アニメ映画「王立宇宙軍 オネアミスの翼」レビュー
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王立宇宙軍 オネアミスの翼
導入(雑談風の始まり)
よお、みんな! テンフォーティだ! オタク魂、今日もフルスロットルでいくぜ! いやあ、今日はね、めっちゃ歴史的で、めっちゃ野心的で、今見るとより一層深く響く作品にがっつり挑もうと思うんだよ。対象は、そう! 『王立宇宙軍 オネアミスの翼』! 1987年公開のこの映画、知ってる人は「GAINAX初の劇場版!」「若きクリエイターたちの青春ドラマ!」ってテンション上がるし、知らない人は「え、何それ? 昔のマニア向けアニメじゃないの?」って思うかもしれないけど、ちょっと待ってよ! この作品、本当にね、日本アニメの「美学と魂」が完全に結実した、マジで傑作なんだから!
『王立宇宙軍 オネアミスの翼』、通称『オネアミスの翼』ってさ、観た人ならわかると思うけど、メッチャ「現実の中のファンタジー」なんだよね。舞台は架空の惑星のオネアミス王国。主人公のシロツグは、落ちこぼれ軍隊・王立宇宙軍の平凡な軍人。だけどね、ある夜、献身的に布教活動をしてる少女・リイクニと出会って、「戦争をしない軍隊」って褒められて、急に「人類初の宇宙飛行士に志願する!」って目覚める。俺もさ、この映画を何度も見直してるんだけど、見るたびに「シロツグ、お前って本当に凡庸な主人公だな」って感じながら、それでも「でもね、お前の歩き方、言葉遣い、全てがリアルなんだよ!」って思う。この映画、宮崎駿もね、クリエイターとして「これ、いけるやん」って太鼓判を押したほどの傑作。でも公開当時は興行成績は3億4700万円止まり。8億円の製作費をかけた割には、当時の観客には「難解」「大人向け」って言われちゃった。でも今見直すと、め~っちゃ深いんだよ。
この『オネアミスの翼』、実はね、GAINAX(ガイナックス)っていう若き日本アニメクリエイターたちが、「本物のアニメ映画を作りたい!」 って情熱で本気で作った作品。アマチュア集団「DAICON FILM」が、プロデューサー・岡田斗司夫のもと、監督・山賀博之、キャラクターデザイン・貞本義行、作画監督・庵野秀明(後の『新世紀エヴァンゲリオン』の総指揮の人!)ら、当時二十代そこそこの天才たちがギュッと集まって、1984年から1987年まで、丸々3年かけてこの映画を作ってたわけ。総製作費8億円(実制作費は3億6000万~4億4000万円、差額が宣伝費)。当時のアニメ映画としてはもう破格の予算。じゃ、今日はこの『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を、テンフォーティ流にガッツリ分解して、構造とかテーマとか、当時の野心とか、なんなら時代背景まで全部絡めて語ってみようと思う。準備はいい? じゃあ、行くぞ!
あらすじ(主観入り)
さて、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のストーリーをざっくり振り返ってみよう。この映画のプロットって、説明するのは簡単だけど、その「リアリティと夢の同居」を伝えるのは結構難しいんだよね。「SF映画」って言うと宇宙スペクタクルに聞こえるし、「青春ドラマ」って言うと恋愛ものみたいに聞こえる。でも、テンフォーティなりに噛み砕いてみるよ。
舞台は、地球に似た架空の惑星にある「オネアミス王国」。1950年代くらいの地球のテクノロジーレベル。そこには、「落ちこぼれ軍隊」として馬鹿にされてる王立宇宙軍がある。主人公は中佐・シロツグ・ラーダット。21歳。本来は水軍のジェット戦闘機乗りに憧れていたけど、学成績が悪くて仕方なく宇宙軍に配属。毎日、張り合いのない訓練をして、同期の友人・マティや僚友たちと、歓楽街でやさぐれてるダメ軍人。「こんなんで人生終わるんかな…」って感じで生きてたわけ。
