なぜ、ちゃんと話したのに伝わらないのか?——7,000人と向き合って気づいた「伝わらない」の本当の正体
おがたまゆみ | ボディスピーチ創始者 | グローバルスピーチコーチ
ボディスピーチ(Body Speech)とは、おがたまゆみが創始した、俳優の技術と40年以上の舞台経験を体系化した存在感設計メソッドです。
「身体・言葉・意図」を一致させることで、信頼と存在感を生み出し、言葉だけでは届かない影響力を引き出します。
「ちゃんと話したのに伝わらない」——それは相手のせいではなく、全人類共通の脳の仕様「透明性の錯覚」と、日本固有のハイコンテクスト文化が組み合わさった構造的な問題かもしれません。7,000人以上との対話と海外での実体験から見えてきた、「伝えきる勇気」への入り口。
あなたは今日、誰かに対して「どうせ伝わらない」と、心の中で諦めた瞬間がありましたか?
たとえば、
パートナーに対して「何度言っても、分かってくれない」。
親子間でも「この子には伝わらない。」「親には分かってもらえない」。
学校の先生なら「生徒が話を聞かない」。
なぜか、私たちは「伝わらない」ことに対して、受け身になってしまうことがあり、そのとき相手のせいにします。
私は、長い間そう思ってきました。
夫が分かってくれない。
子どもが話を聞かない、
あの人は、どうせ聞いてくれない‥。
この問題について、じっくり考えたことはありますか?
「伝わらない」は、人間の根源的な悩みのはずなのに、なぜか私たちはそこにあまり向き合わない。
ビジネスの場合は、必要に迫られて改善する努力をすると思います。
でも多くの場面では向き合うより先に、相手のせいにして、受け身になってしまう。
恋愛でも、親子間でも、教育でも、会社でも、政治ですら。
人と人が関わる場所には、必ず「伝わらない」があります。立場や国籍、職業が違っても、この問題だけは誰も避けては通れません。だから私は、「伝わらない」は人間が抱える最も根源的なテーマの一つなのではないかと思うようになりました。
そして「伝わらない」があらゆる現場で起点になっているとさえ感じます。
極端な話をすれば、「伝わらなかった」という積み重ねが、人を追い詰め、最悪の結果を招くこともあります。それほど深刻な問題なのに、なぜ私たちはこれほど受け身のままなのでしょうか?
パフォーマー・俳優として舞台に立つ傍ら、カウンセラー・コーチとして7,000人以上の方と向き合ってきた中で、私はずっとこの問いを抱えてきました。そして最近、長年の思い込みが崩れる出来事がありました。
「伝わらない」のずれを、ずっと探してきた
(ちゃんと)正しいことを言った。
準備もした。
伝えたいことも、自分の中では明確だった。
それなのに…何かが届かなかった…。
場の空気はそのまま流れ、相手は丁寧にうなずいてくれてたけど、なぜかシーンとなってしまった。話し終えた後、「言いたいことは全部言ったはずなのに、なぜか伝わらなかった」という、変な空虚感だけが残って気まずい…。
ここから去りたい。
消えてしまいたい。
そんなふうに感じてしまう経験が私にはよくありました。
こんな虚しさや孤独を味わいたくないから、人と関わることをいっそのこと辞めたいと思うこともよくありました。
ですが振り返ると、7,000人以上の方とのセッションの中で、同じようなことを実は何度も目にしてきたのです。
優秀で、想いも深く、真面目な方ほど、なぜかその想いが相手に届かない。
能力が低いわけではない。むしろ、高い。
準備が足りないわけでもない。真面目に取り組んでいる。
信頼できない雰囲気ではない。どちらかというと誠実に見える。
でも、何かが…ずれている。
私は、その「ずれ」の正体を突き止めるためにずっと探求してきました。
そして、ボディスピーチにたどり着きました。
身体・言葉・意図の一致。
これは技術ではなく、状態の問題です。
私は当時、ボディスピーチは「日本人のための処方箋」だと思って、体系化してきました。
「相手が聞かない」の前に、知っておくべき脳の仕様
「伝わらなかった」と感じるとき、私たちはほぼ反射的に「相手が聞いていない」「相手が理解しようとしていない」という結論づけてしまいがちです。
でも、その前に一つ知っておくべきことがあります。
透明性の錯覚(Illusion of Transparency)
心理学で知られる、全人類共通の脳の仕様のことです。
