【エッセイ】『堪忍の袋と地雷と、キッチンと』第23章:強制執行、されど正義は我にあらず~離れの障子の向こうで泣いていたあの子を、僕らは取り戻す~
結審から、半年
関ヶ原の合戦―裁判には勝った。
大阪冬の陣―東京高裁でも勝った。
通知も届いたし、弁護士の笑顔も見た。
なのに、四女が戻ってこない。
まさかの、“勝って終わりじゃなかった日本昔ばなし”。
そこで僕らは、いよいよ最後の切り札を切る。
そう。大阪夏の陣の火蓋か切って落とされたのです。
「強制執行、お願いしまぁぁぁす。」
と、まるで定食屋でカツ丼を頼むように申立書を提出。
でもこの「強制執行」という名の最終決戦、
中身はてっきり「ドア蹴破って連れて帰る系」だと思っていたら、
想像以上にぬるく、やたら丁寧だった。
【強制執行・第一陣 ~おもてなしの陣~】
陣形:
・東軍:僕、長女、そして執行官3名(地味に多い)
・西軍:彼女、義母ボス、そして謎に士気の高い義叔父(なぜかノリノリ?)
開戦の口火を切るのは、当然、プロのお役人。
執行官:「裁判も終わっています。お子さんを引き渡してください」
ここまではいい。問題はその後だった。
彼女:「そんなことしたら、私、生きていけない」
義母ボス:「この子が生きていけなくなるわよ!!」
義叔父:「これは不当裁判だ! 陰謀だ! 反対だァッ!」
もはや法廷じゃなく、朝ドラの“修羅回”。
そして僕、冷静に一言:
「あの~?判決文、ちゃんと読んでますよね?」
義叔父:
「いや、そんなの読んでない!!」
えっ?なに?なぜに強気!?しっかり読めよ。
心の中で、たぶん東西軍含め全員が突っ込んだと思う。
執行官も一瞬、「んっ?」って、視線泳いでたし。
で、話し合いは完全なる平行線。
最終的に執行官が出した“奥義”は、
執行官:「今日はこの辺で。……執行不能です。」
僕:「は? 今なんて? 執行不能? いやいや、判決って“債務名義”ですよね? ちゃんと執行文まで付いてるのに? これ本当に“強制執行”なんですか?」
西軍は全員でドヤ顔でニンマリしていた。
……でも、実は事前に弁護士から言われていたんです。
「強制執行の初日は、たいてい執行官が“促してみましたが応じませんでした”で終わります。だから予備日を押さえておくのが鉄則です」
つまり弁護士の経験則では――
初日は相手の抵抗を確認するだけの“空砲”。
だからこそ執行官には、従順に法の秩序を守る姿勢を見せておく。
どんなに理不尽でも、真正面から突っ込まず、予備日に備えて静かに耐えるのが勝ち筋なのだ。
……とはいえ、僕の中には「いや、初日でケリがつくだろ」とどこかでタカをくくっていた。
だからホテルも取らず、結果として、レンタカーを24時間スーパーの駐車場に停めて、冷えた弁当をつつく羽目になったのです。
その夜僕らは、
冷えた唐揚げ弁当をつつきながら、静かに作戦会議を開いていた。
弁護士さんは、わかっていたんですよ。そんなに簡単じゃないって。
誰も言葉を発さないまま、
僕は今日の“前線”での出来事を、静かに語り始めた。
「執行官たちは丁寧だったけど、
結局、誰かを無理やり動かすような“強制”じゃなかった。」
「最後の方、向こうもうっすら笑ってたんだよな。
“ほらね、返さなくても平気だったでしょ?”みたいな顔でさ。」
長女がうなずきながら言葉をつないだ。
「あれは悔しかったね。
こっちは本気で動いてるのに、通じてない感じがして。」
誰も責めなかった。
でも、心のどこかに刺さっていた。
あの敵側の勝ち誇った笑いが、
その夜の車内を、余計に冷たくしていた。
そのとき、
次女が突然、泣きながら話し出した。
「お父さんが居間でお母さんたちと話してるとき、
私、おばあちゃんの部屋の外に庭から回って覗いてみたの。
そしたら、四女ちゃんがいたの。
サッシを開けて、よじ登って、抱きしめようとしたの。
でも、部屋のドアが開いて、おばあちゃんが入ってきて、
『あんた何してんの!』って怒鳴られて、連れていかれちゃったの。」
「だから、ごめんなさい。」
静まり返った車内。
口にしていた唐揚げの味も、わからなくなった。
そこに、三女がぽつりと口を開いた。
「とうさん。四女ちゃん、離れにいた。避難させられてたんだよ。」
三女は、次女と一緒に義実家の周囲を偵察していたという。
そして、“かすかな痕跡”をこう語った。