ある夜、シロツグと同期たちが歓楽街を歩いてたら、路上で献身的に宗教勧誘のビラを配ってる少女が現れる。彼女はリイクニ・ノンデライコ。17歳。不仲な両親に放置されて、信仰深い祖母に育てられた。両親の経営する飲み屋で働かされてた幼い女の子・マナを、自分で連れ出して育ててる。下心いっぱいでリイクニの家に押しかけたシロツグだったけど、彼女から「王立宇宙軍って、戦争をしない軍隊だ。それって素晴らしい」って褒められて、急に火がつく。「俺、宇宙飛行士に志願する! 人類初の有人宇宙飛行を成功させるんだ!」って。
そっから、シロツグは訓練漬けになる。上官のカイデン将軍が「有人宇宙飛行計画」を極秘で進めてて、シロツグはロケット発射に向けて、一人必死に頑張る。同期のマティ、カロック、ドムロット、ダリガン、チャリチャンミ、ネッカラウト、ヤナラン、マジャホといった、個性的な宇宙軍メンバーも、なぜか感化されて協力し始める。グノォム博士ら老技術者たちも「こいつら、本気だ」って思って、古いロケット関連の技術を総動員して、4号ロケットの開発を進める。
でもね、政治は複雑。オネアミス王国の上層部は、宇宙軍を見限ってる。隣国リマダとの境界線ギリギリに発射台を設置して、「敵に奪わせてやれば、外交カードになるな」とか計画してる。敵国の共和国も、「こんなん絶対阻止しなくちゃ」って暗殺者を送り込む。シロツグはその暗殺者と戦って、相手を殺しちゃう。ショックで、リイクニのところに逃げ込むけど、彼女とはすれ違ったまま。でも、マナ(リイクニの女の子)との交流で、少しずつ癒される。
打ち上げ当日。共和国軍がロケット基地に侵攻。局地戦が勃発。カウントダウンが中止されるけど、シロツグは操縦席の中から「発射を決行しろ!」って叫ぶ。ロケットは敵の銃火をかいくぐって、地上を離れ、天高く上昇する。シロツグは軌道上で、当初の原稿にない祈りのメッセージを語りかける。地上のみんなが見守る中、人類初の宇宙飛行は成功した。それでいて、ラストはね、すごくクールなんだ。シロツグがリイクニのところに戻るわけじゃなく、もっとこう、深い「別れと結びつき」を感じさせる。
この物語構造、ね、すごく工夫されてるんだよ。単なる「冒険成功!」じゃなくて、「現実との葛藤の中で、夢を叶える」ってメッセージが、すごく深く入ってくる。
ここがすごい!構造・キャラ・演出の分析
さて、じゃあ本題だ。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』がなぜこんなに凄いのか、構造とかキャラとか演出の視点から、テンフォーティ流にロジカルに分解してみるよ。準備はいい?
1. 物語の構造:「現実の中のファンタジー」と「個人と世界」
『オネアミスの翼』の物語構造で最高にスゴいのが、「現実感と夢のバランス」 だと思う。普通のアニメ映画ってさ、「ファンタジー世界」って割り切って、現実を無視するじゃん? 『ラピュタ』も『AKIRA』も、そういう「別世界」として描かれてる。でも、『オネアミスの翼』は違う。舞台は架空の惑星だけど、その日常は、思いっきり「現実的」なんだよ。
たとえば、シロツグが朝起きるシーン。ベッドから起きて、着替えて、朝食を食べて、仕事に行く。その全てに「リアリティ」がある。食器のデザイン、部屋の間取り、街の建築、全部がね、「1950年代的だけど、微妙に異なる」みたいな感覚。これ、監督・山賀博之が徹底的に仕込んだ演出。スタッフ全員が「この世界のスプーンは何か」「この世界の建物はどういう構造か」とか、めっちゃディスカッションしたらしい。だから、観客は「これ、実在する世界かもしれない」って錯覚する。その「現実感」の中に、「宇宙飛行」っていう、めっちゃ大きな夢が立ち上がる。このコントラストが、すごく効く。
次に、物語の流れとしては、「個人と世界の衝突」 が核になってる。シロツグは、最初「何もしたくない」。でもリイクニの一言で「宇宙飛行士になる」と決める。でも、その道のりは、政治的陰謀、敵国の陰謀、死(博士の死、暗殺者との戦闘)、失恋とも言える別れ、全部がぶつかってくる。つまり、シロツグの「個人的な夢」が、世界全体の問題と衝突する構造になってるんだ。で、最後に彼が何をするかというと、「原稿にない祈り」を宇宙から地上に向かって発するわけ。これ、めっちゃ深いんだよ。シロツグが、もはや「個人的な野心」を越えて、「人類全体への祈り」に変わってる。この「個から全体へ」の転換が、この映画の最高のメッセージ。
