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言葉になる前の世界について

タロットのリーディングをしていると、たまに起こることがある。
その人が泣くのだ。

驚いたような顔で。
自分でも予想していなかった、という顔で。

「なんで泣いているんだろう」と、笑いながら泣く人もいる。

カードが何かを「当てた」わけではない。
私が何か特別なことを言ったわけでもない。

ただ、その人の中にずっとあったのに、
もう自分でも忘れてしまった感情に触れてしまった。
それだけのことなのだと思う。

感動と苦しみが同時にくる瞬間。
遠い昔に置いてきたはずの何かが、ふいに戻ってくる感覚。

それは癒しとも違うし、
解決とも違う。

ただ、「触れた」という感覚が残る。

私はこれまでに、何度もタロットを通じて、
人の心の奥底、核に触れる瞬間に立ち会ってきた。

それは時に、人がそっと蓋をしてしまった
感情や思い出、トラウマに触れてしまうこともある。
だから一時的に苦しさが強くなることもある。

でも、触れたあと、人は少し表情が柔らかくなる。

心が軽くなったのかもしれないし、
ただ、何かが動いただけかもしれない。

私はその変化を見て、
少しほっとした気持ちになる。

「見えない世界」という言葉を聞くと、
霊的なものや不思議な現象を思い浮かべる人も多いだろう。

でも私が触れているのは、
もっと日常の奥にあるものだ。

言葉にできない感情。
理由は分からないのに残る違和感。
愛なのか執着なのか、名前もつかないまま誰かに向ける気持ち。

それらは確かにここにあるのに、
はっきりとした形を持たない。

だから私は、それも「見えない」と呼ぶ。

見えないからといって、存在していないわけではない。
ただ、言葉や意味が追いついていないだけなのだと思う。

霊的なものも、名前のつかない感情も、
私にとっては同じ「見えない世界」なのだ。

特別なものとして切り分けるのではなく、
触れようとすると、少し輪郭が揺れる。

タロットは、その曖昧なものに一時的な輪郭を与える。

未来を当てるための道具ではない。
答えを出すためのものでもない。

ぼんやりとしていた感情に、
触れるための形を与えるために使う。

カードは答えを示しているように見えて、
本当はその人に「問い」を差し出している。

その問いに触れたとき、
人ははじめて、自分の内側にあるものに気づく。

泣きながら「なんで泣いているんだろう」と笑っていたあの人が、
最後には、次に進もうとする顔をしていた。

解決したわけじゃない。
でも、何かが動いた。

見えない世界は、無理に理解しようとすると壊れてしまう。

意味を与えすぎれば、
本来持っていたはずの曖昧さが失われる。

だから私は、できるだけ説明はしない。

分かりやすくすることではなく、
嘘のない形で差し出したい。

見えない世界は、遠くにあるものではない。

すでにここにあって、
ただ名前がついていないだけのものだ。

言葉になる前にあるもの。
意味が定まる前の、小さく揺れている世界。

その世界を、私は言葉とタロットで表現している。

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