【超ロングベストセラー】「千字文」とは
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千字文とは

縦約30㎝×横約7m!
「千字文」は、古くから書道の練習や漢字の学習に使われてきたもの。ちょうど「1000字」あるから「千字文」。
▼「千字文」の特徴
4文字×250句=1000字 の長めの文章
1000文字を漏れなくダブりなく使っている(スゴイ)
偶数句末は韻を踏んでいる(スゴスギ)
初学者用の漢字習得(覚える)・習字(上手く書く)用のテキスト
始めから終わりまで通貫して意味が通っている(宇宙創成から自然の摂理、人間の営み、日常生活まであらゆることを含んだスバラシイ文章)
多くの書家が自分の「千字文」を書いてきた
現代では古典として愛され続けている
文字を漏れなくダブりなく使った意味の通る文章というのは、「いろは歌」(平安時代成立)のよう。「いろは歌」は47文字の平仮名なのでかなり短いですが、同じ文字を二度使わないという点、読み書きの基礎として古代から用いられてきた点は同じです。

色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢みじ酔ひもせず
現代では、日本の一般教育において「いろは歌」は用いられず、「あいうえお」順にひらがなを習います。(明治時代(1900年)に変体仮名を廃止した頃に変化)
また、現代の中国でも一般教育において「千字文」は用いられないそう。
「千字文」も「いろは歌」も、読み書きの基礎学習という面は薄れ、書道を学ぶ人が文字の古典臨書として親しむものになっています。
千字文の成り立ち
成立:南朝 梁(りょう 502-557年)
文章:周興嗣(しゅうこうし 470?-521年)
目的:王子たちに文字を効率よく習得させるため
この頃にはまだ書聖・王羲之(303-361年)の真筆や摸本が残っており(※)、殷鉄石という人物が、真筆から1000字を模して抜き出しました。(それだけでも大変)
※後に王羲之の書を寵愛した唐の太宗皇帝(598‐649年)が墓に入れるなどして真筆はひとつも残っていない
しかし、1000字が文章になっておらず学びづらかったため、今度は周興嗣が命じられて韻文を作ることに。
この周興嗣、文章の名人と名高ったわけですが、なんと一晩で1000文字、一字もかぶらず4字ずつの言葉を作り、さらには偶数句の韻も踏みながら、意味の通るスバラシイ文章を編み上げました。
(あまりの苦労に一晩で白髪になってしまったとか!?)

つまり「千字文」は
殷鉄石が模写した王羲之の1000文字を、周興嗣が文章に仕立てたもの。この時点で後世永らく続く「デモテープ」が完成しました。
偶数句の末尾を順に抜き出し、音読みを記しました↓ 何種類かの韻に分けられ、R-指定もびっくりの韻の踏みようです。
ただ、あくまでこれは日本語のカタカナ表記のため、時折韻が外れているように思えるもの(「衡」「橫」とか)がありますが、中国語の発音(またはその古い発音)では合っているらしいです。
※ただし最終250句目「也」のみは締めとして韻は外されている

千字文の鬼、智永
「千字文」は王羲之の文字を基にして、周興嗣が文章を作ったもの。その時おそらく西暦500年くらい。その「千字文」を基に宮廷の子どもたちは漢字を学習していったのでしょう。
少し時代は下って、南朝・陳(557‐589年)、隋(581‐618年)の時代。この頃を生きた智永(ちえい 生没年不詳)という僧侶がいました。書道をやっている人なら「あぁ千字文の人!」と思うのでは。

▼『真草千字文』智永
真⇒楷書、草⇒草書 つまり楷書と草書で書かれた千字文
智永は王羲之の7世の孫と言われる
(王羲之の直系の孫ではなく、王氏一族の7世代ほど後の人物というくらいの意味)
生没年不詳だが、100歳くらいまで生きたのだとか
智永は先祖である王羲之の書を好み、「上手くなるまでここから出ない!」と、なんと30年間も引きこもって書の勉強に励みました。何百本も筆を摩耗し使いまくって・・・その甲斐あって智永の書の腕前は上がり、名を立てることになりました。

