モストマスキュラー!8「オンシーズン(1)」【#創作大賞2025 #恋愛小説部門】
「お疲れー」
「今日の晩ごはんどうしよっか?」
「悪い、俺はパス」
「えー!? 秀ちゃん、どうしちゃったの?」
金曜日の夜、運動後のお決まりコースから抜けようとする主宰。
「綾羽はどうする? 行きたいんだったら俺送るけど」
「ううん、今日は私もパスで」
「なんだよー、二人してコソコソ抜けようとして。あやしーなあ!」
サークルメンバーの好奇の視線と冷やかしを、秀ちゃんは慣れたように「怪しくない怪しくない」と笑いながら受け流す。私も小さく苦笑を返す。
サークルメンバーの冷やかしを振りほどいて、二人で駐車場へ向かう。
「良かったの? 俺なんかに付き合っちゃって」
「うん、いいの。今日は帰りたい」
「そう、じゃあお乗りくださいませ」
恭しく助手席の扉を開けるので、何事かと思っていたら「この間は本当に騒々しくてごめんね」と車内で謝り出す秀ちゃん。
「タカシくんが強烈だったけど、面白かったからいいよ」
呆気には取られたけれど、知らないことを知れるのは実際に面白かったと心から伝えると「それなら良かった」と安堵のつぶやきが返ってくる。
──あの後は、今までの時間がまるで冗談だったのでは、と思うくらい静かだった。
散々プロレス技をかけられたらしいカワノくんは「もう住谷さんマジで洒落にならないっすよ!」と、着ていた白いTシャツに草と土をたくさんつけた状態でトレーニング室へ戻ってきたかと思えば逃げるように帰ってしまい、技をかけた張本人のタカシくんも「じゃあ俺はOBと交流会だから」とトレーニングはそこそこに去ってしまった。ハードコアパンクはご丁寧にオフにして。
三人だけのトレーニング室は、やけにがらんとしていた。
「安藤、前々から言ってるけど、お前は明日からオンシーズンな」
何かがメモされているノートを開いて、アキラくんが命令口調になる。
「うん」
怯えているような秀ちゃんを不思議に思いつつ、以前から気になっていたことを尋ねてみた。
「オンシーズン? この間はオフシーズンって言ってたよね」
「うん、簡単に言っちゃうと減量期。食事制限なんだよね」
言い終わると、途端に暗い表情を浮かべる秀ちゃん。
私たちが想像する食事制限といえば、SNSで流行りの置き換えダイエットだったり、夜食を我慢したり、デザートの誘惑と戦ったり、食事のカロリーを細かく計算したり、といった程度だけれど。彼らのそれは、どうも次元が違うらしい。
「食事制限って、女性のダイエットとは違うのかな?」
「全然違うと思うよ。オフシーズン、俺たちブックブクに太るし」
「安藤みたいなデブを、どう脂肪を削ぎ落として筋肉だけにするかを科学する感じですね」
あえて秀ちゃんのトレーニングウェアの裾をめくって、ちょいメタボなお腹の肉を掴んでアキラくんが説明する。このお腹、割れるのかな。それはそれでちょっと興味がある。秀ちゃんはアキラくんにめくられてしまったウェアの裾を「もう!」と女子のように言いながら元に戻して整えている。
「今はみんなオフシーズンってこと? それにしては……あ、もしかしてアキラくんって太れないタイプとか?」
秀ちゃんと違って、メタボだとかちょいポチャとは程遠い姿のアキラくんをまじまじと見てしまう。
「ですです。どっちかと言うとオフシーズンの方が辛いっすね。食べなきゃいけないから」
「太るのも大変なんですね。羨ましい気もするけど」
「大会前に倒れるヤツもいるよ。なあ、アキラ」
ちらとアキラくんを横目で見る秀ちゃんの言葉に「倒れる!?」と軽く叫ぶと、余計なことを言うなと秀ちゃんに突っ込みを入れ、アキラくんが弁解とばかりにまくし立てる。
「そのギリギリを攻めつつコントロールして、ベストコンディションに持っていくのがボディビル、っすかね」
「全然知らなかった」
私が感嘆の声を上げると、アキラくんの表情が少しだけ厳しくなる。
