『異物』 〜歪んだ世界からの離脱〜Vol.4
哲学の始まり
私が40年以上大ファンの映画がある。
当時4歳頃でテレビで放映されて以来だったか、すぐにビデオテープだったか定かではないが、「風の谷のナウシカ」が大のお気に入りで何度も観た。
ナウシカの優しさと強さに憧れ、
印象的なのは王蟲の触手に包まれた時の思い出、気絶している時の思い出、腐海のそこの美しい水の音と色・・・。
唯一、その世界では外の世界で穏やかになれる場所だった。 とにかく優しいナウシカの美しい心に魅了された。
ファミコン
ファミコンは1983年に発売して、おそらくすぐだったか翌年だったか我が家にもいつの間にかあった。
幼い私にはうまく操作することもできず、兄や父がやっているのを見ながら、時々触ってもうまくできず悲しくなっていた。
でも、1985年に公開されたのグーニーズの映画が大好きで、その後発売されたファミコンのグーニーズももちろん自分ではできなかった。
エンディング見たさに、兄にクリアしてもらったことが何度かあった。
ディズニーランドとお姉さん
初めてのディニーランドは忘れられない事故の日だった。1985年8月12日。そう、あの日航機墜落事故が起きる前だった。
家族4人と、とあるお姉さん・・・のちにこの人の存在が明らかになるが今はまだ割愛させていただく。
初めてのアトラクション、一番印象なのがホーンテッドマンションだが、全ての乗り物が恐怖だった。幼さと、その時の不安症のような状態でずっと泣いていたし、当時とても混んでいて並ぶ時間も永遠の時間のように感じて抱っこをせがんでほとんど泣いていた。
唯一、It's a small worldは可愛くて楽しめた。
確か初代のエレクトリカルパレードも好きだったと思うが、あまり記憶がない。
閉園時間間近だったのか、その辺りはきっと寝てしまったのか・・・夜に帰宅をして、真っ先に飛び込んできたニュースが・・・そう、日航機123便の墜落事故。
当時の私は、何もわからず・・・でも大変なことが起きているのは大人たちのリアクションでなんとなくわかってた。
保育園での虐待
保育園は確か、5歳の頃途中から入園した。もちろん、分離不安もあった。
当初私は年中さんで入園。記憶に残っているのは、年長さんの男の子に追いかけられ、叩かれたり虐められたりした。
その理由は、実は年長さんに1-2歳の頃まで一緒にいた従姉妹がいた。
この理由についても複雑なので、一旦割愛するが・・・シンプルな話は好かれていなかったから、やんちゃな男の子を使ってターゲットにされた。
昭和の保育園は厳しい。とりわけこの保育園は厳しいのかもしれない。
年中さんから和太鼓の練習などもあり、本格的で数年前に保育園の近くで演奏を聴いた時に改めて子供とは思えない演奏だったことに感動したのを覚えている。
私は、いろんなものにこだわりがあったり好き嫌いも激しく、給食がまず全部食べられなかった。特に冷めた味噌汁のなんとも言えない匂いが苦手で毎回食べられない・・・。そうなると、今度は先生に怒られる。そして残した人は、教室の屋外の廊下に正座をさせられる。どれくらい続いたのかは覚えていないが苦痛だった。
ある時は、何かしらの理由で数人の園児が園庭に置き去りにされた。周りはパニックになっていたが、怖い先生がいないだけで私はほっとしていたのか無理強いもされない思ったのか、どうしようと嘆く子を他所目に、「大丈夫だよ、どうせ帰りの時間になったらパパママが迎えに来るんだから」と発したら、静かになり・・・子供は単純なものですぐに園庭の端っこで暇つぶしを始めた。
とにかく苦痛でしかない保育園。
ある日、何か限界を感じていたのか「かえりたい!」と泣き叫び、何かしら理由をつけなきゃいけないような状況だったのか「おなかがいたい!!」というと、救護室のようなところに連れていかれ、床に押さえつけられて無理矢理に口に正露丸を入れられた。
もう泣き叫ぶだけで、その後どうなったのかもよくは覚えていない・・・
とにかく今の時代だったら完全にアウトな保育園の対応だった。
ホワイトシチューのCMと羨望
ある日の夕方、保育園の片隅で衝撃的な光景を目撃した。 お迎えにやってきたあるお母さんが、顔いっぱいに満面の笑みを浮かべて「〇〇ちゃーん! ただいま!」と声をかけたのだ。薄暗い園舎の奥から、その子が弾けるような笑顔で母親の胸へと駆け寄っていく。
それは、私の人生で一度も見たことのない光景だった。 私の母は、いつ迎えに来ても能面のように無表情で、温かい声をかけてくれることなど一度もない。暗く、冷たく、威圧的。それが私にとっての世界の「初期設定」だったからだ。
その光景は、いつまでも網膜から離れなかった。
——なんで、私のママはあんなふうに笑ってくれないんだろう。
秋から冬にかけて肌寒くなると、テレビでは温かな家庭を描いたシチューのCMが流れる。 父親の帰りを待ちわびながら、母親と娘がキッチンで笑顔を交わしてシチューを煮込み、帰ってきた父親がとびきりの笑顔で食卓を囲む。
その画面に映る世界は、私が喉から手が出るほど求めていた光景でありながら、私の現実とは何光年も離れた想像すらできないファンタジーだった。
羨望。
シルバニアファミリーの愛らしい世界や温かいCMは、私の幼い心を激しく奪うと同時に、現実の冷酷さをこれ以上ないほど際立たせ、苦痛を深めていった。
迎えの時間が近づくたびに、私の心には黒い澱のような闇が積み重なっていった。 結局、私はその保育園に馴染むことができず、途中で通うのをやめてしまった。
年長になる頃、我が家はふたたび引っ越しを行い、私は別の幼稚園へと通うことになる。
