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🏛️世界史講義:ヴェルサイユ体制とワシントン体制・国際協調の展開

📜パリ講和会議とヴェルサイユ体制の形成

  • 🕊️パリ講和会議:大戦後の1919年1月からパリ講和会議が開かれ、各敗戦国との間で個別に講和条約が結ばれました。ドイツとはヴェルサイユ条約、オーストリアとはサン・ジェルマン条約、ハンガリーとはトリアノン条約、ブルガリアとはヌイイ条約、オスマン帝国とはセーヴル条約が締結されました。

  • 🗺️ヴェルサイユ体制:これらの講和条約によって成立した、大戦後のヨーロッパを中心とする国際秩序をヴェルサイユ体制と呼びます。これはかつてのウィーン体制(正統主義・勢力均衡)やビスマルク体制(フランスの孤立化)に続く国際秩序の枠組みです。

  • 📢民族自決の適用と限界:講和条約で掲げられた民族自決の理念は、敗戦国であるドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国を解体・弱体化させる狙いもありました。そのため、この原則は主にヨーロッパの敗戦国領に適用され、勝者である列強の植民地やアジア・アフリカ諸地域における独立要求は無視されました。

🌐国際連盟の設立とその限界

  • 🏛️国際連盟の設立(1920年)ウィルソンの提唱に基づき、史上初の本格的な集団安全保障機構として1920年に国際連盟が設立され、本部はスイスのジュネーヴに置かれました。

  • ⚠️国際連盟の3つの問題点(限界)

    1. 全会一致の原則:意思決定に総会や理事会での全会一致が必要とされたため、迅速な対応が困難でした。

    2. 武力制裁手段の欠如:規約違反国に対して経済制裁は規定されていたものの、連盟軍のような直接的な軍事制裁の手段を持っていませんでした。

    3. 主要国の欠席・除外:提唱国であるアメリカ合衆国が上院の反対で不参加となったほか、敗戦国のドイツや社会主義国のソヴィエト・ロシアは当初加盟を認められませんでした。

🗺️委任統治と東ヨーロッパの緩衝地帯

  • 🤝委任統治制度:旧ドイツ植民地や旧オスマン帝国領には、国際連盟の委任を受けた特定の列強が統治する委任統治制度が導入されました。西アジアでは、イギリスがイラクトランスヨルダン(現ヨルダン)を、フランスがシリアレバノンを委任統治しました。これはかつてのフサイン・マクマホン協定やサイクス・ピコ協定の経緯を背景に持つものでした。また、太平洋の旧ドイツ領(南洋諸島)は日本が委任統治を行いました。

  • 🛡️東ヨーロッパの新国家と緩衝地帯:東欧では民族自決の名のもとにポーランドチェコスロヴァキアセルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国(セルブ・クロアート・スロヴェーン王国)などが独立・成立しました。これらは敗戦国の弱体化を図ると同時に、ソ連とヨーロッパの間の「緩衝地帯」としての役割も担わされていました。

🌊ワシントン体制とアジア・太平洋の国際秩序

  • 🚢ワシントン会議(1921〜22年):アメリカの提唱により開催され、アジア・太平洋地域における国際協調システム(ワシントン体制)が構築されました。この体制には、大戦に乗じて急激に台頭した日本の勢力拡大を抑制する狙いもありました。

  • 📜締結された主要条約

    • 四か条条約:米・英・日・仏の4カ国で太平洋諸島の現状維持を約しました。これにより、日英同盟が解消されました。

    • 九か条条約:中国の主権尊重や機会均等・門戸開放の原則を確認し、中国における日本の独占的権益の拡大が抑制されました。

    • ワシントン海軍軍縮条約:主力艦の保有比率を「米5:英5:日3:仏1.67:伊1.67」に制限しました。日本の主力艦は対米6割とされた決定は、「対米7割」を要求していた日本国内で強い不満を生みました。

🕊️1920年代の国際協調の展開と挫折への道

  • 🤝ドイツとソ連の接近と復帰:国際社会で孤立していたドイツとソヴィエト・ロシアは1922年にラパロ条約を結んで国交を回復しました。その後、1925年のロカルノ条約締結を経て、1926年にドイツの国際連盟加盟が認められ、国際社会へ復帰しました。

  • 🚫不戦条約(1928年):米国務長官ケロッグと仏外相ブリアンの提唱により不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)が署名され、国家の政策遂行の手段としての戦争放棄が誓われました。

  • 📉協調から対立へ:1930年のロンドン軍縮会議(ロンドン海軍軍縮会議)では補助艦の保有比率(日本は対米6.975割)が定められましたが、今度こそ対米7割をと期待していた日本国内ではさらに強い反発が生じました。


💡以下、無用のことながら

  • 🏰ヴェルサイユ条約に込められたフランスの復讐(歴史的因縁):パリ講和会議の開幕日(1月18日)は1871年に普仏戦争で敗れたフランスの地でドイツ帝国成立が宣言された日であり、調印場所のヴェルサイユ宮殿鏡の間もまさにその成立宣言が行われた場所でした。これらは、フランスがドイツに対する雪辱を象徴的に示した演出ともいわれます。また、条約調印日の6月28日は第一次世界大戦の引き金となったサライェヴォ事件の日です。

  • 🇵🇼パラオと日本語の関わり:日本の委任統治領となったパラオでは、国旗のデザインが日の丸に似ているほか、一部の州では日本語が公用語として認められています。現地では「ビール」を「ツカレナオス」と呼ぶなど、日本統治時代の影響から日本語由来とされる表現が現在も一部に残っています。

  • 「対米7割」要求の軍事的な根拠:日本海軍は太平洋を渡ってくるアメリカ艦隊を迎撃しながら徐々に戦力を削り、最後に主力艦隊決戦で勝利する「漸減邀撃作戦」を構想していました。アメリカは10の戦力を太平洋と大西洋の両洋に分配して運用する必要があるため、太平洋に全戦力を投入できるわけではありません。そのため、日本は7の戦力があれば本土防衛が可能と考え、対米7割を強く要求しました。

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