見出し画像

家族のしあわせと自分のしあわせ

先日、久しぶりに熱を出した。
三連休は夫がずっと体調悪かった。火曜日に娘が登園して、夫が半休をとると聞いたらホッとしてしまったのだろう。

布団でガタガタと震えてる私を見て、夫が義母に保育園の迎えを依頼してくれた。
すぐに「いいよー」と返事。
ほっとしたのもつかの間、続けてラインの通知音。「母も昨日39℃」。

えっ。

結局夫が午後も休んで迎えに行ってくれた。
そんな体調なのに義母は煮物を仕込んでくれた。夫が受け取りに寄ったら「肋骨が痛い」と、かがみ込むように鍋に向かっていたそうだ。

その後医者に行って肺炎と診断されたとのこと。

我が家のことは置いといて休んだらいいのに。反対に昨日高熱のときに頼ってくれたらいいのに。

夫は男5人兄弟。義母はいつも「自分は感染症に強い」と豪語しているけれど、そうじゃない。体調悪くても無理して子どもや家のことをやり続けてたんだと思う。

やってくれる気持ちはとても嬉しいけど、申し訳なくて受け取れないことがある。0歳の夜泣きで寝不足でも、「お義母さんはこれを5人、誰にも頼らずに…」と考えてしまうから簡単には頼れない。



私の実母は全く違うタイプ。

先日「同居するときのために家を探してる」と急に言われた。

いやいやいやいや。同居する予定なんてないし。そもそも家を建てる予定ないし。え、私が両親見る確定?あれ、まだ60代よね?今まで孫と会うの1時間くらいの面会だけなのに、いきなり同居なんてできるわけなくない?

気持ちを抑え、できるだけ優しい言葉で伝えたけど「私のことキライなんだ」と言われて一方的に電話を切られた。

いや、そういうことじゃないんよ。
いや?そういうことなの?

娘なんだから、やって当然と思ってる。期待通りにならない私は悪い娘。「私のこと愛してるならやってくれるはず」という理論。

ずっとそれが苦しくて自分も責めたけど、家族なら相手の都合も考えずに何でも奪っていいってことはない。

愛とは…、与えること?奪うこと?犠牲?傲慢?




今になって「カフネ」を読んだ。めちゃくちゃよかった。

途中でこんな言葉が出てきた。

この子にとって何かを作って食べさせてあげることは、『好きだよ』って伝えることなんだなって。

「カフネ」阿部暁子作 p.247

ああ、これだ。私がご飯を作ることに必死になる理由。

子どもが風邪気味なら少しでも色の濃い野菜を食べさせたい。夫が出張帰りなら疲れてるだろうから具沢山の味噌汁を食べさせたい。

食育でも外食の値段でも添加物でもなんでもない。自分の空腹と同じくらいに、それ以上に痛切に、食べさせなければ!と思う。


人によって「これだけはやりたい」は違うと思う。

義母にとっては息子たちの生活のすべてを快適にしてやることが喜び(息子たち30過ぎてるけど)。
私の母は薬剤師として1日働くことが娘のため、だったと今なら分かる。

私にとってはそれがご飯を作ることなんだ。

でも、やったことが相手のしあわせには繋がらないこともある。
お腹空いてない子どもには絶対に食べさせることはできない。夫は味の濃い冷食やコンビニのお弁当の方が嬉しそうだ。

むしろ、イライラすんなら料理やんないでって言われる。

分かってる。

相手が受け取らないからって、自分の価値やお互いの関係が壊れる訳じゃないって。自分がクタクタになるほどやらないでいいって。
分かってるんだけど。むずかしい。

愛とは、きっと、相手と自分をどっちも大事にすること。相手のしあわせも考えるけど、自分自身のしあわせが何かも考えること。



義母も実母も、そんなこと分かってるんだけど、むずかしいのかもなあ。

いいなと思ったら応援しよう!

おがわ みずほ よければ応援お願いします! ご馳走作って子どもとパーティーします💕