行くぜ!東北!~東日本大震災から15年
「忘れてません、東北の皆さん」
その言葉をただ、届けに行きたかった。
本日もお目通し下さり光栄です、西陣の拝み屋惠美子です。2月3月は、本当に結構しっちゃかめっちゃかなスケジュールでして。それもこれも、日々の積み重ねの賜物(悪い方の意味で)なんですけれども。そんな中、年末に決まった東北出張が、結構ビックリする感じに二転三転して(苦笑)。でもそれも、見方を変えれば東日本大震災から15年目に、あの震災とそしていまの人生をもう一度振り返れって話で降りてきたことじゃないかと思っておりまして。まぁ、タイミングがまさに本日(もう昨日だけれど)2/21のタイミングだったな、ということでして。この2/21のことについては、また別記事で書いてみたいと思っています。
そんなこんなで、西陣の拝み屋、来月3月頭に3日間被災地東北2県へ出張することが決まっております。いろいろあって、本当にびっくりするようなことが幾つも重なって、今回「旅する鑑定ツアー」と題し、東北で自所イベントを敢行することになりました。つきましては、その想いと、イベント詳細についてお伝えしたいと思います。枠数は決して多くないけれど、二度とはないかも知れない貴重な機会。どうぞ皆様会いにいらしてくださいね☆
旅する鑑定ツアーについて
「忘れてません、東北の皆さん」その想いを届けられなかった
いまから5年前の2021年、あの震災から10年目を迎えました。その年をわたしは京都で迎えていました。発災当時は神奈川湘南住みで、それでも決して近いとは言いがたかった被災地東北。京都に移住してそこまでの距離は倍近くに拡がりました。それでも、あの震災がなかったら今の自分は確実に居ない。東北に与えて貰ったものの大きさを考えたとき、10年目の節目に何かできないのだろうか。そんなことを悶々と考えながら過ごしていました。
「忘れてません、東北の皆さん」
これは自分が震災復興で活動してきた復興キッチンで、とてもよく口にしてきた言葉。この言葉を、届けることができないかな。震災から10年目のあのとき、京都でそれを考えていました。しかし、コロナ禍などの状況に阻まれ具体的には何もできず。10年目の節目の年は、岩手県人会とご縁のある京都の神社さんで開催された慰霊祭に参列することしかできず。せめてもの想いで、宮城県気仙沼の洋菓子店コヤマ菓子店さんから復興キッチンでもよく使っていた「はまぐりもなかクッキー」を取り寄せお供物として祭壇に上げて頂くのが精一杯だったのです。
「もう一度、現地の人のための鑑定がしたい」
西陣の拝み屋は、実は被災地へ「現地支援」として何度か鑑定に入らせて貰っています。
2014年 宮城県気仙沼
2015年 福島葛尾村(現地調査)
2017年 福島県広野町
2018年 福島県原ノ町(野馬追通り銘醸館イベント/駅前鑑定会)
2018年を最後に東北には行けていませんでした。その最大の理由が京都に移住したこと、そしてコロナ禍などの状況。想いがあっても物理的な距離を考えると、それは一大事業になってしまったのです。それでも、特に福島で鑑定会をさせて貰ったときの依頼人さんの様子はいまでも忘れたことがありません。
福島の鑑定会は17年18年と3度にわたり開催されました。その3度の中でリピーターの方がいらしてくださり、そのお話の中からいかにあの震災の齎した傷が大きかったのかを毎度毎度思い知らされていました。自分の力量の足りなさ、いったいどこまで皆さんのお役に立てたのか。そんなことをいつも考えながら、東北を後にする。
もし、赦されるなら。
もう一度、現地の人のために鑑定をしたい。
そんなことを、思うことがこの15年何度もあったのです。いろいろな紆余曲折を経て、結局東北で門が開かれたのは宮城県の仙台と、なにより福島。震災復興では主に宮城がメインの担当だっただけに、福島で門戸が開いたことはとても意外であり、嬉しいことでもあったのです。今回の鑑定会の枠数は少なめですが、ぜひご縁のある方とお会いしたいと思っています。
社会に出る準備期間に当たる人たちに第三の居場所を作る
