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詩は、口紅を塗って現れる:ウォ・チャン

詩は、口紅を塗って衣装をまとい、別の名前のもとで照明の光を浴びて現れる。

輝かしい真珠

ウォ・チャン(Wo Chan)は、マカオ生まれ、ニューヨークを拠点に、詩人/ドラァグ・アーティストとして活動している。ステージでは、The Illustrious Pearlという名で現れる。直訳すれば「輝かしい真珠」あるいは「名高い真珠」。

ページの上で詩を書くウォ・チャンが、舞台上では別の名前と身体をまとって現れる。ブルックリンを拠点とするドラァグ/バーレスク集団 Switch n’ Play の一員としても活動してきた。

一緒にいることの複雑さ

代表的な詩集として、2022年にNightboat Booksから刊行された第一詩集『Togetherness』がある。この本は、ノンバイナリーの詩人/ドラァグ・アーティストであるウォ・チャンが、クィアな子ども時代と思春期の記憶を語るデビュー詩集として紹介されている。『Togetherness』はNightboat Poetry Prizeを受けて刊行された。

タイトルの「Togetherness」は、「一緒にいること」「共にあること」という意味を持つ。けれど、この“一緒”は、ただ温かいだけの言葉ではない。ひとつの名前、ひとつの身体だけでは収まりきらないものたちが、詩の中で寄り集まっている。

サンドイッチと洗濯物の詩

たとえば詩「the smiley barista remembers my name」では、いつものサンドイッチ、洗濯物、メール、セラピーが、ひとつの午後の中でつながっていく。毎週食べている同じナスのサンドイッチ。洗濯物。メールをすること。セラピーへ行くこと。そうした、ごく普通の行動が出てくる。

大きな事件はない。

けれどウォ・チャンの詩では、こうした日常の細部が、いつのまにか記憶や赦し、自分自身との会話へ変わっていく。サンドイッチを食べることも、洗濯物を片づけることも、誰かに名前を覚えられることも、ただの生活では終わらない。そこには、自分がここにいることを少しずつ確かめるような感触がある。

劇場ではなく、カメラの前で

その一方で、ウォ・チャンは詩をページの中だけに閉じ込めない。

そのことがよくわかるのが、2020年に制作された映像作品 《Years Flow By Like Water》である。コロナ禍で舞台に立つことが難しかった時期、ウォ・チャンはThe Illustrious Pearlとして屋上に立ち、ミニスピーカー、LED、羽根などを運び込み、光を調整しながら、ひとりで撮影した。

この作品でウォ・チャンは、香港ポップスを代表する歌手アニタ・ムイの広東語の楽曲に合わせてパフォーマンスする。そこに自作の英語詩が字幕のように重ねられる。ステージは劇場から、カメラの前へ移る。口紅、身振り、歌、言葉は、そこで別のかたちの詩をまとう。

詩がドラァグをまとうとき

ステージの上では、身体がメイクと衣装をまとって変身する。The Illustrious Pearlという姿になることで、詩は読むものではなく、現れるものになる。

ウォ・チャンの魅力は、華やかさの下にある痛みを、暗く閉じ込めないところにある。ラメの下に記憶がある。メイクの下に、別の声がある。

詩がドラァグをまとうとき、それはただ派手になるのではない。むしろ、華やかさによって、隠されていた傷や欲望や記憶が、もう一度見えるようになる。


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