智永の書が欲しい!!!と人が殺到し、それを防ぐために門の敷居に穴が開きそれを鉄板で覆ったため、人々はそれを「鉄門限」と呼んだのだとか。
智永は30年間でおびただしい量の千字文を書き、そのうちの良作800本を諸寺に1本ずつ施入(せにゅう 寺社に土地や品物を寄進すること)しました。
その他のものも書いたのでしょうが、千字文以外に残るものはなく、とにかく王羲之の文字を基とする千字文を自らの筆致で伝えよう!という強い信念があったのだと思います。
良い字が広まることが人々や国を良くするといった大きな考えがあったのかもしれません。こうした熱心な智永の活動により、後世の私たちにとっても「智永=千字文」というイメージです。
智永の「千字文」はこんな感じ
楷書・草書が隣の行に書かれ、学習者に非常に分かりやすい後世になっています。太細のメリハリもあって作品としても逸品。
全貌はぜひ法帖等で見てみてください。


国宝「小川本」
智永が書いた800本もの千字文。なんと日本に世界でただ一つの智永の真筆がほぼ完全な状態で存在します。京都にある小川家が所蔵しているため、「小川本」と呼ばれ、個人蔵のまま国宝に指定されています。
※その他は「関中本」などの刻本が2,3ある
「小川本」は影印(えいいん 墨書きされたものを写真に撮ること)されて、私たちが使う法帖になっています。
後世の千字文
欧陽詢『楷書千字文』
言わずと知れた『九成宮醴泉銘』の欧陽詢(おうようじゅん (557-641年)。楷書千字文のほかに、行書も草書もある。
この頃は楷書が最高潮に極まる時期。名手は皆この「千字文」というスタンダードな題材で書の功績を残そうとしたのではないか。

懐素『草書千字文』
懐素(かいそ 725-785年)は狂乱の草書「狂草」の名手として知られる。『自叙帖』が有名ですが、『草書千字文』も名高い。『自叙帖』は踊るように連綿とつながっていきますが、『草書千字文』は基本的に一字ずつ単体で動きも制御した感じで書かれる。
一字が一金に値するほど価値がある→「千金帖」と呼ばれることもある。

空海『弘法大師筆千字文』
平安時代の三筆のひとり、空海(くうかい 774-835年)。『風信帖』や『灌頂歴名(かんじょうれきみょう)』が有名ですが、千字文も書いていたようです。しかし『風信帖』『灌頂歴名』が国宝指定なのに対し、この「千字文」は国宝ではないのは、真筆ではない可能性があるということなのか。

千字文後半500字ほどが現存するのだとか
徽宗『楷書千字文』
徽宗(きそう 1082-1135年)は北宋の皇帝。政治は苦手だったが、芸術方面で活躍したと言われる。「痩金体(そうきんたい)」と呼ばれる針金のような細い線で書かれて、華やかな雰囲気。草書は打って変わって「狂草」ぽく動きが大きい。


趙孟頫『真草千字文』
趙孟頫(ちょうもうふ 1254-1322年)は元代の政治家・文人。字は子昴(しこう・すごう)。政治面でも文化面でも多数の功績を残した。王羲之に傾倒し(復古主義)、趙孟頫伝では「王羲之を超えた」と書かれている。
嫌味がなく、気品のある雰囲気。
※高村光太郎『書について』の中で顔真卿と比較され、劣っているとされていたが。「一点柔媚の色気とエゴイズムのかげとを持つ趙子昴云々・・・」

文徴明『草書千字文巻』
文徴明(ぶんちょうめい (1470-1559年)は、書、詩、画で活躍した明代の文人。生涯にわたって、楷・行・草と何度も「千字文」を書いたのだとか。

