憧れの出版社で戦力外通告を受けた編集者が、今もなお本を作り続ける理由
「岡本くんは来月から広報部に異動してもらうことになりました」
あの日、僕は憧れの出版社で編集者としての戦力外通告を受けた。
尊敬する上司であり編集者の大先輩である方に「大事な話があるからちょっと時間ちょうだい」と気軽な感じのDMが来てGoogle meetに入った僕は、開始直後に椅子に座っているのに膝から崩れ落ちそうだった。
「もうちょっとじっくり育てたかったんだけどねぇ……」
その上司の方は、慰めの言葉もかけてくれた。でも、私の視界にはもう絶望しかなかった。
「自分にはもう本を作る資格なんてないのか……」
それからのことは、あまりよく覚えていない。数日間はその内示を承諾するか迷ったが、結果としてそれまでこだわってきた「編集者」という仕事にしがみつくために転職という選択肢をとった。要するに尻尾を巻いて逃げたのだ。転職先は、一度は離れたコンテンツSEOの編集者の仕事だった。
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大学生のときに“やりがい病”に陥り、元々は大の本嫌いだった僕が行き着いたのが書店だった。「自分にとってやりがいのある仕事とはなにか?」という正解のない問いを目の前にして、いろんな人をすがるような想いで頼ることになる。
大学のキャリアセンター、ゼミの教授、家族、友人、キャリアコンサルタント、就活エージェント。
思いつく限りのありとあらゆる相談先に相談しに行った。でも、誰に相談しても、納得のいく答えは見つからない。
「だったら、全く知らない人の知恵を借りよう」
そう考えた僕は、一縷の望みをかけて大の本嫌いにも関わらず池袋のジュンク堂に通うようになる。『天職の見つけ方』みたいな本を片っ端から読んでみたけど、結局自分に合う仕事は見つからなかった。
そんなある日。いつも通り立ち寄った書店で、どうしても素通りできない本の背表紙が目に留まった。
「やりがいのある仕事」という幻想
「!?……いやいや、そんなはずないだろ」
はっきり言って、その本を手に取った理由は反発心だった。やりがいのある仕事は絶対に存在する。そう信じて何か月も自分探しをしてきた。そんな自分にとっては、とても受け入れられるタイトルではなかったのだ。
棚の前に立ったまま、確かめるようにその本の「まえがき」をパラパラとめくった。普段は何度も挫けそうになる読書が、その本だけはページをめくる手が止まらなかった。
この本のまえがきの最後には、こんな一節がある。
だいたい、この本の内容がわかっていただけただろうか。こりゃあ駄目だと思った人は、立ち読みはここでやめた方が良い。書店には、沢山の本が並んでいるはずだ。ビジネスで役に立つ、と謳われるものが山ほどあるし、就活のための予備知識を書いたものも捨てるほどあるだろう。
少なくとも、この本には一切そういうことは書かれていない。
雷に打たれた瞬間だった。こんなにも「続きを早く読みたい」と思える本に出会ったのはこれが初めてだった。こんな視点があったのかと、本気で目から鱗が落ちた。
「こんなに面白い本、この世に存在したんだ……」
迷わずその本を握りしめてレジに向かい、帰りの電車で時間を忘れてその本にのめりこんだ。本に集中しすぎて、珍しく電車を1駅乗り過ごした。
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「書籍編集者になりたい」
1冊の本と出会って、僕の世界は一変した。これまで自分は、いったいどれだけ狭い世界の中だけで生きてきたというのか。
そして、もしかしたらこの世界のどこかに、あの時の自分みたいにこの世界の広さを知らない人がいるかもしれない。凝り固まった視野の中だけで、もがいている人がいるかもしれない。そんな人の視野を劇的に広げる。大げさでなく人生を変える。そんな本を作りたい。そう思うようになった。
だが、書籍編集者になりたいと本気で思うようになったのは、大学4年の夏ごろ。2014年卒の当時は、もう新卒枠のほとんどが終了していた。出版社はそもそもが狭き門なので、秋採用枠もほとんどないに等しい状況。それでも、書籍編集者になる夢は絶対にあきらめたくなかった。
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「転職サイトで新卒が来るなんて思わなかったよ(笑)」
絶対に書籍編集者になってやると決めた僕は、新卒での就活を諦めて大学卒業間近の12月から転職サイト経由であらゆる編集者の求人に応募するという暴挙に出る。
