一緒の他人
雨。Apple Watchはあと二十五分で止むと言う。まあそれならとオフィスから地下街に降り、改札近くのカフェ・ド・クリエに入った。ロイヤルミルクティーのアイスを一つ頼んだ後で、ジャスミンティーラテが気になっていたことを思い出す。「最高等級茶葉 銀毫」の「ぎんごう」って結局なんなんだろ。壁を背にできるテーブルを見つけ、リュックを向かいの席に置く。ロイヤルミルクティーを一口飲んで、MacBookを広げる。ふと顔を上げると、壁沿いのカウンター席にA田さんが居た。
A田さんは今日もスーツの上着をしっかり着込んでいた。エアコンが効いているとはいえ、少し空気が重く感じるこのカフェでも、A田さんは上着を脱がない。うねった髪の毛が顔に垂れている。スマホをいじったまま、A田さんは頭を上げて身体を伸ばした。胸板が結構厚く見える。スマホをいじっていた人差し指が離れ、メガネのレンズを下からぐいっと押し上げた。
A田さんとは、ぼくが一度目の名古屋転勤の時にも同じ部署だった。職場の席は、ちょうどフロアの端同士だ。でもぼくたちは、仕事上ではほとんど言葉を交わしたことがない。それでも、誰よりも会っている気がする。
最初は社宅最寄駅のミスドだった。コーヒーはお代わり自由だし、脳に突き刺さるオールドファッションハニーの甘さを味わいながら小説が読める。シュガーコーティングされた表面に歯を立てると、ほろりと生地が口の中で崩れていく。よく言えば素朴、少し明け透けに言えば「地味」なオールドファッションから、舌の上に現れるしっとり感。そのギャップに、何度も驚いてしまう。一口目を想像しながら席につくと、目の前のカウンター席にA田さんが居た。コーヒーの赤いカップと、スマートフォンが机に置かれていた。
A田さんはぼくよりも十歳くらい年上だろう。以前はぼくもA田さんも、平社員だった。名古屋に来て一年で、ぼくは職位が上がった。平社員から初めての肩書がついたのだった。昇進から数ヶ月経った頃、A田さんが部長にメールを送っていたと部内の噂で聞いた。
「私は成果を出している。」
そんなことが書かれていたらしい。聞いてから数日後、席を立つと、向こうを歩くA田さんが見えた。背筋が伸びている。立ち止まり、少し距離を取る。ぼくはA田さんの背広を後ろから眺める。背広の裾に何かついてないか。それについて、話をすることもない。
ロイヤルミルクティーのグラスについた水滴を拭う。カフェ・ド・クリエにいるA田さんは、腕組みをしながら斜め上の虚空を眺めている。
ミスドで見かけてからは、様々なところでA田さんと出会った。最寄り駅から少し離れたコメダでは、背中合わせのボックス席に通された。社宅から逆方向の喫茶店ではカウンターの端っこ同士に座っていた。空港線沿いのデニーズでは、ドリンクバーの前ですれ違った。ぼくはジンジャーエールを持っていて、A田さんはコカコーラだった。その度に、お互い気づいていないことにして、なんとなく同じ空間にいた。A田さんは見かけるたびに、スマートフォンをいじっていたが、たまに文庫本を開いていることもあった。
A田さんが両手で前髪をかき上げ、こちらを見た。立ち上がり、店内を歩き、席に戻った。空になったグラスを片付け、レジに向かっていく。ぼくはおかわりを止め、席を立った。メニューを見上げるA田さんの後ろを抜けて、自動ドアをくぐる。