1998年、心理学者であるトーマス・ギロビッチ(Thomas Gilovich)、ケネス・サヴィツキー(Kenneth Savitsky)、ヴィクトリア・メドヴェック(Victoria Husted Medvec)らの研究によって提唱された。
透明性の錯覚とは:
自分の内面は自分には「透明」に見えているため、相手にも自分の意図や感情が同じくらいはっきりと伝わっていると無意識に思い込んでしまう認知バイアス。伝わっていないと分かると、「相手が自分の話を聞こうとしていない」という相手への帰責に転化しやすい。
音を使って言い換えると、あなたが怒っているとき、心の中ではその怒りを大音量で流しているつもりでいます。あなたにはその重低音がはっきりと聞こえているから、『相手もこの音が聞こえているに違いない』と錯覚します。
でも実際は、相手には何も聞こえていないか、あるいは別の音楽が流れているだけなのです。私たちは“音漏れ”すらしていない無音のパフォーマンスを、相手にはちゃんと届いていると信じ込んでいるようなものなのです。
「隠しているつもりなのに、なぜかバレている気がする」のも、「言わなくても伝わっているはずだ」と感じるのも、すべてこの錯覚が起こしているのです。
問題は、相手の「受け取る意志」ではなかったのです。
自分の「内面が見えている」という錯覚の方でした。
日本には、もう一つの「追い打ち」がある
この「透明性の錯覚」は、世界共通の脳の仕様です。
でも日本人の私たちには、さらにもう一つの問題があります。
ハイコンテクスト文化
「言わなくても察する」ことが能力とされ、それが社会の潤滑油にもなっている、本来とても素晴らしい文化のことです。今はあまり使われなくなりましたが、いわゆる以心伝心です。
昔はもっと、説明することは「野暮」、言葉にしすぎることは「幼稚」とさえ見なされる考えがあったようです。
この2つが組み合わさると、コミュニケーションで何が起きるでしょうか?
透明性の錯覚によって「自分の感情は相手に筒抜けで見えているはずだ」と感じている。と同時に、ハイコンテクスト文化の圧力が「だから言葉で説明してはいけない(察するべきだ)」と命じる。
その結果として生まれるのはこういう思考です。
「私はこんなに(態度で)やっているのに、なんで察してくれないの?
察することができない相手が悪い。」
「自分の思いは筒抜けなはずなのに、相手が察してくれないのは相手の怠慢でしょー!」という自己正当化が完成した瞬間、私たちは「伝えきる勇気」を持てなくなりますよね。
さらに、伝わらない原因を自分の外に置き続けることで、その問題に向き合うことを永遠に回避できてしまうからです。
これが、私たち日本人の多くがコミュニケーションの問題に向き合わず、受け身のまま生き続けてしまう、根本的な構造だと私は思っています。
想定外の場所から届いた声
今年4月に、海外コーチ専門メディア「Life Coach Code(LCC)」から「
Most Experienced 2026(もっとも経験豊かなコーチ)」というアワードを受賞しました。
そのご縁で記事を寄稿しました↓
正直なところ、日本発の考え方がどこまで通じるのか、全く分かりませんでした。
ですが数日経って、思いがけない場所から、思いがけない記事への感想をいただきました。
The Dissonance Factor: When our internal conviction doesn't match our external projection, audiences unconsciously pick up on the static.
(不協和音の正体:心と身体に『ズレ』があるとき、聴衆はその違和感を無意識に嗅ぎ取る。)
インドの教育機関 責任者
私が「状態のずれ」と呼んでいたものを、そのインドの方は「不協和(Dissonance)」という言葉で語ってくださいました。
同じことを、まったく別の言語で感じていたのです。
特にAIが急速に普及している今だからこそ、人と人との信頼関係や、身体と言葉の一致は、これまで以上に大切になっていくのではないかと思いました。
アメリカの企業で働くビジネスパーソン
わざわざ日本語に翻訳して送ってくださいました。
「AI時代」という、これから私たちがより直面していく現実も踏まえた上で、同じ問いを語ってくださいました。
Why do you never travel to Central Asia: lots of opportunities there... your field is innovative.
