博士の結婚式『ゆめゆめ院鬱なかれ』
院鬱極めたる大学院生だが、周囲では明るいニュースもあって、うちの研究室では現在結婚・婚約ラッシュなるものが来ている。大変に喜ばしいことだ。
さて、そうなると結婚式の準備をしなくては。
うちは理系の研究室である。よって結婚式に来る人たちの属性も、科学界隈にやや偏りがちだろう。
当然、科学になんの興味もない人たちも大勢来るはずだが、いったんそうした人たちを置き去りにする蛮行もまた科学の味わい深さだろう。科学とは往々にして、人間コミュニケーションの最底辺を体現する。
ここで僕は理系特化型のファイナンシャルプランナーを気取ってみることにした。
理系の新郎新婦の挨拶を学会発表風にするという余興をここに提案する。
新郎がマイクを取る。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」式場前方のスクリーンにスライドが投影され、発表タイトルと発表者の名前――新郎新婦の名前――が表示される。「ただいまより、結婚報告をさせていただきます。発表タイトルは『結婚に至るまでの過程と仮定、ならびに目指す家庭に関する一考察』です。まずは妻の方から報告させていただきます」
新婦もマイクを手に取る。
「ご紹介に預かりました。妻です。まず背景から説明します。私が彼と交際しようとした経緯ですが、ことの始まりは、大学の学部三年時にあった実験実習です。私は当時グループ内で、DNAを抽出するための試薬の調整を任されていたのですが、当時の私は混ぜる分量を間違ってしまい、試薬調整後にかけたPCRと電気泳動実験において、綺麗なDNAバンドを得ることができませんでした。それによって、私たちのグループは他のグループより大幅に遅れを取ってしまいました。しかし同じ班員だった彼は、そんな私の実験ミスを許し、すぐさま機転を利かせて、考えられるうちの最小手数で、PCR反応液を再調製してくれました。彼のおかげで私たちはその後の実験で、欲しかった500ベースペアの大きさのDNAのバンドを得ることができました。そのとき得られたバンドがこちらです」

「私の目にはこの実験で得られたバンドが煌々と見え、さながら、私と彼の間にできた強い特別な絆のバンドのように感じられました。そこで私のなかに、『彼は私に対して寛大で、交際するに値する関係である』という仮説が立ちました。私はこの仮説を検証するために、その後、数回の食事と街中での同伴行動を実施したのち、彼に交際することを提言しました。すると彼から承諾が得られました」
新郎はここで力強くマイクを握り直す。
「ここで一点補足ですが、私自身も当時彼女へ好意を抱いていたので、私からも、何度か同伴行動に誘い、レストランで摂餌行動を観察させてもらいました。食事中の所作はその人物の人となりをよく表すので、その方法を取りました。私はそこで誤差範囲や分散を考慮して正確に彼女を評価できるまで試行を重ね、最終的には、こちらからも交際の提言をするべきだという結論に至っておりました。ただ、彼女の方が実験結果をまとめるのが速かったようで、結果、彼女から私という方向性で交際の申し出があった次第です」
照れ臭そうに笑顔を浮かべる新郎を新婦は晴れやかな目で見る。その目はすでに妻の目であり、同時に母親らしい光を湛えていた。新婦はまだほっそりとしたお腹をさすりながら、
「彼の寛容さを検証するために、私はその後の数年に渡る交際期間のなかで、通算100回以上のデートを試行しました。その結果、彼が他の男性よりも寛容であることが統計的に示されました」

会場では知性ある参加者たちが、真剣な目でグラフを読む。
「ただ私たちの関係性に暗雲が立ち込めた時期もありました。明らかに彼の口数が交際当初よりも減り始めたのです。こちらのグラフをご覧ください」

「このヒートマップは、あらゆる生活場面における私の行動と彼の口数を表した発言量解析の結果です。明らかに彼の発言量は減少傾向にありました」
会場からは明瞭な減少傾向に唸りの声が上がる。
発言の回数の低下を表すグラフ中の青色を見て、「これが本当のマリッジブルーか」とひとりごつ者さえもいた。
新婦は朗々と続ける。
「しかし、この口数が減った状況は、本当に悪いことなのか客観的に推断する必要があります。そこで私は、この状況の解釈性を高めるために、当時の私たちの関係性を可視化することにしました。なお、当時の私たちの関係性を説明する成分は非常に多くて捉えどころがなかったので、説明成分の次元数を圧縮してデータの傾向を見るのが妥当と判断し、主成分分析をすることにしました。こちらが結果です」

