【エッセイ】『堪忍の袋と地雷と、キッチンと』第14章:独立起業とカルシウム~40代、骨と希望は折れやすいけど、ちゃんと育つんです~
引っ越しも無事に終わり、子どもたちも新しい学校に慣れてきた頃。
僕は、ずっと温めていた「起業」のタイミングを、予定より前倒しして迎えることになった。
本当は、自己資金として200万円を貯めてから。
けれど、その前に彼女の「社長夫人モード」から放たれる、“無言じゃない圧”。
「まだ?」
「私はもう待てない!!」
時に声を荒げ、
詰め寄られることも増えてきた。
もう行くしかない。
準備途中のまま、僕の企業人生は見切り発車でスタートした。
そして登記完了。いよいよ会社スタート!という矢先。
水道検針のバイト中に、原付バイクで見事にすっ転んた。
左肩を強打したまま、午前中いっぱい我慢して検針を終え、午後に病院へ。
医師は静かに言った。
「左鎖骨、折れてますね」
はい、完全アウト。
「若けりゃ1ヶ月だけどね〜、40歳だから3ヶ月かな」
その目が言っていた。
「無理でしょ?(笑)」と。
でも、僕はやりましたよ。
カルシウムと煮干しと、毎晩の祈祷(!?)、そして意地の骨育成。
奇跡の1ヶ月完治。医師、フリーズ。
左手が不自由なまま、開業日はやってきた。
営業、仕事、講師業、夜の洗濯物、月5日の水道検針、
ぜんぶ片手で回した。
“片手で人生ごと抱え込む”ような日々。
右手よ、よくぞ耐えてくれたと、今でもねぎらいたい。
そして、11月。
四女が誕生した。
10歳差のニューフェイス。
久々の赤ちゃんに、家族中が沸いた。
四女の名前については、今回は彼女が「私が名づける」と決めていて、すでに名前も準備していた。
けれど、嬉しすぎた長女が、つい友達にその名前を話してしまった。
退院前の面会で長女がその話をすると、彼女、大噴火。
「なんで勝手に公表するの!!」
僕たちはぽかんとするしかなかった。
名前を喜んで伝えるなんて、小学生なら普通ことじゃない?
結局、準備していた名前は立ち消えになり、長女は車の中でしくしくと泣いた。
後部座席で肩を落とす姿が切なくて、僕はそっとつぶやいた。
「よし、俺の出番だな」
実は、僕にもずっと心に決めていた名前があった。
それを、まさかの形で“名づけリレー”にバトンされるとは思わなかったけれど、
あの日、密かに準備していた“もうひとつの名前”を、さりげなく提案する作戦を決行した。
彼女は、出産後しばらく実家で静養することになり帰省。
ところが、実家で滞在中、身体の違和感を訴えて受診。
結果…乳がんの疑い。
急ぎ戻ってきて、改めて病院受診
腫瘍は5センチ。
医師は静かに、重いひと言を告げた。
「覚悟してください。かなり進行しています」
頭が真っ白になった。
でも、泣いてる暇はなかった。
会社はまだ、生まれたてのヒヨコ。
家では、4人の娘たちがワチャワチャ育成中。
“生きることを止めているヒマなんてない”。
治療は即スタート。
抗がん剤のあとに手術。まさにフルコース。
彼女は想像以上に落ち込んだ。
母として、女性として、自信の砦が崩れていく日々。
でも僕は、言葉を選びすぎて、なにも言えなかった。
「大丈夫」なんて、軽く言えない。
「頑張れ」なんて、もっと言えない。
だから、いつも通りの生活で支えることにした。
朝から育児、家事をこなして仕事。
夕方は子どもたちの迎えやら、あれこれ。
夜は料理して、皿を洗い、四女を抱えて近所の田舎道を歩く。
僕の“夜のルーティン”は、誰にも気づかれない夜間パトロールだった。
長女は中学2年生。
続いて、小学5年、4年。
そして生後9ヶ月の四女。
ある夜、僕たちは全員で円陣を組んだ。
家事の分担、四女の世話。
みんなでちゃんと話し合った。
誰も泣かなかった。
その健気さに、僕が泣きそうになった。
こうして、僕の「主夫業+イクメン+社長業」が正式スタート。
まさに“三刀流”生活の幕が上がった。
いや、正確には「片手で三刀」だったけど。
このタイミングで、すべてのバイトは辞めた。
背負ったものが多すぎて、無理はもう効かない。
でも、“家族の中心で在る覚悟”だけは、ちゃんと持っていた。