結果的に2社の編集プロダクションから内定を得ることができ、そのうちの1社に入社を決めた。社員数は6名ほどの零細企業。入社後に教育係の先輩から言われたのが、先ほどの一言だ。
だが、この会社はなんと2か月弱という短さで退職することになる。理由は、作っている本の内容に全く共感できなかったから。というか、むしろ人を不幸にするような危険性のある本を作っていた。それが入社後にわかり、かつ徹夜で作らなければ間に合わない。スキルも教育環境もないから、とにかく体当たりの失敗覚悟でなんでもやってみるしかない。
気付けば、1か月後には会社に行くまでにリポビタンDを2本飲んでからでないと、出社ができない身体になっていた。
電車に乗る前に1本。
電車を降りてオフィスに着く前にもう1本。
限界が来るのは本当に早かった。過酷な労働環境の編集プロダクションとはいえ、必死の思いでもぐりこんだ出版の世界。葛藤の末に退職を申し出る。
「多大な期待をしていただいたところ申し訳ありませんが、この仕事はとても僕には続けられません」
なんとこの会社はたった1人の採用枠に対して、100人の応募があったのだと入社後に聞かされた。転職サイトなので、応募者の中にはMENSA会員やコンサル出身者などものすごい経歴の人たちもいたのだという。
「岡本くんはまだ若いし、行政書士も持っていて真面目そうだったから」
教育係の先輩は、僕を採用した理由をこう説明してくれた。でも、全くその期待には応えられなかった。
退職の意思を会社に伝えた後、震える足でオフィスに直接挨拶をしに行くことにした。せめてケジメだけはつけなくてはと、すくむ足をひきづりながらなんとか気まずいオフィスに到着。お世話になった社員全員に頭を下げてオフィスを後にした。
階段の最後の段を降りたとき、膝がグニャンと逆方向に曲がった気がした。
「ああ、こんなに緊張してたんだ……」
その時初めて異様な緊張を自覚した。
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退職後は、フリーランスのWebライターや大手出版社での宣伝アシスタントプロデューサーを経験した。出版社では業界の超有名編集者さんと一緒に仕事をさせていただいた。
「やっぱり……書籍編集者になりたい」
その後は編集者の道を極めようと、Webニュースサイトの編集記者やSEOメディアの編集長を経験させていただいた。ここでの編集経験が「電子書籍編集者」という全く頭になかったポジションでのオファーにつながる。
その会社では、当初ほぼ我流に近い環境でオリジナル電子書籍の企画編集を行った。担当した作品は全部で27作品。電子書籍がメインとはいえ、商業出版で本を作るという念願の経験をさせていただいた。
特に力を入れていたのが、新規著者の発掘。その方の1冊目の商業出版を担当することにこの上ないやりがいを感じた。
「岡本さんと出会わなかったら、この本が生まれることはありませんでした」
多くの著者さんから、そんな声をいただいた。それが自分の存在意義だと思えて本当に誇らしく、ようやく念願だった天職に就くことができたと本気で思っていた。
しかし、電子書籍メインの出版には思わぬデメリットがあった。
「本当は書店に本を並べたいですよね」
本当にいろんな著者さんから言われた一言だ。それもそのはず、誰だって渾身の本が出来上がったら書店に並べたい。
せめて実物としての紙の本を著者さんたちのために作りたいと思うようになり、会社を説得してペーパーバック形式の本を電子書籍と一緒に刊行できる仕組みを構築した。
それでも、ペーパーバック形式は注文が入ってから印刷をするプリント・オンデマンドという方式なので、基本的には書店流通させることができない。
「いつかは書店流通できる紙の本にチャレンジしたい」
そんな思いが心の奥底で少しずつ募っていった。
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「弊社の編集者のポジションで中途採用を受けてみませんか?」
ある日のこと、Facebookメッセンジャーに友だちでもない人からこんなメッセージが届いていた。差出人のFacebookを見ると、どうやら憧れの出版社の人事担当の方らしい。
「なぜ私のような編集者にご興味を持ってくださったのでしょうか…?」
「弊社で活躍いただけそうな編集者を探していたところ、岡本さんのブログを見つけて拝読しまして、この方なら弊社で活躍できると思いまして!」