「このとき、横軸の第一主成分は、私のテンションの高低を示していて、縦軸の第二主成分は、彼の学習性無力感や諦念を表しています。この結果から言えることは、彼のよさである『寛容さ』は交際のなかで年々増していますが、私のテンションも同様に増大していたということです。
本データは、私の過剰な気分のたかぶりが原因で、彼からのツッコミや愛想笑いといった私へのフィードバックが減り、私が二人の関係のなかで自由に振る舞いすぎるようになっているといういわば『無菌状態の進行』を示唆するものでした。
このままでは、いつかしか彼は破断点を迎え、材料力学的にも精神が修復不可能な状態にまで分裂してしまうことが危惧されました。それは私たちの関係の終焉を意味します。そこで私は対策として、少し日常の声量を抑えたり、単位時間当たりの行動量および速度を落として、緩慢さや慎ましさを表現するといった方法が考えられました。なお本仮説については、未検証であり、今後の課題としています」
新婦は満足げに一度マイクを置く。近くにあったペットボトルの水を飲む。
ここで、誰とも交際経験のない年配の教授がおろおろと前に出てくる。
首にかけた参加者ネームプレートを手で触りながら、
「大変興味深い発表をありがとうございました。あのぉ、素人質問で恐縮ですが、えー、お二人が初めて手を繋ぐまでには、あー、どういった経緯があったのでしょうか」
本当に素人みたいな質問をする。しかし会場では笑うはいない。
新婦はペットボトルのキャップを閉めながら小さく頷き、マイクを手に取る。
「ご質問ありがとうございます。手を繋いだ件ですが、私たちは三回目のデートで、愛知県にある基礎生物学研究所に足を運びました。そこで小型水棲生物の飼育と様々な遺伝子解析に関わる基礎的なウェットとドライの実験体験をさせてもらったのですが、その最中に、乾燥で蓋が固まってしまったメディウム瓶がどうしても開かないと彼に手渡したところ、私の手と彼の手が接触しました。その接触が、当時これは私の憶測でしかなかったのですが、明らかに彼が私に好意を抱いていると説明できるような恣意的な接触だったので、その時点で私の方からも積極的に手を握りにいく妥当性が見い出せました。そこで、すべての実験を終えて研究所を出る際に、私の方から『早くしないと次の電車が出ちゃうよ』と名鉄のダイヤを口実にしまして、彼の手を初めて取った、というながれになります」
「なるほど。それでは、その初めて手を握った際のサンプルの挙動はどうでしたか」
サンプルとは新郎のことだと、会場にいた誰もが理解できた。
「非常に明瞭な反応があったと言えます。まず途端にサンプル表面が湿り気を帯びました。これは交感神経優位になったことによる発汗だと考えられます。さらにこちらが手に力を加えたことで、同等以上の力で握り返されるという強い生命反応もありました。これは作用反作用の法則やエネルギー保存則からすると、サンプル側、つまり主人の方から握り返されたと考えるのが妥当です。それに加えて、サンプルの移動速度が増加しました。この歩行の加速運動は、恐らくサンプルの動揺を反映したものです。当時の私たちには次の予定がなかったので、一、二本電車に乗り遅れたところでそれほど問題ではないことは、サンプルも承知していたことは、研究所を出る前の些細な会話より確認済みです。なお、これらの顕著な反応が、私がサンプルの手を握ったことによるものだという因果関係は未検証で不明なのですが、たしかに強い正の相関はありました」
教授は薄くなり始めて頭を掻きながら、何かを考えるように視線を宙に巡らす。そして何かに納得したように頷く。
「なるほど、そのプロトコルで手をつなぐようにすれば、拒否されることもなく再現性がありそうですね。貴重なお話をありがとうございました。参考にさせていただきます」
教授は嬉しそうに去っていく。
次に新郎から成果報告が始まる。
「私が妻を結婚相手として選択した理由は大きく分けて6つございます。そのうちの4つ、つまり6分の4はですね、私よりも妻の方が頭がよいという理由に集約されます」
「ねえ、ちょっと」そこで新婦にタキシードの袖を引かれる。「約分して」
「あ、失礼しました。えっと、3分の2はですね、妻の方が頭がよいという話です。残り2つはですね、妻がかわいいということと、それから他人にやさしいという理由です」
新婦は腕を組んで、マイクを顎に当てる。
「すると、初めに『大きく分けて6つ』って言ってたけど、正確には3つじゃない? 妻の賢さ、かわいさ、やさしさの3つ」
新郎は研究室セミナーで教授に指摘を受けた学生のような青い微笑を浮かべる。
「ぐうの音も出ませんね。妻の賢さについては、もうすでにみなさんにおわかりいただけたかと思います。ここからは冗長さを省くために、妻の可愛さについて、先ほど妻が使った資料を用いて説明したいと思います」

「ねえ」と再び新婦の声が差し挟まれる。「引用するなら引用元を明記しないと剽窃になるよ」
新郎は手元のパソコンを操作する。
「これでいいかな?」
「うーん、引用の体裁は自由だけど、ある程度一般的な型はあるから守った方がよさそう。ジャーナルとか、今回みたいな結婚式はイタリックにかな、|Kekkonnshiki|の部分とか」

