"わかり合うことは難しいけど 分かち合うことは僕にもできる"
文:チャプ太郎
2年ほど前から、唐突に服にハマった。沼にとらわれていると言ってもいい。どんどん興味の幅は広がり、ここ最近はもっぱら古着に熱を上げている。休みの日に予定まで1時間の余裕ができたとなれば、高円寺の古着街に繰り出し、何かと理由をつけてTシャツやデニムをお買い上げ。体は一つしかないというのに、と呆れてしまうが、人生で自分のためだけに時間とお金を使えるのも、もう長くないかもしれないと言い訳をしながら、クローゼットをパンパンにしていっている。
古着の世界では、ボロボロのスウェットやペンキが飛んだパンツが、ともすると新品より高価な値段をつけられていることがある。新品の洋服に意図しない穴が空いていたり、シミがついていたりしたら、アウトレットでB品セールになればいい方で、大概は売りに出せないだろう。ただ、古着屋では堂々と陳列されているどころか、これみよがしにレジ裏に吊るされていることさえある。そして多くの場合、そうした商品にはかなり気合いを入れないと購入できないような値段がついている。ダメージによって価値が生まれているのだ。
実際に僕も、新品の商品に穴が空いていたら買わないが、古着で裾が破れたリーバイスのデニムを買ったことがある(ちなみにこれは4,000円くらいだった)。むしろ、裾が破れてくれていてうれしかった。僕は男性としては平均身長より10cm以上身長が低く、かなり低身長の部類に入る。そうなると、古着でデニムパンツを買うのが難しい。丈の合わないパンツでも、丈を詰めて履けばいいじゃない、と思うかもしれないが、そうではない。特にデニムは経年変化による色落ちにロマンがあるため、丈を詰めてしまうと元々刻まれていたダメージがすべてまっさらになってしまったり、本来膝裏で刻まれていたダメージの位置がずれたりしてしまうのだ。この時点で、服好きの厄介さが相当伝わったと思う。話を戻すと、そのデニムは短い僕の足でも履けるレングスで、ちょうど地面につくくらいに落ち着く裾の部分が擦り切れて破れていた。つまり、前の持ち主は僕と同じような足の長さで、裾をちょっと引き摺りながら履いていたのだろう。試着してこれは運命だと舞い上がった僕は、たいして古くもなく、一般的にみたら価値が高いわけでもないデニムパンツを嬉々として購入した。
古着には、基本的に前の持ち主がいる。だからこそ、刻まれた傷やダメージには前の持ち主の物語があり、それに共感できたとき、服としての価値や購入する意味へと接続する。それを想像する過程や意味を見出すことに古着のおもしろさを感じ、僕は古着を買っている。ただ、傷というものを肯定的なイメージの枠組みでは決してとらえきれないようなできごとが起こってしまった。
2026年7月28日、僕の地元である熊本県が震度7の震災に見舞われた。10年ぶり3回目の震度7の揺れの知らせに接し、家族全員と連絡が通じるまでの時間はうっすらと覚悟のようなものを固めなければいけないような、目を背けたくなるような感覚に襲われ、これもまた10年前にも同じだったと思わされる。何度も遊びに行ったことのあるイオンモールの爆発事故のニュースは、信じたくない現実を突きつけてくる。
幸いにも、家族や近しい友人は無事だったが、特に被害の大きかった地域には親戚が多く住んでおり、家屋への被害は甚大だったと聞く。その1人である伯父は、親戚の集まりでは大きな声で話し、たくさん酒を飲む豪快な人だった。そんな伯父が、片付けの手伝いに行った父に対して、「早く帰れ」とくり返し、早々に帰らせたそうだ。人命が助かったことはもちろん喜ぶべきことなのだが、家具は倒れ、断水が続く街で暮らしていく中で、心は頑なになってしまい、親族でも想像できない傷が刻まれてしまっているのだろう。
1週間後に帰省しその伯父と会うが、伯父はそうした自分自身の心情についてはきっと語ってくれない。だからこそ、周りにいる僕たちが思いを馳せ、想像してあげなければならない。理解できると思い上がってしまうことはむしろ危険だが、刻まれてしまった傷を、その傷が刻まれるに至った過程を想像することはできる。そして、できればその姿勢が、何か癒しになってくれればいい。日頃から物語を想像することを、誰に頼まれたわけでもなくやっている。多分得意なんだろう。
高校の入学式で、「21世紀を生き抜くカギは『想像力』です」と教えてくれた黒田先生の教えを思い出す。僕の伯父の話は、もちろんニュースで報じられるようなことではない。それでも、こんなふうに新聞に載らない大変なことはたくさんある。身のまわりでも、強く当たってくる人や、心にもないことを言ってくるような人も、僕が想像も至らないような傷を抱えているのかもしれない。そうした部分に想像力を働かせる心の余裕や、懐の深さをなるべく多くの人が持っていられる社会であってほしいと切に願う。
