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【エッセイ】『堪忍の袋と地雷と、キッチンと』第16章:寝る暇なくても、それでも、日々はまわる~俺の一日、24時間営業、定休日なし~

闘病ってさ、
もっとこう涙と静寂に包まれた、しんとした日々を想像してたんです。
でも実際は、
走ってました。ぜぇぜぇ言いながら。
朝は5時起床。
朝食づくり、子どもたちの起こしから身支度。
保育園送り、小学校送り、そして職場へ。
昼は外回り。
夕方は子どもたち回収。
夜は皿洗い、風呂、寝かしつけ。
そのあと書類作成。
布団にダイブできるのは深夜2時。
ねえ、これって人間?
「ほぼ24時間稼働のコンビニ店長状態」でした。

地獄のWパンチ:百日咳&RSウイルス
四女が百日咳で入院。
僕もうつって、咳で百日チャレンジ開催。
さらにRSウイルスで四女が肺炎。
酸素マスク装着状態で抱きかかえて一晩中。
医師からのお言葉。
「今夜が山です」
医療ドラマだけのセリフかと思ってた、
背中、マジで凍った。

娘たち、インフル三姉妹へ進化
長女・次女・三女。
まさかの連続インフル。
自宅は看病三昧。
まるで実写版『感染列島』。
でもなぜか、僕だけ無傷。
菌をはじく男、ここに誕生。
「お父さん、魔法でも使ってるの?」
たぶん、カレーのスパイスが効いたんだと思う。
気づけば、闘病は一年半にも及んでいた。
でも、僕の記憶に残っているのは「つらい」とか「苦しい」じゃない。
ただひたすら…「走ってた」。
それだけ。
そして、とうとう僕は義母に“応援”を頼んでしまうのです。
そうです。これはもう、痛恨の采配でした。

義母ボス再来
僕の宮古島の実家から母や弟も応援には来てくれました。
でも皆それぞれ忙しい。長くは居られません。
ある時、僕の母が応援に来ていた日に、彼女の外泊が重なった。
その時、彼女の腹の虫の居所が最悪で…。
冷蔵庫の野菜室のキャベツを、母に投げつけちゃったんです。
幸い当たりはしなかったけれど、母は優しい人物でしたからね。
驚きすぎてショックで、島に帰っちゃいました。
子どもたちの看病。
彼女への対応。
仕事は集中できず。
そこで呼びました。義母ボス。
空港に出迎えて、直接病院へ直行。
外泊手続をして、自宅へ。
そして僕は子どもたちの回収へ。
帰宅すると…バトっていた。
義母VS彼女
彼女いわく、義母にこう言ったらしい。
「病人なんだから、優しい言葉のひとつもないの?」
すると義母。
「なんであんたまで癌なの?」
彼女の父は癌で病死していたから、その話になったようです。
仲裁に入ったけれど、時すでに遅し。
「もう病院に帰る。こんな人と一緒になんか居られない。ねむれない。」

ノーご飯事件とカレーの奇跡
「なんでもいいからご飯お願いしますね」
そう言い残し、彼女を病院へ送り届ける。
そして帰宅。
子どもたち → 泣いてる。
キッチン → カオス。
鍋 → 空っぽ。
鍋のフタ → なぜか冷凍庫。
僕「ごはん、どうでした?」
義母「みんなわがままばっかりで!もう無理!」
「ご飯? 私だってまだ食べてないわよ!」
はい、全員ノーごはん。
しかも、精神的疲労、全員MAX。
つまり、全員ノーご飯・兵糧攻め状態。
僕は静かにカレーを仕込んだ。
「ご飯だよ〜」
呼びかけると、吸い寄せられるようにみんな集合。
この時ばかりは、全員“胃袋”で会話してました。
義母、子ども化。
いや、もはや第五子。
「手伝ってくれるだけで助かる」と思ってた僕の甘さ。
義母、まさかの“育成対象”でした。
サポートには準備が必要。
この日を境に、僕は“義母マネジメント”も業務に追加しました。