飛び上がるくらい嬉しいメッセージだった。書店流通する通常の商業出版にチャレンジできるのは、今の会社でもう数年経験を積んでからだと思っていた。それなのに、憧れの出版社からお誘いを受けたことにガッツポーズが止まらなかった。
二つ返事で中途採用を受けることにした僕は、見事に内定を勝ち取ってその出版社に編集者として入社する。
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入社後の僕に立ちはだかったのは、企画会議だった。これまでオリジナル電子書籍の企画では、ある程度コツをつかんでほとんどの確率で企画決裁をもらえる状態にはなっていた。
しかし、書店流通する通常の商業出版の企画承認ハードルは、僕の想定を遥かに超える難易度だった。
僕は基本的にまだ商業出版経験のない著者さんと企画を作る。しかも、(失礼ながら)まだそこまで有名ではない、「こんな面白い方がいるんですよ…!」と意外に思ってもらえるような方をリクルーティングし、その方の強みや経験を最大限生かす形で企画を練ってきた。
その方法論が全くと言っていいほど通用しなかった。「著者の実績が弱い」といった理由で、著者さんと必死に練った企画はあっけなく落とされてしまう。
もちろんあの手この手で企画を作り、少ないながらも企画承認を得ることもできた。だが、他の編集者と比べて明らかに企画承認数は少なかった。
「このままだとまずい……企画のつくり方を変えなくては」
そう考えた僕は、これまでのこだわりを捨てて様々な著者さんで企画を作るようになった。新規著者へのこだわりは捨て、既に売れている本を出している著者さんの企画も少しずつ出すようになった。
……だが、違和感はつのっていく。
「これは本当に自分がやりたい企画なのか……」
企画承認が降りることを優先するか、編集者としてのこだわりを押し通すか。既に有名な著者さんは、極論を言えば僕のような編集者以外にもさまざまな版元の編集者から声がかかっているだろう。
本当に自分のサポートが必要な著者さんと仕事がしたい。でも、その思いを通すためにはまだ圧倒的に能力と実績が足りない。
その非情なまでの現実と必死に戦っていた最中で、突然上司に呼び出された。
「岡本くんは来月から広報部に異動してもらうことになりました」
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別に広報の仕事が嫌なわけではなかった。これまでも自分が担当した書籍の広報活動は自らやっていたので、それが自分が担当した作品ではなく他の優秀な編集者さんが担当作品に変わるだけだ。
会社が私に期待を持って異動の決断をしてくれた気もしていた。それでも、編集者という仕事を貫き通して来た自分が、編集者以外の仕事をすることを許容できなかった。
そして私は以前と同じWeb業界のSEOの仕事に戻った。
「岡本くんには、SEOの戦略担当を任せたい」
ありがたいことに、周囲の期待以上の成果が出ることもあった。しかし、書籍への想いが頭から完全に消えることはなかった。
でも、自分には書籍編集者として本を作る資格がない。
やりたいのに、できない。
そうやって自分自身を縛ってしまっていた。そのうち編集者の仕事自体が辛くなってしまい、キャリアチェンジを考えるようになる。
真っ先に浮かんだのは、大学時代に最終的に編集者ともう1つの選択肢として絞り込んだ「キャリアアドバイザー」だった。
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SEOの仕事を辞めた後は数ヶ月だけフリーランスを経て、人材紹介会社のキャリアアドバイザーになった。
実はちゃっかりSEOの会社で補助を受けて国家資格キャリアコンサルタントの養成講座に通い、資格も取得していた。元々はキャリア迷子の自分自身のためにとった資格だったが、それが思わぬ形で活きた。
そしてこの数ヶ月のフリーランス期間で始めたのが、インプレス NextPublishing編集長の仕事だ。業務委託契約ということもありある程度融通が利くため、キャリアアドバイザーしながら副業で継続させてもらうことになった。
「やっぱり本づくりって楽しい……」
改めて書籍編集の仕事に戻ると、水を得た魚のようにたくさん企画を出した。
本づくりが楽しい。
この仕事がしたい。
著者さんと一緒に良い本が作りたい。
仕事を決めるために高尚なロジックは要らない。ただ自分の心に素直に、心惹かれる方へ走っていく。ただ、業務委託契約でデジタルファースト型の商業出版をする仕事は、決して多くの報酬がもらえるわけではない。それだけで食べていくのはほぼ不可能だった。
