ざっくり日本の書道史①(縄文時代~平安時代まで)
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これまでお字書き道TALKSでは、ひらがな・カタカナ、濁点・半濁点についての歴史を追ってきました。
▼日本の文字の歴史の話
ひらがなの歴史(前半)
ひらがなの歴史(後半)
カタカナの歴史
濁点の歴史
半濁点の歴史
今回は、日本の書道史について!
この話のYoutube版はこちら↓↓
日本に文字がやってくる(1世紀頃)
紀元前の時代、縄文時代には日本は文字を持っていませんでした。(神代文字などの存在は否定できないものの)
1世紀頃、金印や銅銭に書かれた「漢字」が中国からやってきます。
(ちなみに中国の文字の萌芽(書体の変遷はこちら)はもっとずっと前、紀元前16世紀頃。1世紀頃は隷書体~草書体ができる頃。楷書体はまだ無い)


2000年ほど前なので残っているものが数えるほどですが、もっと色々な形で文字が流入していたのではないかと考えられます。
漢字で記録するようになる(5世紀頃)
日本で制作された鉄剣や銅鏡に、日本の地名や人名が漢字で書かれるようになります。下の画像は、稲荷山古墳出土鉄剣。可愛らしい文字で刻字されています。
この頃には日本人でも漢字を書ける人も出てきていたと思いますし、渡来人が書いたのかもしれません。


漢字を扱える人が増え始める(6~7世紀)
中国大陸や朝鮮半島から、宗教(儒教・仏教・道教)が伝わるようになり、経典等を読むために、漢字を読み書きできる人が増え始めます。


仏教拡大(8世紀)
奈良時代(710-794年)には聖武天皇による大規模な仏教事業が行われ、それに伴い、写経生と呼ばれる仏典を書き写す職業の人たちが現れます。仏教が布教されるにつれて、漢字を読み書きできる人はかなり出てきたと考えられます。
紙がそれなりに普及してきた(それでもまだ超貴重)のもこの頃でしょう。
書道的な文字の上手さや美的な工夫もなされていきます。

紙の他には、「木簡」と言って卒塔婆のような細く縦長の木片に文字を書いていました。行政的な文書から生活文化の知恵、文字の練習や落書きのようなものまで書かれているとか。(木と文字が朽ちずに残っているってすごい…)

万葉仮名の発明(7世紀後半~8世紀後半)
ひらがなの走り「万葉仮名」が生まれます。「万葉仮名」は漢字の音だけを借りて日本語を表すシステム。(Ex.やまと⇒也末登)
大和言葉で作られた和歌を万葉仮名で表した『万葉集』も編纂されました。※原本は残っておらず、平安時代の写本の断簡があるのみ。

▼万葉集に収録されている和歌例(巻5・793)
余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理
よのなかは むなしきものと しるときし いよよますます かなしかりけり
奈良時代までは個人名の残る書道家はいない
漢字が大陸からやってきて約800年間くらいは、漢字の時代。日本人にとって言わば、文字黎明期です。(中国・初唐(7世紀頃))では楷書体の美が極まる時期)
書体も5書体(篆・隷・草・行・楷)全て伝わっていましたが、多く使われていたのは楷~行書。まずは明確に文字を覚えること、そして日常的に使いこなすためと考えられます。
ここまでは書道文化というよりは、日本人と文字(漢字)との戯れ期。「能筆」「能書」「書道家」として名が挙がってくるのは平安時代以降のことです。
和様と仮名の成立(9世紀~11世紀)
平安時代には、万葉仮名がどんどんくずされて、草仮名⇒女手⇒平仮名が誕生します。万葉仮名は1000字ほどあったのが、書きやすい字が残り11世紀初めには約250字程度となりました。(今は46字)
また、万葉仮名の一部から片仮名も誕生しました。

平仮名超黎明期(漢字の中に平仮名(赤枠部分)が混じる)
平安初期には、王羲之(303-361年)、顔真卿(709-785年)らの中国の書風(「唐様」:質実剛健でかっちりしている)から、日本らしい書「和様」(優美で柔らかみがある)が現れてきます。
「和様」の書に欠かせない存在が、三筆(和様の萌芽)・三蹟(和様の確立)。
▼三筆
空海(774-835年)
橘逸勢(782-842年)
嵯峨天皇(786-842年)

894年、唐の衰えとともに遣唐使が停止され、国風文化の機運が高まります。
▼三蹟
小野道風(894-967年)
藤原佐理(944-998年)
藤原行成(972-1028年)

現代書道界にも彼らの名前は轟いており、中学や高校の歴史問題にも登場するなど一般的にも有名な人たちです。
かな書道の成立・隆盛(10世紀~12世紀)
平仮名が成立し、成熟していくと、所謂「かな書道」が花開いていきます。
※時を同じくして、紫式部『源氏物語』、清少納言『枕草子』などの女流文学も流行。平仮名が使いこなされていった時代。
※漢字は公文書、平仮名は私文書(和歌や手紙など)と使い分けされた。
かな書道では、文字そのものの工夫以外にも、墨の濃淡や、文字の配置(改行の箇所や重なり)・余白(散らし書き)、料紙(染めたり、金箔などを散らし装飾したもの)の使用など、美的な工夫が多く凝らされました。


藤原行成の曾孫・藤原定実が書いたもの?


▼古今和歌集
905年成立 原本は存在しない
醍醐天皇による勅撰和歌集で、全20巻・約1100首の和歌が収録
編纂者は、紀貫之・紀友則・凡河内躬恒、・壬生忠岑
▼高野切
『古今和歌集』の現存する最古の写本。11世紀中期
3人の能書家によって書かれたもので、第一種・第二種・第三種とある。
現代でもかな書道の最高峰とされ、日本書道史においても極めて重要。
▼仮名消息
平仮名で書かれた手紙。平安時代では、消息を書いた故人を供養するために、紙の裏(紙背)に聖教(お経)を書く習慣があった。
書流のはじまり(11世紀~)
「書流」は、和様の書における書風の違い。平安時代の書流は、流派によって派閥を争っているというよりは、その時々の「最も流行りの書風」です。
▼世尊時流(せそんじりゅう)平安中期
創始者:藤原行成
・行成が晩年に建立した「世尊寺」に由来
・子孫は「世尊時」を名乗る。
・500年ほど続く。1532年17代目世尊寺行季(ユキスエ)で断絶
・特に小野道風の書風を継承しつつ、和様書を完成
・優美で沈着、端正。宮廷・貴族社会で権威ある書法
・後世の数ある書流の源流とされる

▼法性寺流(ほっしょうじりゅう)平安末期〜鎌倉初期
創始者:藤原忠通(藤原道長の孫)
・忠通が建立した「法性寺」に由来
・古い伝統に反発し、革新的。優美の中の勇壮さ。当時の現代風
・平安後期に大流行したことで、世尊時流にも影響を与える
・持明院流・青蓮院流などの派生流派にも影響を与えた

▼後京極流(ごきょうごくりゅう)鎌倉時代中期
創始者:後京極(九条)良経(忠通の孫)
・法性寺流を継承し発展
・法性寺流よりも重厚な筆致となっている
・絵巻の詞書などに多く用いられた


※参考 書流略系図

書道の歴史を追っていると、やっぱり平安時代が最も隆盛していたと言わざるを得ない感じがします。あるジャンルが生まれる時、黎明期から成熟期が最も良作が生まれやすいのはどのジャンルも同じかもしれません。
次回は、鎌倉時代から現代まで!
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