AIで作った販売管理システムを、私は捨てた。――「作れる」と「必要」のあいだで考えたこと
AIのおかげで、システムも資料も広告も、驚くほどの速さで作れるようになりました。
私自身、AIで工場向けの販売管理システムを作り上げ、その出来栄えに興奮しました。――でも次の瞬間、ふと我に返ったのです。
「これ、本当に必要だったのか?」
と。
AIの圧倒的なスピードは、私たちが気づかないうちに積み上げてきた“ムダな仕事”を、早送り映像のように見せてくれているのかもしれません。
コンサルタントである私自身の仕事も含めて、考えてみたいと思います。
AIの進化が、本当にすごいことになっています。
興味を持った人たちが次々に新しいツールを試して、きれいな画面のシステムを一晩で作ったり、広告のクリエイティブを量産したり。
「こんなものができた!」
「この質でこの速さ!」
という報告が、毎日のようにタイムラインを飛び交っています。
私も製造業向けのコンサルティングの現場でAIを使い倒している一人ですから、この熱狂はよくわかります。
実際、仕事のスピードは劇的に上がりました。
ただ、最近あることをきっかけに、この熱狂を少し離れたところから眺めるようになりました。
今日は、その話をしたいと思います。
私がAIで作った「要らないもの」
きっかけは、ある食材製造工場の支援をしていたときのことです。
その工場には、受注から出荷までの販売管理がうまく仕組み化されていないという課題がありました。
そこで私は思いついたのです。
「これ、GAS(Google Apps Script)で販売管理システムを作ってしまえばいいのでは?」
と。
早速AIに要件を伝えると、コードがすらすらと出てきます。
受注の入力画面、得意先のマスタ管理、出荷状況の一覧。
少し手直しをすれば、ちゃんと動くものが形になっていく。
エラーが出ても、メッセージをAIに貼り付ければ数秒で修正案が返ってくる。
ひと昔前なら外注して数百万円、数か月はかかったであろうものが、目の前でみるみる組み上がっていきます。
気づけば私は、夢中になっていました。
「ここに在庫の引き当て機能も付けられるな」
「請求書の発行まで自動化できるかもしれない」
と、頼まれてもいない機能まで構想が膨らんでいく。
正直、興奮しました。
「自分はいま、価値を生み出しているぞ!」
という手応えすらありました。
ところが、ほぼ完成というところまで来て、ふと手が止まったのです。
「ん? 待てよ。これと同じことができるサービス、世の中にすでにあるよな……?」
調べてみれば、当然ありました。
月々わずかな利用料で使えて、機能も洗練されていて、しかも保守もアップデートも提供元がやってくれる。
一方、私が作ったシステムは、この先ずっと私が面倒を見続けなければなりません。
私に何かあれば、誰もメンテナンスできない属人的なシステムが工場に残ることになります。
冷静に比べれば、答えは明らかでした。
既存のサービスを使ったほうが、お客様にとっても私にとっても、ずっと良い。

私は、自分が作ったシステムを捨てました。
そして、考え込んでしまったのです。
あの数日間、私は確かに「何かを作って」いました。
手も動かしたし、頭も使った。達成感もあった。
――でも、世の中に必要なものは、何ひとつ生み出していなかったのです。
スピードが上がると、見えてくるもの
この体験から、私はあることに気づきました。
植物の成長は、肉眼で見ても何も起きていないように見えます。
けれどもタイムラプスで早送りすると、芽が伸び、葉が開き、ツルが何かに絡みつく様子がはっきり見えます。
AIがやったのは、これと同じことではないでしょうか。
これまで、仕事が生まれるスピードはゆっくりでした。
新しいサービスが立ち上がり、部署ができ、職種として定着するまでに何年もかかります。
だから
「その仕事は本当に価値を生んでいるのか?」
という問いを立てる前に、その仕事は既成事実になっていました。
ところがAIは、思いつきから成果物までを数時間に圧縮しました。
すると、
「作ったけれど、実は誰の役にも立っていない」
というサイクルが、早送りで目の前に映し出されるのです。
私の販売管理システムは、まさにそれでした。

ここから、ひとつの仮説が浮かびます。
ムダな仕事は、AI以前からずっと、大量に生み出され続けていたのではないか。
ただ、スピードが遅かったから誰も気づかなかっただけではないか。
