戦後の国鉄3大ミステリーのひとつ、下山事件。すべてが謎だらけの事件だが、あらためて経緯を顧みて、下山総裁お付きの運転手の言い分はおかしいよなあ、という話
なにからなにまで謎に満ち溢れたこの事件。朝、出勤前に運転手を車に残し、日本橋の三越百貨店に入っていった下山総裁。結果、総裁は車に戻ることなく、行方不明に。運転手がそれを知ったのは夕方近く、車内のラジオで総裁失踪の一報を聴いてのことだった。
以下、wikiよりそのあらまし。
1949年7月5日7時起床(当時の日本には夏時間が導入されていたため、通常の6時に相当。以降の時刻も同様)、家族と朝食を共にする。8時20分に出勤のため、大田区上池台の自宅を公用車のビュイックで出発。芝公園前を通って御成門を過ぎたところで、下山が「佐藤栄作さんのところに寄るんだった」と言ったので、運転手の大西政雄が「引き返しましょうか」と聞いたところ、下山は御成門交差点を過ぎた辺りで「またにしよう」と大西に言った。車はそのまま日比谷方面に進んだ。
8時45分ごろ、車が日比谷を抜け和田倉門に差し掛かったところで、下山が「買い物をしたいから、三越に行ってくれ」と指示した。大西は大手門停留所に来てから右折して三越に向かったが、その際に下山は独り言のように「今日は、10時までに役所(国鉄本社のこと)に行けばいいから・・・」と呟いた。大手町を過ぎて国鉄高架下をくぐったあたりで「白木屋でもいい、まっすぐ行ってくれ」と大西にはっきりした言葉で指示した。
車が白木屋の角まできたところで、店のシャッターが閉まっているのが見えた。下山は大西に「左に廻って」と三越に向かうように指示。車は日本橋を渡って三越前まで来たが、三越も閉まっており、正面玄関前には「9時半開店」の表札があった。大西は「開店は9時半ですね」と下山に教えると、次の指示を求めたが、下山は短く「うん」と答えただけであった。そこで大西が「役所までまいりますか」と、今度ははっきりとした声で指示を求めた。下山は短く「うん」と返事をしたので、大西は国鉄本社にようやく出勤するものと考えて車を発進させた。
車を発進させてすぐに下山が「神田駅にまわってくれ」と指示したので、大西は新常盤橋を右折して、神田駅の西口まで車を走らせた。大西は下山に「お降りになりますか」と聞いたが、下山は「いや」と言って車から降りることはなかった。大西は今度こそは出社するのだろうと考えて、車を発進させると国鉄本社を目指し、東京駅北口の高架下をくぐって、国鉄本社の近くまで車を走らせた。室町三丁目交差点に来ると下山が「三菱銀行(このときは財閥解体命令で実際の商号は千代田銀行になっていた)に行ってくれ」と大西に指示した。これまで何度も行先を変えられたが、下山が行先を変えるのは日常茶飯事であり、大西は特に異変は感じていなかった。やがて車が国鉄本社ビルに近づくと「もっと早く走れ」と怒るような声で命じている。これに対して大西は「総裁は職員に顔でも見られるのがいやだったのでしょう」と、下山が気まずい思いをしたので感情的になったと考えていた。
9時5分ごろ、千代田銀行に到着。下山は大西を待たせて1人で銀行店舗内に入り、銀行係長から貸金庫の鍵をもらうと、地下の貸金庫室に入っていった。後の捜査で、このときに下山は貸金庫から百円紙幣25枚を出したことが判明している。その後、鍵を銀行女子行員に返却しているが、この行員の記憶では、その時間は9時25分ごろであった。
下山は車の後部座席に座ると、大西に「これから行けばちょうどいいだろう」と言った。大西は三越の開店時間のことを言っていると考えて、三越に向かって車を走らせた。車は下山がよく利用する三越南口に到着したが、下山は「まだ開いていないんじゃないか」と大西に話しかけてきた。大西は車から降りて後部ドアを開ける際に「もう人が入ってますよ」と答え、それを聞いた下山は車から降りて三越南口に向かって歩き出したが、3歩ぐらい歩いた後に一旦引き返して「5分くらいだから待ってくれ」と大西に指示し、今度はそのまま三越南口から店舗内に入って行った。下山が入店した時間は、大西の記憶では9時37分ごろであった。車内には書類の入った鞄と昼食の弁当が残されていた。約束の時間になっても下山が帰ってくることはなかったが、「5分ばかり待て」は下山の口癖で実際に約束が守られたことはなく、大西は「いつものことなので気楽に待とう」と考えて、このまま夕刻まで下山の帰りを待ち続けることとなる。

ていた米国製1941年式ビュイック
大西運転手の弁でおかしいのは、「『5分ばかり待て』はいつものことだった」。それはわかるとして、じゃあ、夕方まで戻ってこないのもいつものことだったのか? ということ。さすがにそれはないだろう。
出勤途中、これだけコロコロ行き先を変えたケースが過去に何度あったか定かじゃないが、仮にあったとして、それは認めるとして、時は優に経過してその日の日付は7月5日。総裁の決断として大勢の国鉄職員を首切りしなきゃいけない最終段階の状況にあって、その弁は、あまりにノーテンキ過ぎる。自分が運転手なら午後を過ぎたあたりで"ちょっと遅くね?"と危機感覚えるだろう(総裁は昼食用の弁当を車内に残している)。
そもそも、大西氏の言い分を聞いて、警察があっさり納得したのが腑に落ちない。おかしさを感じなかったのだろうか。
戦後の昭和にあって、まだまだ日本は呑気でのどかだったからという解釈があるが、いやいや、官僚の世界はまた別の話であり、GHQが思いきり関与し、改革現在進行系ならぬ改革現在バク進系の国鉄においてはまったく次元の違う話だろう。
大西氏は、本当になにも知らなかったのだろうか。総裁に関するよからぬ噂を小耳に挟んだ程度含めて──。
最後に、前記のwikiからもう一つだけ挙げておくとして。

なんともサラッと書かれているが、ここでの大西氏の発言及び思考も、(なにか心当りがあるならともかく)ノーテンキというか、些かズレている気がする。車内の顔を見られる以前に車自体見られたら(高級アメ車の1941年式のビュイックは目立ちすぎる)、"社に来ないで2人はどこに行ったんだ?"となるのが道理だろう。
