🚲【ゲストコラム】自転車トライアル元世界チャンピオン・有薗啓剛さん#2〜「自転車トライアルって?」〜
オージーケカブトはオートバイ/自転車関連の各方面で活躍するご本人によるレポートやコラムなどを掲載中。今回、自転車トライアル競技の元世界チャンピオンで、現在は自転車パフォーマーのかたわら、子供たちのストライダー教室やMTBの普及活動などを行う有薗啓剛さん執筆による第2回目🫱
(1回目「自己紹介」はこちら)
🚲「トライアル」って?
数ある自転車競技種目の中でも“トライアル”を知っている人は少ないのではないかと思います。まずは競技の説明を軽くさせていただきます。
簡単に言うと、自転車による“障害物走”です😆
自転車競技というと、スピードや周回数、タイムを競うものが多いのですが、トライアル競技は「減点数」を競い合います。
イメージとしては、ゴルフに近いかもしれません。
おもに自然の地形を利用した複雑な「セクション」と呼ばれるコースが5〜10ヶ所設けられ、1セクションずつ、いかに足を着かずしてクリアできるか、をトライしていきます。

ゴルフの場合はパット数が成績となりますが、トライアルの場合は足着きの回数や転倒、コース外にはみ出さないか、などを減点方式で採点し競い合います。1セクションにトライできる人数は1名ずつで、制限時間内に全てのセクションでの採点を終え、総減点数で勝敗を決めます。
※上記ルールは私が選手として走っていた頃のルール。現在は、採点方式が異なり減点方式ではなく加点方式となっています。

🚲技術の習得は「独学」で!
さて私の生い立ちに話を戻すと、そんなトライアル競技に魅力を感じどんどんハマっていく少年有薗、当時はインターネットなどはなく、動画を手軽に見られる環境もありません。指導者やスクールなんてのもなく、独学にて習得するしか方法がありませんでした。
唯一参考としたものは、当時の世界チャンピオン“オット・ピ🇪🇸”選手のビデオ(VHS)でした。このビデオを本当によく見ました。スロー再生→巻き戻し→スロー再生 を繰り返し繰り返し、30分のテープを2時間くらいかけて見ていました🧐ビデオのイメージを頭いっぱいに詰め込んで、実践。昼夜関係なく外に飛び出してはイメージ通りにいくまで自転車に乗り続けました。トレーニング方法は「ひたすら乗る!」1000本ノックの理論。数やりゃ上手くなる!スタイルです。いま考えると非効率でしたが、とにかく楽しくてたくさん乗っていました。

👨🦱競技に出るきっかけは?
小6のゴールデンウィークのこと。近所で開催されたアウトドア系イベントで、当時の全日本チャンピオンによるトライアルのデモンストレーションが行われると聞きつけ、同級生らと共に観に行きました。
そこでチャンピオンのパフォーマンスを目の当たりにし、衝撃を受けました。パフォーマンス終了後に、同級生らと体験コーナーで遊んでいた時のこと。とあるおじさんに声をかけられ、私のライディングをみてアドバイスをくれたり、コースを実践風にレイアウトしてくれました。また、上達する秘訣として大会に出場することを勧められました。彼こそ当時の近畿トライアル組織の代表“三宅 修”さんでした。
言われたとおり数ヶ月後には、京都の亀岡で開催された地方選手権(組織による正式な大会)に出場していました。
ビギナークラスですが、結果は「優勝」。
この勝利によってさらに両親の勢いが増すこととなりました。

⛑プロ意識の芽生え?
大会出場から数日経たある日のこと。三宅氏より電話があり、氏が手掛けるトライアル専用車“セルベッサ”のサポートをいただけることとなりました。
この時の心境は、夢にまで見たチャンピオンマシンに乗れる嬉しさとは別に早くも気分は“プロ気取り”。
中学生だったので深い意味はありませんでしたが、
機材を提供されて全国を転戦する=プロ、みたいな単純な感覚です。

