「いつか行きたい」と言い続けて、私は50歳になりかけた。──慎重派OLが世界を走り出すまで
(2026年6月追記:50歳の誕生日に走ったヘルシンキの章を加えました)
一、断念の履歴
「ニューヨークシティーマラソン、出てみない?」
マラソンを始めて2年目の頃、友達にそう声をかけてもらった。
でも私はすぐに、頭の中で計算を始めた。フル完走はまだ1回だけ。もし自分だけ当選して、一人で渡米することになったら。そもそも、ニューヨークを走れる実力が今の自分にあるのか。楽しみより不安のほうが圧倒的に大きくて、挑戦する前に断念した。
しばらくして、YouTubeでシドニーマラソンの映像を観た。海沿いを笑顔で走るランナーたち。街全体が祝福しているような空気。「私も、あんな場所で走ってみたい!」と思った。でも今度は、仕事の都合で日程が合わなかった。また、断念。
気づけば私には、「いつか行きたいリスト」がどんどん積み上がっていた。
二、今が一番若い
ホノルルマラソン。12月開催。有休が取れそうだ。
「一緒に行こうよ」と友達を誘った。けれど、今度は友達が休めない。
また諦める?
英語も得意じゃない。海外レースなんて未知の世界。一人で行くなんて、不安しかない。
でもその時、ふと思った。
ここでやめたら、きっと私は一生「いつか行きたい」と言い続けるだけになる。来年も走り続けている保証なんてない。
今が一番若い。
それは、50歳に近づいてきた今だから、骨身に染みて分かることだった。20代の頃は「人生長いな〜」と本気で思っていた。でも時間は、思っているより静かに、確実に過ぎていく。
やらない後悔のほうが怖い。
そう思ったら、「一人で行こう」と腹が決まった。
旅費は正直、高かった。円に換算するたびにクラクラして、途中から計算するのをやめた。心臓がもたないと思って(笑)。
でも、ハワイの空気、青い空、のどかなビーチ、あのゆるやかな時間。それだけで「来てよかった」と思えた。

三、キラキラしていなかった
レース当日。
想像と、全然違った。
スタート前から大雨。靴もウエアもずぶ濡れ。「ホノルルマラソン」と聞いて思い浮かべていたキラキラした南国の朝は、どこにもなかった。
10キロ、ハーフ、フル、全カテゴリーが一斉にスタートする。それがどういうことか、走り出して初めてわかった。とにかく、混む。序盤から人の波がずっと続いて、それだけで体力が削られていく。時間が経つにつれ、雨が上がっても今度は気温が上がってきた。
ヘトヘトでゴールした。
正直に言う。
「もう2度と、ホノルルは走りたくない」と思った。
なのに。
ゴールして少し経ったら、頭の中にふっと言葉が浮かんだ。
「次、どこの国走ろう?」
我ながら、笑ってしまった。人って、不思議だ。
あれだけしんどくて、「もう走りたくない」と思ったはずなのに。体はまだ疲れているのに、頭の中にはもう、見知らぬ街のスタートラインが浮かんでいた。
たぶんこれが、ランニングの楽しいところなのだと思う。走るのが好きか?と聞かれたら、「大好き!」と答える自信はない。やっぱりきついし(笑)。
でも、走ってる時、走り終わった時の爽快感は、ランニング始めてよかった!と心の底から言える。
ホノルルマラソンがキラキラしていなくてよかった、とさえ今は思う。もしホノルルが完璧に楽しかったら、「あれは特別な体験だった」で終わっていたかもしれない。ずぶ濡れで、疲れ果てて、それでも「次」を考えていたから、私は本当に走り続けるのだと確信できた。

四、まず、街を走れるか試してみた
2026年。私はできる限り海外を走ることにした。
最初に選んだのはシンガポール。大会ではなく、まず「海外の街を一人で走れるか」を自分で確かめたかった。
2月の朝8時。気温25度、湿度89%。ホテルを出る前に少しだけ迷った。でも走り始めたら、街が観光地じゃなくなった。人の邪魔にならないよう道の端を走る。風が来る。汗をかく。足音だけが聞こえる。
「こんなところを毎日走れたら幸せだな」と、思わず立ち止まって景色を眺めた。
3日目の朝はアラブストリートへ向かった。昼間は観光客で賑わう通りが、朝6時にはひっそりとしていた。足音が静かな路地に響く。角を曲がった先に、黄金のドームが現れた。サルタン・モスク。朝の光に包まれたそれは、眩しいというより、やわらかく呼吸しているようだった。

