【エッセイ】『堪忍の袋と地雷と、キッチンと』第15章:湯気の向こうにあったもの~闘いの幕が開いた。けれど、独りじゃなかった~
診断のあとは、即・治療方針決定。
抗がん剤で叩いて、腫瘍を縮小し、その後に手術。
いわゆる「がん治療フルコース」を受けるために入院となりました。
けれどこの“フルコース”、体にとっては地獄のフルコースでもあったと思います。
面会のたび、彼女の表情は薄れていった。
目に力がなくなっていくのを見るのは、ほんとうに辛かった。
髪が抜け、食欲がなくなり、気力が落ち、
そして、怒りが向かう先を失って、何度も僕にぶつけられました。
眠れず、睡眠薬も処方され、
でもだんだんと効かなくなり、薬は少しずつ強くなっていく。
日中もぼんやりとしたまま。
さらに院外の専門医への通院も必要となり、
その付き添いが新たに僕の役目になりました。
それでも、家族の時間は止まらない。
朝は、朝食の準備、ゴミ出し、洗濯、保育園。
そこから出勤して、仕事の途中で病院からの通院。
その足で職場に戻って記録、会議…。
夕方、子どもたちを迎えに行き、料理して、皿洗い、寝かしつける。
夜泣きで起こされ、また朝が来る。
ループ。再生。
同じ日が、音もなく重なっていく。
抜け道のない螺旋を、ゆっくりと下りていくように。
気づけば、体も心も、少しずつ削られていた。
そんなある日。一本の電話。
発信者は、二女のお友達のお母さん。
開口一番、
「あんた、なんで頼らないのよ!!」
え?えっと、はい?
どうやら、僕の“家事・看病・仕事・フル装備”生活は、
近所ではすでに“丸見えモード”だったようで。
そう、僕、実はPTA会長でした。
仕事、家事、看病、講師バイト、PTA。
我ながら、何足のワラジ履いたのやら。
電話口でそのお母さんは言いました。
「お願いだから、頼って。夕飯のおかずでも、洗濯でも、何でもするから。」
もう、ありがたすぎて、何も言えませんでした。
あたふたしていたら、
「とりあえず今日は切るね」
ツー、ツー、ツー。
そして、その“奇跡”は、週明けにやってきました。
月曜日、子どもたちを迎えに行き、帰宅。
玄関前に、見慣れない大きな鍋。
開けると、なんとクリームシチュー。
あったかそうな湯気が立ってました。
誰!?
そのとき、電話が鳴りました。
「今日から週4ね。月〜木曜まで、おかず届けるから」
えっ!?
「チーム組んだの。味に飽きないように、ローテで行くから」
えっ、チームって!?
涙が止まりませんでした。
でもその横で、
「やったー!今日シチューだ!」
「え、お父さんのより、おいしいかも?」
「んっ!?」
「ねぇお父さん、明日はなに来るかなっ!?」
そう言って笑う子どもたちの声。
その笑顔が、なによりも“効く薬”でした。
その鍋の湯気には、
人のぬくもりと、優しさと、支え合いの全部が詰まっていたんです。
でも、
実は、シチューを届けてくれていたお母さんたちとは、
この間、一度も顔を合わせていません。
いつも、帰宅したら玄関先に、そっと置かれているだけでした。
その優しさが、どれだけ心に沁みたか。
言葉にできません。
本当に、ありがとうございました。
章あとがき:孤軍奮闘から「頼る力」へ
思えば僕は、ずっと孤軍奮闘していました。
全部ひとりで背負っているつもりだったのです。
けれど、
「頼る」と決めた瞬間に、ようやく強くなれたのだと思います。
あの湯気の向こうに、ふと浮かんだ言葉があります。
「出会いは最初、湯のみに薄〜い一滴」
千利休の「一期一会」。
人との出会いを大切にしなさい、という教えです。
はじめて交わすひと言。
差し出されたおかず。
置き忘れた傘を、そっと返す仕草。
それは、まるで湯のみに注がれた薄いお茶の一滴のようなもの。
小さいけれど、確かな温かさ。
そして、その一滴を毎日少しずつ温めていけば、
やがてそれは心に沁みる“ドラマ”になるのです。
一期一会とは、出会いの瞬間ではなく…。
「そのあと、何を注ぎ足していくか」で味が決まる。
冷めてしまったなら、もう一度、火にかければいい。
そう思えるようになったのは、あのシチューの湯気のおかげでした。
巻末レシピメモ・シチュー編
「涙も溶ける、優しさシチュー」
1. チームお母さんズのホワイトシチュー(感謝バージョン)
材料(4人分)
・鶏もも肉…300g(ぶつ切り)
・玉ねぎ…1個(くし形)
・にんじん…1本(乱切り)
・じゃがいも…2個(四つ切り)
・ブロッコリー…1/2株(小房)
・牛乳…400ml
・シチューのルゥ…1/2箱
・水…400ml
・ター…10g
作り方
1.鍋にバターを溶かし、鶏肉と野菜を炒める。
2.水を加え、煮立ったらアクを取り、10〜15分中火で煮込む。
3.ルゥを溶かし入れ、弱火でさらに10分。
牛乳とブロッコリーを加え、5分ほど煮たら完成。
※湯気に“ありがとう”の気持ちを混ぜると、味が2段アップします。
2. 「僕より美味しい」と言われた日のトマトシチュー
材料(4人分)
・牛こま肉…200g
・玉ねぎ…1個(薄切り)
・しめじ…1/2パック
・にんじん…1本(いちょう切り)
・トマト缶(カット)…1缶
・水…300ml
・ケチャップ…大さじ2
・コンソメ…2個
・塩・こしょう…適量
作り方
1.牛肉と野菜を炒め、水とトマト缶を加えて煮込む。
2.ケチャップ・コンソメを入れてさらに10分。
3.塩こしょうで整えたら完成。
※笑われても泣かされても、やっぱり子どもの笑顔には敵わない味。
台所・心の一句:「一期とは 出会いの後の 火の加減」