今回東北に行くことになったトリガーは、昨年末とある招致があったから。東北への気持ちは常にある、でも京都から見る東北行きは、ある意味今の自分には一大事業。そんな想いでいるとき「仙台に来ませんか?」と声をかけてくれた人がいました。その声に背中を押される形で東北行きを決め、その際「折角行くのなら」と前後に仕事以外の予定を組もうと考えました。しかし、当時メインで活動していた気仙沼は仙台から2時間近く掛かる場所。悩みに悩んで、仙台から動くことを断念。代わりに滞在中に何かできないだろうかと考えるようになったのです。そんなとき、福島在住でビジネスコンサルを受講後フリー開業された方とのコラボ企画の話が持ち上がりました。教育系のお仕事を立ち上げられたその方とは、震災について語ることがこれまでも度々あったのですが、お互いの共通認識として「あの震災は現地の子どもたちの未来に多大な影響を与えた」というものがありました。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、西陣の拝み屋はあの震災を体験した後2年半靈媒系の仕事がまったくできなくなりました。その間どうしていたかというと
①不動産会社に勤務(パワハラに遭って退職)
②横浜市役所で期間職員として働く(契約満了にならなかったら継続したいチームと出会う)
③子育ての専門家としてallabout公認子育てガイドや、NTT+の相談窓口を担当
④大手受験産業二社に勤務
という教育バイアスで人生を賄い、シンママとして子どもふたりを養育してきたのです。今回協働パートナーとなった福島「学びと手仕事」さんと、いろいろお話をするうち「社会に出る準備期間の人たちのための第三の居場所を作ろう」ということで意見が一致。そのトライアルイベントをこの発災15年の節目に福島と仙台で開催することになったのです。イベントの詳細はこちら。
今回のイベントは「オルタナティブスクール」の立ち上げですが。通常「オルタナティブスクール」といえば小中高を対象とした不登校の方の居場所的イメージがあるかと思います。しかし、わたしたちが作ろうとしているのはその次の世代。主に16~25歳の方とその親、ご家族を対象にしています。この年代は行政や社会の中で一番支援の形が探しにくい層であり、尚且つあの震災の影響をダイレクトに受けたであろう年代の人たち。一見見落とされてしまう「あの日の影」、でもそれがほんのわずかでも消えていく場所があるのだとしたら。あなたは、その場所の扉を開けてみたいと思いますか?
このオルタナティブスクールは、学校と言うよりカルチャーセンター的お稽古事に近いイメージ。だからこそ、何かをして貰いたい方や福祉的要素を求めている方には向いていません。反対にこの場所で提供できるのは次の2つ。1つ目は「不安を減らし、安心を増やす」、そしてもう一つが「諦めないスキルを学ぶ」。あの震災の後、子どもたちが最も奪われたのはこの「諦めないスキルを学ぶ機会」ではないかと思っています。西陣の拝み屋のモットー、それが「諦めないこと」。それが決して間違いではないことを今回の冬期五輪でりくりゅうペアが図らずも証明してくれた。そのことが、わたしには本当にある種の希望の光であり、力を貰えたことでした。
その光を、3月頭、発災から15年目に少しでもお届けに行きたい。
「忘れてません、東北の皆さん」
その言葉と想いと共に。いまそんな風に思っています。
あの震災の後、力を持たず、大人を頼ることでしか生きることが叶わなかった幼い子どもたち。その子どもたちを、わたしたちは一体どれくらい守ってあげられたのだろう。わたしはあの日、我が子さえ守れずに、未曾有の災害の夜を未成年の子どもたちだけで過ごさせ。子どもたちを守るべきひとり親であるわたし自身は、100㎞以上離れた場所で守りたくもない大人を守りながら夜明かしすることになった。そんな自分を長いこと赦せませんでした。
でもそれも、己の無知が招いたことに過ぎないと、のちのち防災を学んで気づくことが出来た。だからこそ、不屈の精神が欲しいと心から願い、「個性=戦闘」という自分を手に入れ、生きてきた。そんなわたしだからこそ、いまかつてのわたしのようにあの日の無力感から抜け出せない人がいるのなら。側に行って、こう言って上げたいのです。
「できるよ。一緒にここから出よう」
震災後、ことあるごとに自分に聴かせてきた歌があります。この歌の歌詞のように、いまのわたしはなれただろうか。
「光を求め歩き続ける
君の情熱がいつの日か
誰かにとっての光になるでしょう
誰かにとっての兆しとなるでしょう」
この旅する鑑定ツアーが、そのはじまりの一歩になることを願って。
行くぜ!東北!8年ぶりに。
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日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。