「闇雲にトレしてたら筋肉つくとか勘違いされてるんで、たまにムカつきますけどね。そしたら世の中マッチョだらけだろと。ボディビルなめんなと言いたい」
心底悔しそうな声だったので、胸が苦しくなる。
──ああ、このスポーツが好きなんだな。そう思った。悔しがれるほど、好きなんだ。
青年といつかの私が、少しだけ被る。
「……というアキラのようなストイックなヤツもいれば、俺みたいに計画立てて頓挫する人間もいるのが現実です」
その横でのんびり構える蛙に、蛇が睨む。
「また失笑されたら、俺マジでキレるからな」
「また?」
訝しむと、秀ちゃんが「それはシーッ!!」とものすごく慌てた様子。
これはもしや弱味かしらと、少しつついてみたくなった。
「教えてくださいよ、アキラくん」
「あー、綾羽さんの敬語がタメ口になったら教えるっす」
俺、堅苦しいの苦手なんで、とやんちゃ坊主が悪巧みを考えているように言われる。
「じゃあ『お互いに慣れたら』教えてくださいね」
アキラくんも敬語だしね、と付け加えると、やんちゃ坊主が笑った。
◆
そんなわけで月曜日から秀ちゃんは減量を開始している。故に『外食は極力控える』と事前に教えてくれていたのだ。
「オンシーズンって、何を食べるの?」
「基本高タンパク低脂肪のもの。メインは鶏のササミかな。俺、食べるの大好きだから、この時期に突入すると本当に憂鬱で憂鬱で」
「秀ちゃん食べるの大好きだもんね。食べっぷりもすごいし。特に焼肉は」
以前、私の歓迎会と称して開いてくれた焼肉パーティで、目の前でどんぶりにこんもり盛られたご飯をほおばりながらカルビを美味しそうに食べていた秀ちゃんを思い出す。
もっともそれは序盤の出来事で、私は緊張のせいで珍しく酔っ払って会の後半を全く覚えていない。気がつくと、秀ちゃんに自宅前まで送ってもらっていた。
「これでもボディ部では少食な方なんだよ? 大会終わった直後の打ち上げなんて俺、ついていけないもん……」
「酒池肉林?」
「一般的な酒池肉林より酒池肉林感が半端ないね」
「体育会系の食事風景は見たことあるけど」
「あれの数倍恐ろしいね。飢えてるから」
対向車のヘッドライトで時折見える秀ちゃんの表情は、明らかに思い出し笑いだった。
緑の馬は今日も無事私の城へ運んでくれる。
「今日もありがとうね。減量頑張って」
「ありがとう」
「それじゃあ、また来週」
そう言って私が車を降りると、対向車線からマウンテンバイクがライトを点灯させてこちらへ向かってくる。三メートルくらい手前でブレーキの高い音が一瞬、住宅街に響いた。
「あれ? アヤハちゃんに安藤?」
「タカシ!」
秀ちゃんが開け放っていた窓から顔を出した。
「何やってんの、二人で」
上下黒のスウェット姿で黒のマウンテンバイクにまたがったまま、タカシくんが訊いてくる。
「サークルの帰り。タカシは?」
「俺は見ての通り、自警団」
見るからに怪しい自警団だな、と心の中で突っ込みを入れる。
「自主トレか、偉いな」
秀ちゃんには分かるらしい。男子語なのだろうか。もちろん私の心の中の独り言は二人には気づかれない。
「安藤、オンに入ったんだろ」
「アキラから聞いたのか」
「去年、お前調整失敗しただろ。今年最後なんだし、しっかりしろよ」
タカシくんが無精髭をたくわえた顎を撫でながら、暗闇でもわかる鋭い視線を運転席にいる秀ちゃんへ投げた。
「調整?」
その言葉に違和感を覚えて、思わず会話に入ってしまった。
「ああ、うん。いつ、どのタイミングで減量に入るかってこと」
「ん? オンシーズンが減量なんじゃないの?」
「この間はざっくり説明したもんね。食べるよ、食べるけど……」
開いた窓に肘をつき頬杖ついている馬車使いはそこまで声に出して、止める。
「あのさ、ここ市道だし、立ち話も何だからファミレスいかね?」
その提案に、黒の青年が皮肉めいて言った。
「お前、食う気だろ」
「食わねーよ!!」
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