見出し画像

【エッセイ】『堪忍の袋と地雷と、キッチンと』第17章:信じるということ、裏切られるということ~「終わりの始まり」のBGMは、たぶんビリー・ジョエル~

手術は無事成功した。
「よかった」
「ほんとうに、よかった」
心の奥で何度も繰り返した。
涙は出なかった。
汗で流し切って、水分が残っていなかったのかもしれない。

退院後の暮らし
退院してからも、僕は走り続けた。
彼女の体を気づかい、家事を担い、子どもたちの送迎、弁当づくり、保育園と学校、役所手続き、家計管理。
そして仕事。
やれることは、全部やっていた“つもり”だった。
一方の彼女は、抗がん剤の副作用で増えた体重を落とすためジム通い。
体調も少しずつ戻ってきて、明るさを取り戻していた。
この数か月は、家族としての“小さな幸せ”の時間だったのかもしれない。
だけど…彼女の目の奥には、ときどきぽっかりとした「空白」があった。
どこを見ているのか分からない沈黙。
言葉にしない“遠く”を見ているような眼差し。
そりゃそうだ。
生きるか死ぬかの死闘を終えた人の心情なんて、計り知れない。
僕は、そう思っていた。
だからその夏、彼女が「里帰りしたい」と言ったとき、僕は即答した。
「行っておいで!!」
疑うことなく送り出した。
彼女に浮気の気配なんて、1ミリもなかったから。
彼女は死のふちから生還したばかりで、子どもたちの母であり、僕の命の恩人であり、守るべき理由そのものだったから。

浮気発覚
帰ってきた彼女は上機嫌だった。
「楽しかった」と笑っていた。
僕もただ、ひと言。
「よかったね」
その夜。
ふと目を覚ますと、隣で光がチカチカ。
彼女が携帯をいじっていた。
夢かな?
そう思ったけど、目に飛び込んできた文字は現実だった。
裏切り。混乱。怒り。
頭の中がごちゃごちゃになって、
鍋のフタとお玉を同時に落としたみたいな騒音が頭の中に響く。
「殴ってやろうか」
「いや、泣いてやろうか」
「いやいや、寝たふりでスルーか?」
感情が右往左往して、収拾つかない。
でも最後に、どうにか理性が口を開いた。
「家族を壊したくない」
…ここで頭の片隅に浮かんだのは、徳川家康公。
「堪忍袋は首に下げよ。破れたら縫え、また縫え」
いやいや、家康さん。
僕の堪忍袋、もうミシンでも間に合いませんて。
てか首から下げてたら重すぎて寝られませんて。
でも、その夜だけは不思議と、
その破れかけの堪忍袋にしがみつくしかなかった。
怒りを抑えて、携帯を取りあげ、相手に電話した。
結果は、間男あっさり白状。
数秒間、僕の思考はフリーズした。
…ほんと、笑うしかない。
寝不足と混乱と堪忍袋。
人生、まさかこんなコラボになるなんて。
そして、頭の中ではビリーが静かに歌っていた。
一晩中。
責任と愛情のズレ
いくら尽くしても、「愛されてないな」と思う瞬間はある。
視線のズレ。
コップをテーブルに置く時の音。
返事のタイミング。
その小さな違和感が、無言で語りかけてくる。
「もう気持ちはここにない」と。
それでも僕は立っていた。
責任だけを理由に。
子どもたちを守るために。
そして、誰かに「逃げた」と言われないために。

誰にも見えない強さ
人生って、踏ん張りどころを“誰にも見せなくなったとき”に、
本当の強さが問われるのかもしれない。
その裏側では、誰にも分かってもらえない寂しさが、
静かに、じわじわと育っていく。

サレ夫として、自分を保つということ
世の中には、たくさんの「サレ夫」「サレ妻」がいる。
テレビでも雑誌でも、いくらでも目にする。
でも、どうやって自分を保っているんだろう。
この頃の僕は、毎晩そんなことを考えていた。
責めてもしょうがない。
でも、許せるかといえば、そんな簡単な話じゃない。
人の心って、ほんとうに難しい。


章あとがき:裏切り、それは信じた者だけが背負う孤独がある。
この章では、僕が“完全に無防備だった”瞬間を描いています。
疑う理由がなかった。信じていたから。
でも、
裏切りって、信じた人にしかできないんですよね。
もしも僕が冷めた人間で、
「どうせ、誰も信用なんてできない」と斜に構えていたら、
こんなに傷つくことは、なかったのかもしれない。
だけど僕は、信じていた。
子どもたちと家族を、必死に守ろうとしていた。
それが、僕の“しくじり”だったのかもしれない。
でも同時に、誇りでもある。
そんなとき、ふと頭に浮かんだのが、
織田信長のこの言葉だった。
「理想を持ち、信念に生きよ。
理想や信念を見失った者は、戦う前から負けているといえよう。
そのような者は廃人と同じだ。」

信長ほど、裏切られてきた武将もいないだろう。
それでも彼は、天下を夢見て、信念を手放さなかった。
僕もまた、あの夜、スマホの明かりに心を一刀両断されながら、
ギリギリで立ち続けられたのは、
まだ自分なりの「理想」と「信念」があったからかもしれない。
裏切られても、立ち上がる。
それが、サレ夫・足軽頭の誇りってやつです。
だから、僕は、泣く代わりに、麦茶ラテをゆっくり飲んだんです。
スパイスは要らない。
信じるって、ちょっと疲れるから。


巻末レシピ:水分補給は心のケア
『飲み物って、身体じゃなく心が欲しがるときもある』
1. やさしさ麦茶ラテ(ノンカフェインVer.)
麦茶(冷・無糖)…150ml
牛乳または豆乳…150ml
きび砂糖(またはハチミツ)…小さじ1〜2
仕上げにシナモン少々(お好み)
耐熱カップで温めても、氷を入れて冷やしてもOK。
寝る前、今日の戦を静かに振り返るのにぴったり。
2. きゅうりとレモンの“戦のあと”ウォーター
きゅうりスライス…3〜4枚
レモンスライス…1〜2枚
ミントの葉…1枚
水…500ml(冷水でも常温でも)
水筒に入れてしばらく置くだけ。
→ むくみ解消、疲労回復、イライラ抑制。
これぞ“胃腸も心もクールダウン”系サポートドリンク。


台所・心の一句:「夢なき刃 ただの鉄なり 愚かなり」


いいなと思ったら応援しよう!