人類学者のデヴィッド・グレーバーは、著書『ブルシット・ジョブ』の中で、“本人ですらその存在意義をうまく説明できない仕事が世の中に広がっている”と指摘し、世界中で大きな反響を呼びました。
あの本があれだけ読まれたのは、多くの人が薄々感じていたことを言語化したからだと思います。
AIの進化は、その「薄々」を「はっきり」に変えつつあるのではないでしょうか。
「症状」に対処する仕事
ここからは少し踏み込んだ話をします。
先にお断りしておくと、これから挙げる仕事に従事している方々を批判する意図はまったくありません。
どの仕事も、現に存在する困りごとに真面目に応えていますし、利用する側にも切実な事情があります。
その上で、「構造」として考えてみたいのです。
たとえば、退職代行サービス。
「辞めます」の一言を、お金を払って専門の業者に代弁してもらうサービスです。
利用者が増えているということは、それだけ「辞めたいと言い出せない職場」が世の中に存在するということになります。
このサービスは、目の前の利用者の苦しみを確かに解決しています。
けれども一歩引いて見ると、これは「病気そのもの」ではなく「症状」に対処する仕事だと言えないでしょうか。
もし「辞めたい」と普通に言える職場が当たり前になれば、この仕事は本来、存在しなくていいはずです。
同じ構造を持つ仕事は、ホワイトカラーの世界に意外なほどたくさんあるように思います。
制度が複雑すぎるから成立する、申請手続きの代行や支援
情報がうまく流通しないから成立する、人と企業の仲介ビジネス
発注側に知識がないから何層にも挟まる、ITの再委託構造

どれも、世の中の「摩擦」や「歪み」が存在するからこそ成り立っています。
摩擦を糧にする仕事は、摩擦が解消された瞬間に不要になる。
そして本来、社会が目指すべきは、摩擦の解消のほうのはずです。
実はこの考え方、製造業の現場では昔から常識とされてきました。
工場では、不良品を直す「手直し」という作業があります。
手直しをすれば製品は出荷できるようになりますから、一見、価値を生んでいるように見えます。
けれども現場では、手直しは付加価値を生まない作業だと教わります。
本来やるべきは、手直しの腕を磨くことではなく、不良が出ない工程をつくること。
つまり「症状への対処」ではなく「原因の解決」です。
品質管理の世界では、これは議論の余地のない大原則です。
モノづくりの世界で当たり前とされてきたこの原則が、なぜかホワイトカラーの世界では適用されてこなかった。
むしろ「手直し」にあたる仕事が、立派な産業として拡大してきた。
――製造業の現場を歩いてきた私には、そこに大きな違和感があるのです。
「付加価値の創造」という言葉をよく聞きます。
けれども、症状への対処や摩擦の仲介をどれだけ増やしても、それを「価値の創造」と呼んでいいのか。
――私は、そこで一度立ち止まりたいのです。
ちなみに、同様に付加価値を生んでいないと思われる補助金の活用支援は、私自身の業務のひとつでもあります。
つまりこの問いは、他人事ではなく、自分の足元に向けた問いでもあります。
人の流れが、静かに歪んでいる
この話が単なる抽象論で終わらないのは、人材の配置という、極めて具体的な問題につながっているからです。
いま、建設、物流、製造、インフラ保守といった、社会を物理的に支える現場の仕事が深刻な人手不足に陥っています。
いわゆる2024年問題に象徴されるように、
「モノが運べない」
「建物が建てられない」
「設備が保全できない」
という事態が、すでに現実になりつつあります。
一方で、若い人材の多くはオフィスワーク、いわゆるホワイトカラーの仕事へ流れ込んでいます。
その中には社会に欠かせない仕事もたくさんあります。
しかし、先ほど見たような「摩擦を糧にする仕事」にも、貴重な若い労働力がかなりの規模で吸い込まれているのではないでしょうか。
ここで強調したいのは、これは個人の選択の問題ではなく、構造の問題だということです。

「ホワイトカラー=良い仕事、現場仕事=避けたい仕事」というイメージは、教育の中で、家庭の中で、社会の空気の中で、長い時間をかけて作られてきました。
だから多くの人が、自分の向き不向きや、その仕事が生み出す価値とは関係なく、「イメージの良いほう」を選びます。
それは、一人ひとりにとってはむしろ合理的な行動ですらあります。
けれども、その結果として何が起きるか。
本人の持ち味と仕事の中身が噛み合わないまま働く人が増えます。
手を動かしてモノを作ることに喜びを感じられたかもしれない人が、興味の持てない資料作成に消耗していく。
