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摩訶不思議 其の4 百箇日

 これは、今から40年以上前の話。私は若い頃、多摩ニュータウンの団地に1人で住んでいた。それは結婚するほんの少し前の、5月の夜だったと思う。
 夜中に寒くて目覚めると、私は雲の中に居た。目は覚めているが、自分の寝ている毛布の胸位までしか見えない。辺りは一面スモークを焚いた様に、真っ白な雲?霧?に包まれていた。「え?何?火事?…いや、寒いから…。何?何?」頭の中も真っ白になり、目だけがキョロキョロした。金縛ではなかったが、起き上がる事は思いつかず、訳が分からずキョロキョロ見渡していると、寝室の入口の襖の辺りがボンヤリと薄明るい。そこにある筈の襖はなく、ずーっと奥まで雲のモクモクが広がっている感じだ。何故かその薄明るい部分に視線が吸い寄せられ、目を凝らしていると、何やら遠く離れた所で、山だか階段だか、うつむき加減にゆっくり登って行く男性の姿が見える。モクモクの雲でその足元は見えない。どんな所を登っているのか分からないが、その人との距離は20〜30mはあったように思えた。言うまでもないが、私の寝室は4畳半だった。その中年男性は黒縁の眼鏡にスポーツ刈り、グレーのニットのポロシャツを着て、脇に紺色のラインが2本入ったグレーのスエットを履いていた。
 私に気付く様子はなく、ひたすら登り続けるその姿…誰?見た事ある様な、ない様な…誰?次の瞬間、私はこの人を思い出した。
 数ヶ月前、隼人(後の夫)の実家に行った時に会った隼人の叔父だ!彼は筋萎縮症を患い、車椅子に坐り、その姉である隼人の母が面倒をみていた。
 ん…⁈ 確か数ヶ月前に亡くなったと聞いた。会ったのは一度きりだったが、香典を送った。
 え?死んでる?死んだ人?幽霊?お化け?もう、私はパニックになり、毛布を頭まで被り、「南無阿弥陀仏…南妙法蓮華経…摩訶般若波羅蜜多心経…神様、仏様、助けて下さい。」と、思いつく限りの言葉を唱えた。怖くて震えながら、毛布からそろそろと覗くとモクモクの白い部屋…又、頭まで毛布を被り念仏を唱え、再び覗くと白いモクモク…又、毛布を被り念仏…何回繰り返しただろう?どれ位の時間が経ったのだろうか?
 チチチチチチ…と鳥の鳴く声がした。恐る恐る毛布から顔を出すと、いつの間にか夜が明けて、私は元の寝室に。
ノロノロと起き上がり襖を開ける。普段通りの部屋。何も変わった所はないが、私は恐ろしくていたたまれず、急いで身支度をすると部屋を出た。
 アレは何だったのだろうか?誰かに話したいが、誰も信じないだろう…。何故私の所に出たの?一度しか会った事が無い私に、怨みがあるとは思えない。いろいろな疑問が頭の中をぐるぐると回っていた。その日から私は自分の部屋に帰れなくなった。1人であの部屋に居られなくなり、私は実家や友人の家を数日泊まり歩いた。
 そんな中、この摩訶不思議な出来事は、誰にも信じては貰えないだろうと思い、話せずにいた。しかし、この上一度しか会った事が無い者に取り憑かれても怖いと思い、母の知人の尼さんを尋ねて、相談する事にした。
 私の話を、目を閉じて黙って聴いていた尼さんは、目を開けて「ふむ…その仏さんは、あなたに用があって出てきた訳ではないね。ただ、あなたの波長がテレビの電波みたいに、あの世と通じてしまって、あちらで修行する仏さんの姿を垣間見ただけで、これは只の偶然だと思う。その方(かた)多分百箇日を終えて、行く所が決まり、その修行をしているのでは無いかな。心配はない。」と言われ、ようやく、安堵し、久しぶりに部屋に戻ってみる事にした。
 すると間も無く、隼人から電話があった。当時、未だ携帯電話は普及しておらず、連絡は固定電話だけで、貧乏人隼人の部屋にはその固定電話すらなかった。
「何度も電話したんだよ。いったい何処に行っていたの?」「うん…いろいろあって、実家や友達の所に行ってた。」
その日のうちに隼人が訪ねて来たので、その一部始終を話した。すると彼は「不思議な話だな。」と言って、直ぐにうちから自分の実家に電話して、母親にその話をした。電話を切ると「ふむ…母さんも『不思議な事もあるもんだ。丁度先週百箇日の法要をしたばかりだ。』って。」と深いため息をついた。

 その後、私は隼人と結婚して、生まれて半年程の長男を連れて、隼人の郷里である秋田に帰省した。
 実家に着くなり隼人が「母さん、何か楽なズボン出してくれないか?Gパンが苦しいよ。」と言うと、義母は奥の部屋からズボンを持って戻ってきて、隼人に渡した。
畳んであるそれを広げて履こうとする隼人を見て、私は背筋が凍りついた。
「お母さん…それって、そのジャージ、叔父さんが履いていたのではありませんか?…」と声が震えた。義母は改めてそれを見て、「んだな…そうだかもすれね。」と言った。それはまさに、あの夜私が見た脇に紺の2本線のあるグレーのスエットだった。

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