そんな中で、彼女の発病と同時進行で進めていた、四女の保育園探しは難航していた。
市内の保育園を、無認可も含めて片っ端から当たったけれど、どこもいっぱい。
預かり年齢や枠の条件もあり、なかなか決まらなかった。
半分あきらめかけていた頃。
自宅から少し遠いという理由で、最後から3番目に回す予定だった園に、ダメ元で直接相談に行った。
対応してくれたのは、男性の園長さん。
四女は、大の男嫌い。男性の主治医にも大泣きするタイプ。
事情を話すと、園長さんはしばらく黙って、こう言った。
「少しだけ、お待ちいただけますか」
そう言って奥へ消え、しばらくして副園長さんと主任の先生を連れて戻ってきた。
三人が丁寧に話を聞いてくれて、結果なんと“ひと枠”確保してくれることに。
市役所にも直談判してくださるという。
“話せば分かる40代”。
そして翌日、登園初日。
支度を整え、四女を抱えて園へ向かう。
玄関先で園長さんが待っていてくれた。
ぐずられて相当てこずる覚悟はしていたけど…。
なんと、四女は自分から腕の中を抜け出し、
両手を広げて園長さんに向かって、まさかのダイブ。
その瞬間、園長さんがポツリとつぶやいた。
「お父さん、この子、全部分かっていますよ。
お父さんのこと、助けようとしているんじゃないかな」
「(心の声)えっ!!この子、あの時の円陣にしっかりと加わっていたんだ。
そして、四女は振り向くこともなく、
園長さんと一緒に、すっと園の奥へと入っていった。
泣いたのは、僕の方だった。
章あとがき:人生には、片手でも回すしかないときがある。
骨折直後の一週間。
右手だけではパンツもはけなかった。
その時、黙って三女が手を貸してくれていた。
三女ちゃん、あの時は本当にありがとう。
お父さん、涙を隠していたけど、本当は鼻水ズルズルだったよ。
――思えば、この章で僕が学んだのは「人は支え合ってこそ立てる」ということ。
支えてくれたのは子どもであり、家族であり、そして仲間たちだった。
戦国武将にも、そんな姿がありました。
立花宗茂(たちばな・むねしげ)。
~片腕でも、信念は折れず~
関ヶ原で敗れ、一度は浪人となるも、家康にその忠義と武勇を認められ、異例の旧領復帰を果たした男。
ある戦では片腕を負傷しながらも、采配をふるい続けたと伝えられます。
「戦うのは、身体じゃない。心だ。」
折れても、敗れても、再び立ち上がる。
宗茂の生き様は、“不完全なままでも戦い抜く”すべての人へのエールです。
そして僕もまた、あの時“片手のまま戦場に立ったひとり”だった。
でも、そこにあったのは孤独な戦いではなく、
子どもに教えられ、家族に支えられながら歩んだ、もうひとつの戦だったのです。
巻末レシピメモ・煮干し編【カルシウムは必要だと心から思ったレシピ】
1. 煮干しの佃煮(王道!)
材料:
・煮干し(出汁を取った後のもの)…40〜50g
・しょうゆ…大さじ2
・みりん…大さじ1.5
・酒…大さじ1
・砂糖…小さじ1
・白ごま…適量
作り方:
1.フライパンに煮干しを入れ、弱火でカラカラに乾煎り。
2.調味料をすべて加えて煮詰める(中火〜弱火)。
3.水分が飛んで照りが出たら、ごまを振って完成!
お弁当にも、ごはんのお供にも最高!
2. 煮干しのペペロンチーノ風
材料:
・出汁ガラ煮干し…20g程度
・オリーブオイル…大さじ1
・にんにく…1片(みじん切り)
・鷹の爪…少々
・塩・こしょう…少々
作り方:
1.オリーブオイルでにんにくと鷹の爪を炒める。
2.煮干しを加え、軽く炒めて水分を飛ばす。
3.塩こしょうで調えて、パスタのトッピングやおつまみに
ワインにも合う、和洋折衷おつまみ。
3. 煮干しふりかけ
材料:
・煮干し(乾燥)…30g
・ごま…大さじ2
・鰹節…1パック
・しょうゆ・みりん…各小さじ1
・青のり・七味…お好みで
作り方:
1.煮干しをフードプロセッサーで粗く砕く。
2.フライパンで乾煎りしながら、調味料を加える。
3.ごま、かつお節、青のりなどを加えて水分が飛ぶまで炒る。
ごはんにかけても、おにぎりの具にも大活躍。
台所・心の一句:「骨折れに 煮干し味方に 勝ち戦」