江戸期以降の日本の千字文
池大雅(いけのたいが 1723-1776年)
北向雲竹(きたむきうんちく 1632‐1703年)
近衛家煕(このえいえひろ 1667‐1736年
松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう 1584-1639年)
巻菱湖(まきりょうこ 1777‐1843年)
日下部鳴鶴(くさかべめいかく 1838-1922年)
中村不折(なかむらふせつ 1866‐1943年)
彼らも自らの文字で「千字文」を残しました。※彼らの作はココでは割愛
日本では奈良・平安時代頃から千字文が学ばれていたと言われますが、その後も漢字学習として、文字の習熟として、また自分の書を残すという意味でも様々な書家に書かれてきました。
千字文 全文
天地玄黃 宇宙洪荒 日月盈昃 辰宿列張
寒來暑往 秋收冬藏 閏餘成歲 律呂調陽
雲騰致雨 露結為霜 金生麗水 玉出崑岡
劍號巨闕 珠稱夜光 果珍李柰 菜重芥薑
海鹹河淡 鱗潛羽翔
龍師火帝 鳥官人皇 始制文字 乃服衣裳
推位讓國 有虞陶唐 弔民伐罪 周發殷湯
坐朝問道 垂拱平章 愛育黎首 臣伏戎羌
遐邇壹體 率賓歸王 鳴鳳在樹 白駒食場
化被草木 賴及萬方
蓋此身髮 四大五常 恭惟鞠養 豈敢毀傷
女慕貞絜 男效才良 知過必改 得能莫忘
罔談彼短 靡恃己長 信使可覆 器欲難量
墨悲絲染 詩讚羔羊
景行維賢 克念作聖 德建名立 形端表正
空谷傳聲 虛堂習聽 禍因惡積 福緣善慶
尺璧非寶 寸陰是競 資父事君 曰嚴與敬
孝當竭力 忠則盡命 臨深履薄 夙興溫凊
似蘭斯馨 如松之盛
川流不息 淵澄取映 容止若思 言辭安定
篤初誠美 慎終宜令 榮業所基 籍甚無竟
學優登仕 攝職從政 存以甘棠 去而益詠
樂殊貴賤 禮別尊卑 上和下睦 夫唱婦隨
外受傅訓 入奉母儀 諸姑伯叔 猶子比兒
孔懷兄弟 同氣連枝 交友投分 切磨箴規
仁慈隱惻 造次弗離 節義廉退 顛沛匪虧
性靜情逸 心動神疲 守真志滿 逐物意移
堅持雅操 好爵自縻
都邑華夏 東西二京 背邙面洛 浮渭據涇
宮殿盤鬱 樓觀飛驚 圖寫禽獸 畫綵仙靈
丙舍傍啟 甲帳對楹 肆筵設席 鼓瑟吹笙
升階納陛 弁轉疑星 右通廣內 左達承明
既集墳典 亦聚羣英 杜稾鍾隸 漆書壁經
府羅將相 路俠槐卿 戶封八縣 家給千兵
高冠陪輦 驅轂振纓 世祿侈富 車駕肥輕
策功茂實 勒碑刻銘 磻溪伊尹 佐時阿衡
奄宅曲阜 微旦孰營 桓公匡合 濟弱扶傾
綺迴漢惠 說感武丁 俊乂密勿 多士寔寧
晉楚更霸 趙魏困橫 假途滅虢 踐土會盟
何遵約法 韓弊煩刑 起翦頗牧 用軍最精
宣威沙漠 馳譽丹青 九州禹跡 百郡秦并
嶽宗恆岱 禪主云亭 雁門紫塞 雞田赤城
昆池碣石 鉅野洞庭 曠遠緜邈 巖岫杳冥
治本於農 務茲稼穡 俶載南畝 我藝黍稷
稅熟貢新 勸賞黜陟 孟軻敦素 史魚秉直
庶幾中庸 勞謙謹敕 聆音察理 鑑貌辨色
貽厥嘉猷 勉其祗植 省躬譏誡 寵增抗極
殆辱近恥 林皋幸即 兩疏見機 解組誰逼
索居閑處 沈默寂寥 求古尋論 散慮逍遙
欣奏累遣 慼謝歡招 渠荷的歷 園莽抽條
枇杷晚翠 梧桐早凋 陳根委翳 落葉飄颻
遊鵾獨運 凌摩絳霄
耽讀翫市 寓目囊箱 易輶攸畏 屬耳垣墻
具膳飡飯 適口充腸 飽飫烹宰 飢厭糟糠
親戚故舊 老少異糧 妾御績紡 侍巾帷房
紈扇圓潔 銀燭煒煌 晝眠夕寐 藍笋象床
絃歌酒讌 接盃舉觴 矯手頓足 悅豫且康
嫡後嗣續 祭祀烝嘗 稽顙再拜 悚懼恐惶
牋牒簡要 顧答審詳 骸垢想浴 執熱願涼
驢騾犢特 駭躍超驤 誅斬賊盜 捕獲叛亡
布射遼丸 嵇琴阮嘯 恬筆倫紙 鈞巧任釣
釋紛利俗 並皆佳妙 毛施淑姿 工顰妍笑
年矢每催 曦暉朗耀 璇璣懸斡 晦魄環照
指薪修祜 永綏吉劭 矩步引領 俯仰廊廟
束帶矜莊 徘徊瞻眺 孤陋寡聞 愚蒙等誚
謂語助者 焉哉乎也
参考:マンガ書の歴史【殷~唐】魚住和晃著、真草千字文 天来書院
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