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予言の実績ではなく、それで救われた人を見せてくれ

災害が起こると、当然のように世に出てくるのが「予言」の話だ。

「この人の予言は当たっている」
「すごい」

そんなふうに持ち上げる声も目立つ。

私はそれを見るたび、正直、腹が立つ。

占いそのものを否定するつもりはない。
予言が全部インチキだと言いたいわけでもない。

私自身、占い師の端くれであり、拝み屋として見えないものを扱っている。

災害の前に、何となく見えたり、感じたりすることもある。

でも私は、正確な場所も時間も分からない。

だから、そんなものを「予言」として世には出せない。

誰がどこへ逃げればいいのか分からない情報を出して、あとから「当たった」と言ったところで、何の意味があるんだと思うからだ。

もし本当に、場所も時間も分かるなら。

私は変人扱いされてもいい。

その場所に向けて「逃げて」と言い続ける。
直接行けるなら、行ってでも伝える。

それくらいする。

予言は、能力を証明するための勲章ではない。

命が失われた災害を、自分の実績に変えるものでもない。

少なくとも私は、

「この人の予言のおかげで救われた」

という話を聞いたことがない。

一方で、

「また当たってる」
「すごい」

という声は、たくさん聞く。

もちろん、私が知らないだけで、予言を見て備えていた人や、助かった人がいるのかもしれない。

そこは否定しない。

でも、もし予言の価値を語るなら。

私は的中率ではなく、その予言によって誰が救われたのかを知りたい。

予言の実績ではなく、それで救われた人を見せてくれ。

注意喚起のために予言をするなら、それでいい。

「何か起きるかもしれないから、少し備えておこう」

そう思えるきっかけになるなら、それには意味がある。

でも、その役目を果たしたあとで、

「ほら、当たりました」

と実績に変える必要が、私には分からない。

人の命が失われたあとで、その災害を「私は当てました」という材料にするな。

災害を自己顕示欲に使うな。

はっきり言っておく。

私は、能力の有無や占術の優劣に嫉妬しているわけではない。

誰の予言が一番当たるのかを競いたいわけでもない。

私が言いたいのは、ただ一つ。

見えないものを扱う人間の、倫理の話だ。

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