新郎は恥ずかしそうに、しかし妻の知性を誇るような清々しい顔をする。
「失礼しました。修正しました。こちらの図をご覧いただくとわかる通り、妻は奇行を日常的に繰り返します」
「行動です」
「ただ、どれも可愛いんですよ」
「あら」
「菓子パンを食べているときの顔は、まさしく東大のキャンパス内にある三四郎池で人からパンをもらうコイです。ローソン東京大学安田講堂店で買ったパンを妻とコイに交互に与えるのが、学生時代、お互いお金がなかったときの楽しみでした。しばしば、一緒にベンチに座るコイと池のなかを泳ぐ妻の区別がつかなくなったくらいですが、それもいい思い出です」
「ちょっとー、いまだって区別ついてないー」
「ごめんねえー」
会場ではアメリカのシットコムの笑い声のBGMのような笑いが起きる。先ほどの教授は帰りの電車の時間を調べて誘い文句の練習をしている。
「さて、私は妻と同棲するなかで、いかに彼女が研究熱心なのかを思い知らされることもありました。なんと妻は、最適な匂いを放つ洗濯洗剤と柔軟剤の組み合わせを見つてしまったのです。利益相反の都合で具体的な品名の公表は控えさせていただきますが、妻が夜な夜なデータ収集と官能検査をしている姿に私は一層惚れてしまいました」

「これは妻が集積したデータに基づき作図したものです。背景のピンクが濃くなっている部分が、事前にテストして判明した妻の好みの匂い帯です。そこにドンピシャで重なる匂いを発する組み合わせ、図でいうとギザギザバッチマークの匂いを発するような組み合わせを見つけたとき、妻は大変喜んでいまして、そんな彼女の姿を見て私も嬉しくなり、二人で洗濯機のように回ったのをよく覚えています」
二人で手を取り、その場で回る。会場では拍手が起きる。
「続いて、先ほどの妻の行動に関する図の説明のなかで、私が理詰めされるというものもありましたが、こちらは飛ばします。
それから妻はいまも赤本の再読が趣味でして、この間は赤本のなかでも一番分厚い東大の赤本の200ページ目あたりを開いて、それを枕にして寝ていました。それだけでも十分可愛いのですが、なんと妻は、先日私のために、その東大の赤本から問題編の冊子を外して、それを枕に使っていいと言ってくれました。つまりどういうことかと言いますと、問題編の方が解答編よりも薄くなっていまして、私なんかは低い枕がすきなので、ちょうどいいというわけです」
会場ではその話を聴いて、スマホでアマゾンのサイトを開く人が続出する。ゲストは「赤本 枕」という検索ワードに加えて、好きな厚さ(高さ)の大学名を入力している。
「さて、チンパンジー舎でチンパンジーの行動観察をするだけなら、いつもの彼女だと理解できますが、まさか、チンパンジーを見に来るホモ・サピエンスの方を観察すると言い始めたときには、さすがに可愛いすぎると思いました。妻はその場で7時間ヒトを観察し続けて、私は8時間妻を観察し続けました。あとで妻に話を聞くと、自分は観察を終えてすぐに帰ったというので、私は果たして最後の一時間何を見ていたのかと考えました」
「加えて妻の行動の図には、Natureの読書感想文とありますが、これはScienceやcellなどのトップジャーナルは最新号まで一通りやり終えて、最後にNatureということです」
会場からは新婦に関心の視線が注がれる。バックナンバーも含めれば、並大抵の仕事ではない。
「最後に『テレビリモコンとエアコンリモコンの分解と統合』ですが、こちらに関しては、正直私も困惑しています。妻のせいで、いまうちのテレビのチャンネルは、1から12以外に19から32が増えました。この19から32という値は、エアコンの設定可能温度に対応しています。そちらにチャンネルを合わせると、CNNや朝鮮中央テレビが入るようになりました。
それはよいのですが、問題はテレビのチャンネルもエアコンと連動するようになったので、番号をキー局に合わせると、室内が死ぬほど寒くなります。現在、実質地上波のテレビは、寒すぎてすべて視聴できていない状況です」
肩を落とす新郎に同情の眼差しを向ける者もいる一方で、研究者はテレビを見ないで、もっぱらXばかりを見ているという事実もあるので、テレビを事実上断ってXに傾倒せんとする新婦の気概と好奇心を支持する者もいる。
新婦は最後に自分のマイクを使わずに、夫からマイクを奪って勇ましく宣言する。
「最後に展望です。こうした研究課題や実績を踏まえて、今後私たちが目指す家庭像はただひとつです!」
スライドには、デカデカと以下の文字が映し出される。

最後に夫婦は声を揃えて、
――ありがとうございました。
と締める。
次は、乱数発生機で出力した数字を使って、カードを行列に見立てた、「行列ビンゴ大会」なる余興を提案しよう!
場を盛り上げるための音楽の生演奏は、「DNAバンド」なるグループを結成して……と、いろいろ考えてみたところで、やっぱり結婚式はふつうでいいと思った。
