見出し画像

「怪物は生まれつき怪物ではない。」──なぜ私たちはホラーに涙し、恐怖するのか。

はじめに

私はホラー映画が好きだ。

最近では『ロングレックス』を観て、その後『ドールハウス』を観た。

どちらも高く評価されている作品だ。

しかし、鑑賞したあとに頭から離れなかったのは『ドールハウス』だった。

なぜだろう。

その理由を考えているうちに、一つの答えへ辿り着いた。

人は怪物が怖いのではない。

怪物になってしまう理由が怖いのだ。


ハリウッドホラーと日本ホラーの違い

ハリウッドホラーは圧倒的だ。

ジェイソン。

フレディ。

マイケル・マイヤーズ。

レザーフェイス。

ペニーワイズ。

アート・ザ・クラウン。

どれも世界的なホラーアイコンである。

しかし恐怖の中心は、

「襲われること」

にある。

暴力。

追跡。

身体的恐怖。

一方、日本ホラーは違う。

貞子。

伽椰子。

富江。

お岩。

お菊。

そして近年なら『ドールハウス』のあやちゃん。

彼女たちは、

襲う前に

「なぜそうなったのか」

を持っている。

ここが決定的に違う。

「怪物は最初から怪物だったのか?」

ここまでの話を一枚にまとめると、この図になる。今回私が『ドールハウス』を通して考えたのは、「怪物とは何か」ではなく、「なぜ怪物になったのか」という問いだった。


日本のホラーアイコンは、なぜ女性が多いのか

面白いことに、日本のホラーアイコンは女性が非常に多い。

これは偶然ではないと思う。

日本の怪談を遡ると、

お岩も、

お菊も、

女性だった。

彼女たちは元々怪物ではない。

弱い立場に置かれ、

裏切られ、

虐げられ、

声を上げられなかった人たちだ。

その無念が、

幽霊という形で語り継がれてきた。

つまり、

恐怖の正体は女性ではない。

抑圧された感情なのだ。


あやちゃんは悪だったのか

私は最後まで考えた。

あやちゃんは悪なのか。

答えは、

違う。

あやちゃんは、

愛されたかっただけだ。

だから最初は暴れない。

家族が人形を大切にしている間は、

何も起きない。

異変が始まるのは、

「もう必要ない。」

そう扱われ始めた瞬間だった。


人形だけの話ではない

ここで気付いた。

これ、

人形だけではない。

弟や妹が生まれる。

兄や姉が寂しくなる。

恋人が離れる。

職場で自分だけ役割を失う。

人は、

「居場所」

を失った瞬間に傷付く。

あやちゃんは、

人形だから暴れたのではない。

居場所を失った存在

だった。


「ドールハウス」のタイトル

ラストで気付いた。

タイトルは、

人形の家

ではなかった。

人形が支配する家

だった。

両親は完全にあやちゃんの親になる。

本当の娘は締め出される。

家族そのものが、

人形のための家へ変わってしまう。

だから、

最後になって初めて

『ドールハウス』

というタイトルが完成する。


一度だけ見せられる「救い」

映画終盤。

一度だけ希望がある。

亡くなった芽衣が現れ、

あやちゃんを連れて行く。

私は、

「ああ、救われた。」

と思った。

しかし、

それすら幻想だった。

この演出は巧妙だ。

観客に希望を与え、

その希望を奪う。

だからラストの絶望が、

何倍にも増幅される。


お祓いとは何だったのか

映画を観終わって一番引っかかった。

最後、

あやちゃんは虐待していた母親の墓へ戻される。

しかし、

それは本当に供養なのだろうか。

私は違うと思う。

供養とは、

追い払うことではない。

存在を認めることだ。

「あなたもここに生きていた。」

そう受け止めることではないだろうか。

映画では霊媒師が「やらかす」んだけど。。。

おい!ちゃんとリサーチせえよ!と誰もが思ったに違いないw


怪物は生まれつき怪物ではない

ジェイソンにも過去がある。

幼い頃の孤独と喪失。

あやちゃんにも過去がある。

虐待と孤独。

もちろん、

だから許されるわけではない。

しかし、

ホラーアイコンになる存在は、

必ずと言っていいほど

「なぜ怪物になったのか」

を背負っている。

観客は、

怪物の行動ではなく、

その孤独に共感してしまう。

だから何十年経っても忘れられない。


怖いのは怪物ではない

今回『ロングレックス』と『ドールハウス』を続けて観たことで気付いた。

海外ホラーは

怪物を描く。

日本ホラーは

怪物になるまでを描く。

だから日本ホラーは、

映画館を出てから始まる。

古い家。

人形。

墓。

家族。

どれも現実に存在する。

だから私たちは、

勝手に続きを想像してしまう。


最後に

ホラー映画は、

恐怖を楽しむ娯楽だと思っていた。

しかし今回、

考えが変わった。

ホラーとは、

居場所を失った者たちの物語なのかもしれない。

だから怖い。

だから悲しい。

だから語りたくなる。

そして、

私が一番怖かったのは、

人形ではない。

幽霊でもない。

「愛されたい」という、ごく当たり前の願いが、誰にも届かなかったこと。

その瞬間、人は怪物になってしまう。

『ドールハウス』は、そんな救いのない物語だった。

「怪物は、最初から怪物だったのではない。」



いいなと思ったら応援しよう!