バトル・オブ・外泊の日々
外泊してきた彼女と、義母が激突。
僕が「今だけは、彼女のわがままを受け止めて」と頼んでも、
義母「誰も私の味方じゃない!!」
怒りの抜刀。
はい、外泊中止。
そして僕は病院送迎係に逆戻り。
翌日、
義母、まさかの家出 → 失踪 → ホテル泊。
帰宅すると三女が泣いている。
見ると、膝をすりむいている。
事情を聴くとこうだ。
子どもたちとなんかでもめて、義母が「もう知らない!!」と荷物まとめて出ていった。
三女は責任を感じて義母を追いかけた。
途中で転び、それでも振り向かずに行ってしまったことが悲しくて泣いていた。
急いで電話。
義母「空港近くのホテルにいる。明日帰る」
一点張り。
それでもなだめすかして、週末に予定されていた運動会を“強制帰還の口実”に。
なんとか翌日帰宅。
翌朝、僕は4時起床。
「ザ・運動会弁当三段重」を仕込む。
6時、病院に許可を取りに行き、彼女を迎える。
その足で自宅へ。
子どもたちを小学校に送り届け、いったん帰宅。
彼女と義母を連れて、再び運動会へ。
そして…運動会は無事終了。
その夜。
彼女が義母に言った。
「私、病院に帰るから、子どもたちのことお願いね」
義母「それだけは無理、勘弁して」
ドカーン!!
違う意味で、勘弁してほしかったです。
義母、車中で説得ミッション
数日後、またもや帰宅要求が再燃した義母。
日曜日の朝。
子どもたちが寝ている間に病院へ行き面会を済ませて帰宅すると、
義母がいない。
子どもたちに聞くと、「知らなーい」
見ると部屋に荷物もない。
急いでバス停へ行くと
はい、いました。ベンチに座って。
車を寄せ、声をかける。
「お義母さん。乗ってください。空港まで送ります。」
車中で説得開始。
「このままじゃ、絶対後悔しますよ。近々、病状説明ありますから」
「二度と会えないかもしれないですよ」
何度も言葉を重ね、ようやく返事を得た。
「空港近くのホテルに泊まる」と。
市内のバス停で降ろしたとき、時計は既に13時を過ぎていた。
こんなやり取り、前にもあったな(笑)
しかし、説得したにも関わらず、
義母ほどなくして体調不良を理由に、新潟へ帰還。
僕は心の中で、そっと呟いた。
「敵は本能寺にありって、マジで家の中だった」


章あとがき:寝る暇なくても、それでも、日々はまわる
この章は、戦国どころか、家庭内で「三つ巴の合戦」が繰り広げられた壮絶な時間でした。
ヘルプで招聘した義母が、なぜかケア対象。
仕事、増えただけじゃん(´;ω;`)
ユーモアがなければ、乗り越えられなかった。
スパイスは、カレーだけじゃなかったんです。
当時の僕は、体力も感情も振り切れていた。
でも、妙に覚えているのは「やってられない」ではなく、「なんとか回してた」という事実だけ。
笑えるようになったのは、もう少しあとだった。
けれど今は言える。
「笑えるうちは、壊れない」と。
ギリギリを何度も越えたこの時期が、僕をタフにした。
どんな地雷があっても“前に進む”胆力をくれた。
ある夜。
子どもたちを寝かしつけ、冷えたカレーを温めながら、ふと思った。
「一日を生き切れ。炒めよ、洗えよ、寝かしつけよ、それが、我が戦じゃ!」
上杉謙信(※この言葉は、以下の実在の名言を意訳してみました。)
「心に物なき時は、心静かにして、
 己を慎み、事を忍び、分を守り、何事にも動ぜぬ者なり」
上杉謙信『宝在心』より
どんな一日にも、命をかける価値はある。
とくに、“誰にも評価されない家事や育児”にこそ、それは宿る。
カレーひと鍋の熱に、今日も救われる人がいるなら。
僕は明日も、戦場(キッチン)で鍋を振るい続けよう。
主夫将軍、明日も厨房にて出陣なり。


巻末レシピ・昨日のカレーアレンジ

  1. カレーポテサラ
    茹でたじゃがいもをつぶし、少量の残りカレーを混ぜるだけ。
    ・ほんのりスパイスが香る、食卓の頼れるアクセント。

  2. カレートースト
    食パンにカレーを塗り、上からマヨネーズをくるくる。
    ・トースターでこんがり焼けば、カリッと香ばしい「もう一踏ん張り」飯に。

  3. カレーおやき風ホットサンド
    ・1のカレーポテサラにチーズを加え、食パンで挟んでこんがり焼く。
    ・ホットサンドメーカーが理想、なければフライパンでもOK。
    ・外はパリッ、中はとろり。
     「子どもが笑ってくれたら、それがごちそう」
     そんな一句が似合う、主夫将軍の隠し玉。

※でも、夏場は特に注意!
残りカレーは常温で放置すると雑菌が猛繁殖。
必ず平たいバットなどに移して急冷→冷蔵庫へGO!
「昨日のカレーは旨い、けれど雑菌は強い」
この格言、刻んでおきましょう。

台所・心の一句:「命かけ 炒めるカレーに 背を押され」


ここまで読んでくださった方なら、もうお分かりかもしれません。

前編は、出会いと新婚生活。

中編は、家族を守るための建国記。

そして後編は――。

四年にわたる関ヶ原です。

信じること。

裏切られること。

許せないこと。

それでも前に進まなければならないこと。

人生には、教科書に載っていない戦いがあります。

しかも困ったことに、

その戦いは、ある日突然始まるわけではありません。

小さな違和感だったり。

何気ない一言だったり。

見ないふりをした何かだったり。

そんなものが少しずつ積み重なり、

気づいたときには、

もう戦場の真ん中に立っているのです。

振り返れば、

「あの頃から始まっていたんだな」

と思うことがあります。

でも、その時は分からない。

人生は案外、

昼から夜へ変わる空の色によく似ています。

どこから変わったのかは分からないのに、

気づけば景色が変わっている。

本当に、波乱万丈ってあるんだなあ……。

そんなことを思いながら、

夜な夜なバンジョー片手に、

僕の脳内では今もドタバタ劇場が続いております。

それでは。

天下分け目の後編で、お待ちしています。

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