観光地を「見る」のではなく、街を「感じる」。走ることで、初めて気づいた感覚だった。
怖い?と聞かれたら、少しだけ、と答える。でもそれ以上に、自由だった。誰にも合わせない。誰のペースでもない。自分の足で、自分の意思で、この景色に辿り着いたという感覚。

五、朝4時、ダナンで花火が上がった
3月。ベトナム・ダナン国際ハーフマラソン。
3連休を使って、仕事を1日も休まずに参戦できる大会を見つけた。スタートは朝4時30分。前日の夜、枕元に全部の荷物を並べながら、頭に浮かんだのは——「トイレ、大丈夫かな」だった(笑)。
だってコースマップにトイレマークが無かったんですよ。トイレが無いかもしれないと思うと、その事ばかりが頭の中を占拠していた。
目覚ましは2時にセット。
まだ真っ暗の中、ホテルの扉を開けた。南国の夜の空気が体にまとわりつく。スタート地点まで歩いて向かう。カウントダウン。
スタートラインの両脇から、火花が噴き上がった。夜空に向かって、光の柱が2本、まっすぐに伸びた。
ホノルルでは打ち上げ花火が夜空に上がった。あの時とは違う光だ。でも胸に来るものは、同じだった。1万人近いランナーが、同じ夜空を見上げていた。知らない人たちと、同じ場所に立っていた。
気温23度。夜明け前の風の中、走り出した。
ハン川沿いを走っていると、空がだんだんオレンジ色に染まってきた。地元の漁船が出港し始める。川沿いでは地元の人たちが、音楽に合わせて集団でエクササイズをしていた。日が昇る前から、だ。
「こんな朝が、この街の日常なんだ」と思った。

バイクが交差点で止まって、ランナーを通してくれる。かと思えば「早く走って!」とせかされることもある(笑)。完全に交通を止めないのがベトナム流。走りながら、笑ってしまった。
15キロを過ぎたあたりから、足が重くなってきた。気温も上がっている。残り6キロが、やけに長く感じた。
でも同時に、「もう終わってしまうのか」とも思っていた。
フルマラソンではなくハーフだからこそ感じる、この矛盾した感覚。まだ続けたい、でも終わりたい——これはたぶん、ハーフマラソンにしかない感情だ。
最後の3キロはビーチ沿いを走った。朝7時。波の音がする。もう泳いでいる人たちがいる。
ゴール直前、先にフィニッシュしたランナーが沿道から叫んでくれた。
「あとちょっとでこのきれいなメダルがもらえるぞ!」英語だったけど、伝わった。
ゴールの瞬間、両手を上げた。
「楽しかった!」と心から思えたのは、久しぶりだった。

六、シドニーは、静かに始まった
5月3日。HOKA Runaway Sydney Half Marathon。
スタートラインに立つと、道路標識に「Harbour Bridge」の文字が見えた。これからあそこまで走るんだ、と思ったら、まだ始まってもいないのに胸が高鳴った。
このレース、ウェーブスタートだった。最初の組が6時20分、最後の組はなんと10時7分。4時間にわたって、何万人もが順番にゲートを越えていく。
待っている間は音楽が流れ、MCが会場を盛り上げる。賑やかだ。そしてスタート時間になると——
爆竹も花火も上がらなかった。
ゲートが、静かに開いた。
「え、もう?」と思った(笑)。
ホノルルでは打ち上げ花火が夜空に上がった。ダナンでは地上から光の柱が噴き上がった。どちらも、スタートの瞬間に空気が変わった。だからシドニーも同じだと思っていた。でも4時間かけて何度もスタートが繰り返されるウェーブ制では、毎回派手な演出はできない。静けさには、ちゃんと理由があった。
走り出してすぐ、思った。
景色が、反則だ。
海がある。ハーバーブリッジがある。歴史的な建築が並ぶ。緑が多くて、空が広い。ホノルルとも、ダナンとも、シンガポールとも違う。
シドニーは、街ごと美しかった。走りながら何度も、「きれいだな」と声が出そうになった。
そして沿道から声が飛んできた。
「おはぎ、がんばれ!」
名前を呼ばれた。
ゼッケンに名前が印刷されていたのは知っていた。でも実際に自分の名前で応援されると、こんなに力が出るとは思わなかった。知らない人が、私の名前を呼んでくれる。それだけで、足が前に出た。
ゴール前、道幅が狭くなった。観客との距離が近い。声援が体に直接届いてくる。最後の力を振り絞ってスピードを上げた。
笑顔でゲートを抜けた。
HOKAのオレンジのリボンがついたメダルを首にかけてもらった瞬間、「シドニー、最高!」という言葉しか出てこなかった。