「離れ太夫殿の密謀」
三女が言うにはこうだ。
次女が侵入したあと、義母ボスが四女ちゃんを離れに移動させていた現場を庭の陰から目撃していたというのだ。
さして更にこう続けた。
義母が離れを立ち去って行ったあと、そっと離れの障子の向こうにいた四女を確認した後、
「サッシのレールに、小砂利を詰めておいたの。」
理由を聞いて、僕は言葉を失った。
「明日も、またあそこに避難してくると思ったから、
もしそのとき、サッシがうまく閉まってなければ、
そこから救出できるかもしれないって思って」
その声は、小さく、でも確かな意志で震えていた。
でかした、三女。そして離れ太夫殿。
「掃除夫だった僕の、知らぬ恩」
僕が身を寄せていた、あの約二か月の“義実家離れ居候生活”。
その折、僕はせっせと掃除夫として勤しんでいた。
窓を拭き、畳を拭き、
古びた柱に手を添えて「ありがとう」と呟いた日もあった。
朝な朝な振るっていた、ほうきの音。
キッ、キッと鳴る床板のきしみ。
きっと離れ太夫殿は、全部、静かに覚えていた。
いま、
恩を返すとばかりに、我が軍に味方してくれたのだ。
二女と三女の連係プレーを、サッシ越しに見守っていてくれたのだ。
この話を弁護士に伝えたとき、
彼はほんの一瞬、微笑んだような気がした。
そして、ただ一言だけ返してきた。
「その話は、執行官には内密に」
【強制執行・第二陣 ~真田丸、いざ攻略~】
決戦の朝。
気配を悟らせぬよう、義実家の一つ向こうの小路にて弁護士の車に長女、次女、三女車内待機。
僕と執行官たちは、正面から堂々と義実家へアプローチをかけた。
決戦の場:居間ヶ原
西軍:彼女、義母ボス、義叔父
東軍:僕
行司軍配:執行官2名
返さない、帰れ、飛び交う言の葉の矢。
居間ヶ原には、今日も“言の葉の矢”が飛び交っていた。
「返しません!」
「帰れ!」
「そんな権利あるわけないでしょ!」
怒声、嘲笑、ため息混じりの抵抗。
本日の僕の秘策は、「のらりくらり戦術」。
そう、昨日見た西軍の“ドヤ顔ニンマリ”を、
屈辱という味でしっかりと咀嚼しておいたおかげで、
僕は今朝、堪忍の袋をキュッと二重に結び直していたのだ。
その甲斐あってか、
西軍が口にする数々の言葉は、どこか滑稽にすら聞こえてきた。
だからこそ、
怒声に対しても、やんわりと、さらりと“いなす”。
「いやいや、ご心配なく。こちらはただ、判決どおりに進めておりますので」
その静けさが、かえって西軍を逆撫でしていく。
西軍、じりじりと苛立ちを強める、まさに言葉の地雷原。
しかし、
今回、真の戦場は正面ではなかった。
裏手にこそ、すべての勝機が隠されていたのだ。
【作戦名:裏木戸ルートの四女奪還作戦】
表で僕が敵軍をじらしている裏手では、
庭の木々を縫うようにして、
長女、次女、そして三女が静かに動き出していた。
目指すは、あの「離れ」。
かつて僕が逃げ込んだ義実家の離れ、
今や名を「離れ太夫」と呼ばれている。
小砂利の詰められたサッシレール。
案の定、完全には閉まりきっていなかった。
カチリ、音も立てず、サッシが開く。
(見事じゃ、離れ太夫殿!!)
そこに、いた。
四女。
驚いた顔、泣きそうな目で、三姉妹を見つめる。
「大丈夫だよ」
「一緒に帰ろう」
「お父さん、すぐそこにいるよ」
その瞬間だった。
障子の向こうで泣いていたあの子が、
パジャマのままの姿で静かに立ち上がった。
そして小さな声で、こう言った。
「うん」
三人がそっと手を取り合い、
裏木戸から抜け出すように、全員が離れを脱出。
【救出、成功。そして次なる指令】
その5分後。
義実家近くに待機していた弁護士の車が静かに走り出す。
向かった先は、最寄りの警察署。
娘たちは、四女を正式な保護として届け出た。
(事前に弁護士を通して、保護申立をしていた)
そして、居間が原の戦場にいる僕のスマホに届いた一通のメール。
「ペロン!!!」
長女より父へ:
「救出任務完了。すぐに退却せよ」
僕はスマホをそっと伏せ、執行官に静かに告げた。
「終わりました。」
「もう引き上げます。」
数秒間、居間ヶ原に漂う沈黙。
西軍同士が顔を見合わせ、ポカン顔。
次の瞬間、義叔父が叫ぶ。
「しまった!!やられたのか?」
すっくと立ちあがる西軍衆。
そして、
ドッ・ドッ・ドドドドドドドドドド……!
