるなんて知らなかったことを見れて良かったと思っていると。
そんななか、彼が残した最後の経過報告。
そこに書かれていた最後の一文で、彼が一番大切なものを失わなかったことがわかる。
チャーリィは手術によって得たものを全て失った。そしてこれからさらに失っていく。
しかし彼は「人間的である」心だけは失わなかった。
チャーリィは手術をしなければ良かったのか、それは簡単に出せる答えではない。
手術をしなければ彼のいう通り家族と向き合うことはできなかったし、知らないことがたくさんあるままだったかもしれない。(知らない方が良かったこともたくさんあったかもしれないけれど。)
暖かい心を持った白痴のチャーリィと、傲慢だが膨大な知識を持つ天才児のチャーリィ。
チャーリィが幼少時にした経験、また家族の苦しみを考えると、チャーリィは白痴のチャーリィのままが幸せだったのでは、とは言い難い。
ただ、経過報告を読み進めていくにつれて自分が抱く感情がその答えなのだと感じた。
私は、友達に笑ってほしくて、お母さんに褒められたくて、一生懸命いい子でいようとするチャーリィがいじらしく愛おしかった。
賢くなりたくて、頑張って手術をしようとするチャーリィが切なかった。
人間的であるとは何かをチャーリィがその人生を持って教えてくれた。
この本は、誰でも「自分かもしれない」人間に出会う本だと思う。
ローズのこともあれば、アリスのこともあるしチャーリィ自身であるだろう。
それくらいに人間の嫌なところ、愛すべきところ、ずるいところ、可愛らしいところ、全てが詰まっている本だ。
とでも残酷で、美しい物語。
子供の頃に「たにんに思いやりをもちましょう」「たにんにしんせつにしましょう」と何度も教わった。
今の私はチャーリィのようにそのいいつけをしっかりと守れているだろうか。
決して傲慢にならず、自分また家族以外にも関心をもち、
他人の愛おしさや痛みに共感し、思いやれる人間でありたい。
完璧にはできなくても、そうではない自分に気づき、そうでありたいと思える自分でいたい。
おわり。