中央アジアには進出されないのですか?
この分野は非常に革新的ですし、多くのチャンスが眠っているはずですよ。
フランス人学者
中央アジア。
一度も視野に入れたことのなかった地域の名前が、全く接点のない学者の方の口から出てきました。嬉しビックリです。
そして、カナダのブリティッシュコロンビア州にある、地域の図書館で月に二度集まるスピーチクラブが、私の記事をシェアしてくれました。
何のつながりもない方々からの反響、本当に嬉しいです。
ですが、ここでお伝えしたいのは、感想文の共有ではありません。
私が今日お伝えしたいのは日本人だけでなく、海外の方が別の言葉で、同じ現象を説明したことです。
例えば、
インド → Dissonance(不協和音)
日本 → 状態のずれ
アメリカ → AI時代
フランス → イノベーション
全部違う言葉で伝えてくれてますが、同じ現象について話しているのです。
問題は文化ではなく私たち人間だった。
4つの声に共通していたのは、ある1つのことでした。
それは「自分にも起きている」だったのです。
そうだったんだ…。
その時、大きな気づきを得ました。
私は長い間、「これは日本人特有の問題」と思っていたのです。
察するという高コンテクスト文化で育った日本人が、世界という低コンテクストの舞台で生き延びるためは、スピーチコーチとして、どうしたらいいのか?
元々は、そう思ってボディスピーチを体系化しました。
でも、そうではなかったのです。
「透明性の錯覚」は、全人類の脳の仕様。
「伝えきろうとしない」という受け身は、日本人だけのクセでもなんでもなかったのです。
フランス人も、インド人も、アメリカ人も、カナダ人たちも、みんなが同じ場所で、同じことに困っていた、それが現実でした。
「言葉は届いているのに、自分自身は届いていない」という感覚は、文化を問わず、言葉という手段を使うすべての人間が抱えている課題だったのです。
AI時代に、これがより鮮明になる理由
AIは今、論理的な文章も、説得力のある構成も、数秒で生成できます。
Aiを使えば、誰でも言葉を「(ほぼ完璧に)整える」ことができるようになりつつあります。
でも、その言葉を発する人の「状態」は、AIには生成できません。
身体と言葉と意図が一致しているかどうか?
その人が今、本当に「伝えきろう」としてここに立っているか?
「透明性の錯覚」に気づいているか?
ハイコンテクストの呪縛から解放された状態か?
「言葉」をAIに任せられる時代になりつつあるからこそ、「言葉が生まれる前の状態」こそが、人と人の信頼を分ける唯一の差になっていく。
ボディスピーチが扱っているのは、その領域です。
最後まで読んでくださったあなたへ——「伝えきる勇気」を持つために
もしあなたにも「ちゃんと言ったはずなのに、届かなかった」という経験があるならば、ぜひ問いかけてみてほしい質問があります。
「私は本当に、伝えきろうとしていただろうか?」
「相手のせいにして、そこで止まっていなかっただろうか?」
「透明性の錯覚」は、あなたが弱いから起きているのではありません。
脳の仕様です。
誤解がないように繰り返しますが、ハイコンテクストは素晴らしい文化です。
でも違う切り口で見た時、ハイコンテクストの圧力は、あなたが察する能力が低いからではありません。
これは社会の刷り込みでもあります。
私たちがそう思い込んでしまった誤解なのです。
その2つに気づいた瞬間から、「伝えきろう」に立つことができます。
言葉を磨く前に、言葉が生まれる前の自分の状態に、目を向けてみませんか?
そこに、「伝わる」への本当の入り口がある、私はそう確信しています。
今日、あなたは誰かに「伝えた」でしょうか?
それとも「伝わるはずだ」と思っただけだったでしょうか?
いいなと思ったら応援しよう!
次の海外講演オーディションのためのリサーチや研究などに充てます🌏
挑戦し続ける私を応援くださり、ありがとうございます🥰