「ヤングケアラー」押し殺した笑顔の先に
ヤングケアラーという言葉を聞くと
「自分を押し殺して、家族のために頑張り続けている子」の姿を思い浮かべます。
辛いことがあったとしても
甘えたい気持ちがあったとしても
それを表に出さず(出せず)
周囲を安心させるために笑顔でいる子。
占いやお祓いの現場にいると
そうした「ケアをしてきた人」の影を私は強く感じます。
むしろ、子どもの時にヤングケアラーのような立場にいた人ほど
大人になってから形の分かりづらい歪みを抱えていることが多いような気がします。
例えば
人(恋人や友人など)に依存をしてしまう。
無理をして人に合わせてしまう。
「自分」が分からなくなる。
などなど…。
それは怠けでも、性格の問題でもありません。
助けを求めることができなかった環境で生きてきたこと。
自分の境界線を引く余裕がなかったこと。
ケアする側であり続けた疲れが蓄積したこと。
自分を殺し続けて生きてきたこと。
報われることがないまま時間が過ぎてしまった結果だと私は見ています。
また子どもにとって「親」という存在は絶対だと思います。
それは子ども自身が生きていくにあたり「親」という存在がいなくなると生きていけないから、ですね。
だからこそ子どもは親を「絶対的な存在」として見ている子が多く
ですので、ヤングケアラーとして今頑張っている子たちは
「自分がヤングケアラーである」という自覚がない子が多いような気がします。
「家族だから」「自分がやらなきゃ」と思い頑張っている子ほど
周囲に気づかれにくく、外部からの支援が届きづらい現状があるのかな、と感じています。
そう考えると
この「ヤングケアラー」の問題は家族単位の話ではなく
私たち大人の在り方の問題でもあるのだと思うのです。
私は三人の子どもを育てている母でもあります。
そして私自身、三人兄弟の一番上です。
そのためケアを担う側だった経験もあります。
だからこそ思うのは
「気づいた大人が気づかないふりをしないこと」の大切さです。
子どもが「役割」になってしまってないか
笑顔の奥に何かを我慢していないか
立ち止まって見てあげる責任は大人にあります。
ヤングケアラーという言葉が一時的な言葉で終わらないように。
拝み屋として
そして一人の人間として
私はそのことを忘れずにいたいと思っています。
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