それは本人にとって不幸であるだけでなく、生み出されるサービスの質にも跳ね返ります。
企業のITシステム開発プロジェクトの多くが期待どおりの成果を出せない、と長く言われてきた背景にも、多重下請けの構造の中で、こうした適性と配置のミスマッチが積み重なってきたことがあるのではないかと私は見ています。
誰かが怠けているから、ではありません。
「何が必要な仕事か」ではなく「どのイメージが立派か」で人が配置されてしまう構造が、働く本人も、サービスの受け手も、社会全体も、少しずつ不幸にしているのだと思います。
付け加えるなら、そもそも「現場仕事=避けたい仕事」というイメージ自体が、もう実態と合っていません。
私が日々歩いている製造業の現場では、データを取り、分析し、工程を設計し直すといった知的な仕事がどんどん増えています。
自分の改善が目に見える形で成果になる面白さは、オフィスワークではなかなか味わえないものです。
イメージと実態のずれを埋めることもまた、解消されるべき「摩擦」のひとつなのでしょう。
AIは、この歪みを直す側にも働ける
ここまで読むと暗い話に聞こえるかもしれませんが、私はむしろ希望を感じています。
なぜならAIは、ムダな仕事を量産する道具にもなる一方で、摩擦そのものを解消する道具にもなるからです。
複雑な制度の申請が、AIに聞けば誰でもこなせるようになれば、代行の仕事は減っていきます。
情報の非対称性がAIで埋まれば、不透明な仲介も減ります。
システム開発も、何層もの伝言ゲームを挟まずに、現場をいちばん知る人が自分の手で要件を形にできる時代になりつつあります。
つまりAIには、「症状への対処」で成り立っていた仕事を静かに消しながら、人間を「原因の解決」と「本当に必要な仕事」へ押し出していく力があるのです。
現場のリアルな課題を解く仕事、人の手と判断がどうしても要る仕事の価値は、むしろこれから上がっていくはずです。
冒頭の食材工場の話には、続きがあります。
自作システムを手放した私がその工場で本当にやるべきだったのは、システムを作ることではありませんでした。
「そもそも、なぜ受注情報が現場にうまく伝わらないのか」
――その原因を、現場の方々と一緒に突き止めることでした。
ツールはあくまで手段で、解くべき問題は別のところにあった。
AIがシステム作りを一瞬で済ませてくれたからこそ、私はようやく本来の仕事に時間を使えるようになったのだとも言えます。
ただし、それには前提があります。私たち一人ひとりが、「本来、何が必要なのか」を問い直すことです。
問い直さなければ、AIはただ、ムダな仕事をこれまでの100倍の速さで量産する機械になります。
私があの販売管理システムを作ってしまったように。
私の仕事も、要らないかもしれない
最後に、白状しておきたいことがあります。
この問いの刃は、当然、私自身にも向いています。
私は製造業向けのコンサルタントとして、現場改善や品質管理、人材育成のお手伝いをしています。
けれども突き詰めれば、私ができることをみんなができるようになれば、あるいはAIが代替できるようになれば、私の仕事は要らなくなります。
「コンサルタントの仕事は、自分が要らなくなる状態をつくることだ」
と言えば聞こえはいいのですが、本音を言えば、怖さもあります。
それでも、自分の仕事を「既成事実だから」と守りに入った瞬間に、私自身が「摩擦を糧にする側」に回ってしまう。
それだけは嫌だと思っています。
だからいま、改めて考えています。
自分にできることのうち、本当に世の中に必要なことは何なのか。
AIに任せるべきことは任せて、自分は何に時間を使うべきなのか。
おわりに
AIで販売管理システムを作り、そして捨てた数日間。
あの体験が教えてくれたのは、こういうことでした。
「作れること」と「作るべきこと」は、まったく別物である
ムダな仕事は昔から生まれ続けていて、AIの速さがそれを見えるようにした
症状への対処ではなく、原因の解決にこそ向かいたい
そして、その問いはまず自分自身の仕事に向けるべきである
AIの進化は、すべての働く人に同じ問いを突きつけているのだと思います。
「その仕事は、症状への対処でしょうか。それとも、原因の解決でしょうか。」
ものすごいスピードで世界が変わっていく今だからこそ、一度立ち止まって、考えてみませんか。
あなたの仕事は――そして私の仕事は――本当に必要でしょうか。
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