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キャリアアドバイザーの仕事を始めてから半年ほど経ったころ、2人目の子どもが産まれた。息子は生まれた直後、割と手がかかる子だった。黄疸の数値も高く、退院後もチェックが必要なほど。ミルクを飲んでは大量に吐き戻し、何度も僕と妻を心配させた。
キャリアドバイザーの仕事は楽しかったが、息子の体調を考えると深夜まで求職者と面談をして翌日の面接対策をする仕事は、とても両立できそうになかった。
「子どもの体調が安定せず、申し訳ないのですが育休を取らせてもらえないでしょうか?」
妻とも相談し、意を決して上司に相談した。上司は親身に話を聞いてくれたものの、その会社ではあまり男性の育休取得実績がなく、交渉は難航した。そして、会社からの回答はこうだった。
「社内規定上、在籍期間が数ヶ月足りないため岡本さんには育休を取る権利がありません」
案外、この回答を受けた僕は冷静だった。そもそも数ヶ月育休を取ったところで、子育てをしながらこの仕事を続けようと思うと家族に大きな負担がかかる。これは、もはや天啓かもしれない。副業で続けていた書籍編集者の仕事を、再び本業にする時ではないか。
商業出版は本を出す著者からはお金をいただかない。つまり、本を作る仕事で収入を作るということは、イコールで本をたくさん売らないといけない。でも、育休が取れなかったことで、むしろ覚悟が決まった。デジタルファースト出版だからこそ、世の中に問えることがあるはずだ。
2025年6月6日。キャリアドバイザーの会社を退職した。フリーランスとして生きていくことを決意する。
💴
とはいえ、最初の半年くらいは本当にきつかった。子どもが小さい中で思ったように稼働時間は取れず、銀行の預金残高が減っていくことに焦る日々。本もなかなか思ったようには売れないし、刊行できる数にも限界がある。
でも、簡単にあきらめるわけにはいかなかった。ありがたいことに業務委託契約先をいくつか増やすことができたし、2025年7月10日より個人事業として「専属編集者」というサービスを立ち上げ、軌道に乗せることができた。2026年6月時点の累計で30名近くの方が利用してくださっている。
noteのメンバーシップ機能にて、専属編集者サービスをリリースしました!
— 岡本雄太郎|書き手の可能性をひらく編集者 (@oka_motti) July 10, 2025
現時点でのサービス内容も記載しておりますが、内容はご要望やご感想に合わせて改善してまいります!
書き手の可能性をひらく「専属編集者」|岡本雄太郎|書籍編集者・キャリコン @oka_motti https://t.co/SGPWFN4nMv
自分が書籍編集者として本を出し続けるための土俵は整いつつある。
目標は、電子書籍×POD(プリント・オンデマンド)のデジタルファースト出版から、書店流通につなげる本を出していくこと。そして、その本をベストセラーにすること。この流れを整備することは、厳しい市場環境に置かれる出版業界の新たな出版戦略になりうるものだと考えている。
1冊でも多く良い本を世に出して、1人でも多く誰かの人生を変えたい。そう思いながら、今も日々本を作っている。
出版業界はより一層厳しい環境を迎えているが、だからといって諦めるわけにはいかない。自分のように1冊の本に出会って人生がひらける人もいる。その可能性を決して絶やしたくない。
一度は戦力外通告を受けた。
でもそれは、もう一度チャレンジしない理由にはならない。
これからも、書き手の心に火を灯せる編集者でありたい。
🙇♂️ 🙇♂️ 🙇♂️
こんなまとまりのない自分語りをここまで読んでくださってありがとうございます。
普段は編集者として、著者さんやライターさんが書いてくださった原稿に偉そうに赤を入れさせていただいています。でも、自分の原稿ほど冷静に見られないものはありません。自分で書いてみて、改めてよくわかりました(笑)。
最後にお願いがあります。
もしあなたがこれから「心が動いた本」と出会うことがあったら、ぜひその本の奥付で「どんな人がこの本を作ってるのかな…?」という部分にも少しだけ目を向けてくださったら、本に関わる人間としてはとても嬉しいです。
この記事を読んでくださったあなたとは、また何かの本の奥付でお会い出来れば幸いです。
Special Thanks
見出し画像は、普段の仕事の様子を奥さんに描き下ろしてもらいました!
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