チェックアウトの朝、スーツケースを部屋に残したまま、シューズを履いた。最後の朝くらい、シドニーを走って終わりたかった。
サーキュラーキーから海沿いを東へ。オペラハウスを横目に、ハーバーブリッジを眺めながら走る。朝のシドニーは、ランナーだらけだった。老若男女、みんな走ってる。犬を連れて走ってる人もいる。
ミセスマッコーリーの椅子まで走って、少し息を整えた。
ハーバーブリッジとオペラハウスが両方見える場所。景色が良すぎて、しばらく動けなかった。

夕暮れのオペラハウスを目に焼き付けて、空港へ向かいながら、心の中で呟いた。
「また来る」と。
「いつか行きたい」と思っていた場所が、いつの間にか「戻ってきたい場所」になっていた。
あの頃の私には、想像もできなかったことだ。
七、雨でも、石畳でも
シドニーから帰って、ひと月。私は50歳になった。
40代最後のレースがシドニー、50代最初のレースがヘルシンキ。気づけば、そんなところまで来ていた。
出発は、波乱だった。前日、台風でフライトが10時間遅れると連絡が来た。慎重に慎重を重ねて組んだ予定が、出発する前から崩れていく。それでも、行く。荷物を抱えて、羽田で10時間待った。
ヘルシンキに着いたのは、夜中の2時。14時間も飛んできて、くたくたのはずなのに、空がほんのり明るい。白夜だった。真っ暗にならない街を眺めていたら、不思議と元気が戻ってきた。現金なものだ(笑)。

レース当日。天気予報は、雨の確率100%。
ホノルルは打ち上げ花火。ダナンは地上から噴き上がる光の柱。シドニーは静かに開くゲート。スタートの瞬間は、街ごとに違う。
ヘルシンキは——雨だった。
スタートを待つあいだに、ぽつぽつと降りはじめた。海沿いから住宅街へ。生まれて初めて走る石畳は、濡れて、一歩ごとに脚を削っていく。途中からは土砂降り。きれいに洗ってきたシューズが、またたく間に真っ黒になった。
正直、雨は苦手だ。体力は奪われるし、気持ちもしぼむ。
それでも、沿道から声が飛んできた。
「Good job! You can do it!」 ゴールが近づくと、「Almost there!」 歩きそうになると、隣を走るランナーが「Let's go, almost there!」と背中を押してくれる。
言葉は違っても、気持ちは同じだ。 国境を越えて、見知らぬ誰かと一緒に頑張れる。
雨でも、石畳でも、完走した。

50歳になって、最初のレース。ひとり、知らない国の雨のなかを走っている。心細くないと言えば、嘘になる。でも、私はひとりじゃなかった。沿道の誰かが、隣を走る誰かが、ちゃんと背中を押してくれた。
走るたびに、世界が少しずつ、知らない場所ではなくなっていく。

八、「いつか」は来ない
ニューヨークに行けなかった日の私へ。
あなたが断念したのは、当然だった。フル1回しか走っていなくて、英語も得意じゃなくて、一人で渡米する自信なんてなかった。
でも今なら言える。
あの時の「断念」が積み重なって、ホノルルで一人で腹を決める日が来た。ずぶ濡れで走り、ヘトヘトでゴールして、それでも「次どこ走ろう」と考える自分に気づいた。それがダナンの花火につながり、シドニーの名前を呼ぶ声援につながり、「また来る」という言葉につながった。
「いつか行きたい」という言葉は、とても便利だ。前向きに見えて、実は何もしなくていい理由になる。
いつか、なんて来ない。
来るのは、今日だけだ。
今が一番若い。ついこの間、私は50歳になった。20代の頃に思い描いていた「50歳」より、ずっと自由で、ずっと遠くまで来ている。
年齢を重ねるほど、じわじわと実感する言葉だ。特別な勇気があったわけじゃない。方法さえわかれば、一歩は小さくていい。エントリーして、飛行機に乗って、スタートラインに立つ。それだけでいい。
世界は、走り始めた人に対して、意外と優しい。
走れる体がある。時間を作れる。チケットは買える。
ならば、行こう。
静かなゲートは、今日も開く。