と、離れへ走っていく、
その背後から、
執行官がしずしずと静かに、しかし確かに歩を進めた。
僕は、居間ヶ原の座卓の下手から静かに腰を上げ、
離れに向かって深々と一礼をしたあと、
音もなく玄関土間へと移動した。
しばらくして――
ドドドドドドドドドド……!
戻ってきた西軍衆。
総大将である彼女と義母は、玄関前の廊下に崩れ落ち、
「ギャーーーーッ!」
と、泣き喚く。
義叔父は何やら怒声を上げているが、
その声はもう、言の葉にすらなっていなかった。
すかさず、執行官がひとこと。
「ちゃんと監護していなかったんですね?」
(執行官。見事すぎるくらいの嫌味発言だった。)
結審から半年。
ようやく、判決どおりの暮らしが、僕たちのもとに、戻ってきた瞬間だった。
【そして、エピローグへ】
僕はそっと、心の中でつぶやいた。
「離れ太夫殿、見事な働きであった。」
「小早川冷蔵殿にもよろしくお伝えくだされ。これにてご免」
僕の人生の前哨戦は、ここで一段落。
けれど、
本当の暮らしは、このあと。
日々をひとつずつ、丁寧に積み重ねていくものだ。
この戦を経て、ひとつだけ確信したことがある。
「子どもたちを守るということは、すべてを捨てる覚悟と、捨てずに持ち耐えること」
そういえば、僕がよく心の中で唱えていた呪文がある。
「堪忍の袋は、破れたら、縫っておく、なるべく破かない」
これは、徳川家康公が遺した言葉なのだという。
「堪忍という袋は、常に首にかけておけ。破れたら縫え。破れたら縫え。」
家康は、きっと知っていたのだ。
爆発しても、そこには何も残らないと。
そういう僕も、何度も袋を引きちぎりかけて、
でもそのたび、深呼吸して、縫い直してきた。
針の場所を間違えて、指も何度か刺したけどね。
(笑えるくらい、毎回、同じところ)
こうして、僕らの「関ヶ原」から「大阪の陣」までの――
長い長い戦は、ついに幕を閉じたのでした。
そして今は、あのときと同じ空の下、「ただの毎日」を、手放さずに生きている。
章あとがき
「強制執行」という言葉の響きは、
どこか冷たく、機械的に聞こえるかもしれない。
でも、その実態は、思っていた以上に、人間くさい戦いだった。
家康なら「鳴くまで待とう」と耐え、次の機会を待ち、策を講じたであろう。
秀吉なら「まあまあまあ」と笑って相手を丸め込んだに違いない。
では、信長なら?
きっと、執行官が「今日はこの辺で……執行不能です」と言った瞬間、
机を蹴って「ならばこの信長が執行する!」と立ち上がり、
居間ヶ原をドーンと蹴散らして四女奪還を強行していたに違いない。
その判断力と苛烈さが、恐れられつつも天下を射止める力になったのだと思う。
だが僕は、信長にはなれなかった。
なれたのはせいぜい、冷めた唐揚げ弁当を頬張りながら「明日こそ」とつぶやく、
ちっぽけな足軽頭くらい。
それでも、袋を縫い直しながら、また次の一歩を踏み出していくしかなかったのだ。
子どもたちは正面から押しても動かない壁に、
知恵と、小さな勇気が穴を開けてくれた。
そして今も思う。
この戦いで本当に動かしたのは、「法」じゃなかった。
愛情と、執念と、そして、静かに寄り添う場所の記憶だった。
正義は、ただ主張すれば勝ち取れるものじゃない。
行動して、関わって、そして耐えて守り抜くものなんだ。
さて。
この章で戦は、ひと段落。
でも、暮らしはここからが本番だ。
袋は破れても、縫えばいい。
そう言い聞かせながら、僕は今日も子どもたちの食卓を整える。
笑いながら、出汁を取りながら、ね。
巻末レシピ:帰還祝いのおにぎり三種
・塩むすび(基本にして最強):帰還の安堵に、シンプルな塩気。
・鮭バターむすび:焼き鮭+ちょいバターで勝利のコクを追加。
・高菜ツナむすび:九州味×子ども好み、離れ太夫殿もニッコリ。
「にぎる手のぬくもりが、そのまま守り抜いた証になる」
台所・心の一句:「縫い直し 堪忍袋と 日を重ね」
