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バケツに大きな石と砂利を入れる話の「大きな石」ってどっちだっけ?

リレーマラソンを取り仕切っていて、「練習会やりまーす」と企画するも、「試験前で忙しくて…」「仕事が繁忙期で…」というお断りメッセージが次々と来る。

おじさん、分かってたよ。そりゃ忙しいよね。

忙しい現代っ子達とやり取りしていて、「やりたいこと」に時間が割けているのか?と心配になる。人生の時間を「やらねばならないこと」に食いつぶされて、「やりたいこと」が出来ていないのではないか?

これについて、考えたことを記す。



バケツの中に砂利から入れるか?大きな石から入れるか?

時間の使い方に関する例え話として、バケツの中に石や砂利を入れる話がある。

バケツの中を先に砂利で満たしてしまうと、後から大きな石を入れることはできない。大きな石から満たすと、すき間に砂利は入れられる。だから大きな石から入れましょうという教え。

確か、子どもの学習塾で聴いた話では、「ゲームやテレビで時間を浪費して、勉強する時間が確保できないと、成功できないぞ!」という教えの裏付けとして話されていた。

学習塾での「大きな石」は、ゲームなどの「やりたいこと」ではなく、勉強などの「やるべきこと」である。


そもそも「大きな石」って何だっけ?

一方で、冒頭の話では「大きな石」が「やりたいこと」にすり変わっていた。どっちが正しいのだろう?

自立した大人であれば、求められた「やるべきこと」をやることは当然で、改めて頑張らなくとも、やらない選択肢はない。それどころか、気を抜くと仕事に人生を占有されてしまう。

今現在の私にとって、人生を豊かにするために必要なのは「やりたいこと」に思える。変化の激しい時代で生き抜くには、「やるべきこと」を変えて時代に適応する必要もあり、それを探す羅針盤としても「やりたいこと」アンテナを張るのは大事。これが私の考え。

私が言う「やりたいこと」は、よく生きるために追求すべきユーダイモニア。学習塾で砂利に例えられた「やりたいこと」は、目先の快楽を追求するヘドニア。キッパリ区別はしにくいとしても、重心は違うように思える。

統合するに「大きな石」は人生にとって重要なこと。ユーダイモニア的な「やりたいこと」であったり、それを成し遂げるためにやらねばならないことあったり。

「砂利」は気を抜くと時間を奪って、前者の妨げになること。ヘドニア的な時間の浪費もあれば、緊急度は高いけど重要でない仕事に忙殺されることも当てはまる。


人によって違うから大きなお世話だけど、ご縁あって関わった人には影響を与えたい

ここまで書いてみて、リレーマラソンの練習をすることが、そこまで立派ではない気がしてきた。立派でなくてもいいとも思う。

運動でも、表現でも、推し活でも、そこにリソース割くのも立派な「大事なこと」だから、外野がどうこう言うべきでない。尊重すべきことだ。

「忙しい」と答えたのが建前だろうと何だろうと、それよりも優先すべき大切なものに向かっているのであれば、素晴らしいことだ。

ただ、人生のフェーズや心境の変化で、大きな石が砂利に変わることもあるかもしれない。いろんな視点で観て欲しい。

言葉で伝えるのは「大きなお世話」だろうけれど、何かのご縁で私と関わったのだから、「そんなものに熱心になる大人もいる」を態度で示して、影響を与え合えてゆきたいとは思う。

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