その頃はトレーニング方法にビデオカメラを導入することで格段にスキルが上達し、効率的にスキルを伸ばすことができました。このカメラマンが父親であり、ビデオを見ながらアドバイスをくれるコーチ役も父親でした。父親自身、自転車やモータースポーツに興味関心があったわけでもなく、急に息子の自転車競技に付き合わされ、コーチといっても全てが手探りで試行錯誤でした。今ではMTBのコーチングも全国的にちらほら見られますが、当時は競技の歴史も浅くコーチングをお願いできるような環境ではなかったですね。そんな中学生時代を過ごしました。

🌏世界への挑戦🇯🇵
出場する大会は地方選手権から全日本選手権へと、全国を転戦するようになり、出場する大会はほぼ優勝し、高校2年生(1995年)のときに最高峰クラスのチャンピオンを獲得。全日本選手権においては、初出場(ビギナークラス)以来、すべての大会で優勝をし、16歳から24歳の9年間で43連勝という記録を残しました。
高2で日本チャンピオンを獲得した翌年(1996年)に、世界選手権出場の誘いを受けました。声をかけてくれたのはMTBダウンヒル日本チャンピオン17連覇の記録を持つ、あの末政実緒選手のお父さんでした。実緒ちゃんも当時トライアル競技をやっていて「一緒にどう? 世界を見るチャンスはそう多くあるものじゃないよ!」と声をかけてくれたのです。

初めての海外は、空気、景色、会場の雰囲気など見えるもの、聞こえるもの、匂うもの、肌で感じるものすべてが新鮮で「別世界」とはこのことだ!!と衝撃を受けました。
1996年世界選手権シリーズ、第一戦スペイン4位、第二戦スペイン2位、第三戦チェコ2位、そして最終戦は日本、岐阜の板取という場所で行われました。シリーズランキングで同率2位のマーティン・ミハーリ選手(スロバキア)との一騎討ち、という見る側からすると、接戦!どっちが勝つ?みたいな面白みがあったかもしれませんが、本人としてはチャンピオン確定、凱旋帰国!をやりたかったんですよね…。大会前日は緊張で寝られなかったことを思い出します。幸いホームでの戦い、温かい応援で皆さんが担いでくれたことなどが功を奏して私に軍配が上がり、世界チャンピオンの座に着くことができました。

🌏ワールドチームにも所属
高校3年生で世界チャンピオンとなり、翌年からは大学に進学、競技も続けました。大学3年生の時、ご縁あってキャノンデール・ジャパンと契約をさせていただけることになりました。
キャノンデールといえば「VOLVO/CANNONDALE」という世界最強クラスの選手たちが集まる、当時は誰もが憧れるMTBチームの存在がありました。しばらくはキャノンデール・ジャパンの専属ライダーとして活動させていただきましたが、これまでの実績が認められ、ワールドの「VOLVO/CANNONDALE」で活動させていただけることとなりました。
これを機に、市販車両ではなくワールドチーム専属ライダーに供給されるトライアル専用マシンを乗らせていただくこととなりました。
当時はこのマシンに乗れることに憧れていたので、家に届いて箱を開けた時のあの感動は今でも忘れないです!


ワールドチームに所属したことで活動は競技を中心としつつ、それ以外のパフォーマーとしての活動やテレビ・雑誌・ラジオなどメディアにも出演させていただく機会が格段に増え、この頃から活動が多岐に渡りました。
トライアルの動きや派手なパフォーマンスは、メディアでのウケがよく多くのメディアで紹介いただき、テレビ番組の1コーナーでトライアル企画のものができたり、海外でロケをしたり、大会会場にニュース番組の取材が入ったりと選手以外の機会を多くいただきました。


大学を卒業後、プロとして活動をしていく中で活動はさらに加速し、またも転機が訪れます。
次回は、エンターテイメントの舞台へ進むこととなった経緯などについてお話ししたいと思います。