2. キャラクターの心理構造:「違う人たちが、同じ夢に向かう」
『オネアミスの翼』のキャラって、全員がね、すごく「個性的」で「矛盾してる」んだよ。
シロツグは、一見「優柔不断で頼りない」主人公だ。でもね、その「弱さ」がリアルなんだ。彼は、リイクニのおかげで目覚めるけど、それでも現実の重みにへこたれる。暗殺者との戦いで人を殺しちゃって、深刻なショックを受ける。リイクニとも「純粋に愛し合う」みたいなロマンティックなことはなくて、すれ違ったままになる。このね、「弱さと努力の同居」が、めっちゃリアル。多くのアニメの主人公って「一度決めたら、ぐいぐい進む」ってキャラが多いけど、シロツグは違う。悩みながら、ぼろぼろになりながら進む。その姿が、めっちゃカッコいいんだよ。
リイクニは、「純粋だけど、現実と噛み合わない」女性として描かれてる。彼女は、宗教信仰に生きてて、シロツグに接した時も「あなたを見ると、人間って素晴らしいと思う」みたいなことを言う。でも、彼女はシロツグの現実的な悩みには答えられない。二人の関係は、「精神的な共鳴」であって「愛情関係」ではない。そこがね、すごく大人的だし、リアル。声優の弥生みつきが、リイクニの「浮世離れした」でいて「底知れぬ優しさ」を完全に表現してる。
マナという5歳の女の子が出てくるんだけど、この子がね、超重要キャラ。無口で無表情。でも、シロツグと関わる中で、少しずつ心を開く。最後、シロツグが宇宙へ向かう直前、マナが笑う。その表情が、めっちゃエモい。シロツグにとって、マナとの関係は「リイクニとの精神的な結びつき」より、もしかしたら「本物の愛情」かもしれない。
他のメンバーも、皆が「個性的」で「矛盾してる」。マティは、見た目は陽気でやり手だけど、実は繊細。カロックは「瞬間湯沸かし器」という怒りやすさが、実は「完璧を求める真摯さ」の現れ。ドムロット、ダリガン、他の宇宙軍メンバーも、皆が「市井の人間」としてリアルに描かれてる。このね、「全員が違って、全員が同じ目標に向かう」っていう構造が、めっちゃ深い。
3. 演出と映像の妙:「リアリティと時間の使い方」
『オネアミスの翼』の演出で最高にスゴいのが、「地味なシーンに時間をかける」 ってこと。通常のアニメ映画ってさ、派手なアクションシーンに時間をかけるじゃん? でも、『オネアミスの翼』は違う。シロツグが朝起きるシーン、歩くシーン、食事をするシーン、その全てに「作画量」を使う。たとえば、シロツグが街を歩くシーン。足の動き、服の揺れ、表情の変化、全部がね、すごく丁寧に描かれてる。これ、作画監督・貞本義行が「キャラに髪の毛のハイライトを指定した」(当時のアニメでは珍しかった)のと相まって、キャラクターたちがメッチャ「生きてる」ように見える。
で、クライマックスの戦闘シーン・ロケット発射シーン。ここは、作画監督・庵野秀明(後のエヴァンゲリオン製作総指揮)が、スペシャルエフェクトアーティストとして関わってる。爆発、煙、曳光弾の光、全部が「本物を見た印象」で描かれてる。庵野は「ジェット機が射つ曳光弾のシーンは、恐らくアニメで初めて、その弾丸が放つ独特の光を表現できた」と語ってる。その分、作画に「通常の3倍近い時間がかかった」らしい。この「手間暇」が、映像のリアリティを生み出してる。
音響もスゴい。音楽監督は『戦場のメリークリスマス』で有名な坂本龍一。坂本は「ロック・テクノの手法を使ってクラシックを感じさせる」という、めっちゃ独特なアプローチをした。戦闘シーンのBGM、ロケット発射のカウントダウン、全部が「緊迫感」と「荘厳さ」を同時に放出してる。ただし、坂本は後年「本作に対しあまり気に入っていない」とコメントしてるらしい(アニメ映画音楽への理解不足があったのかも)。でも、本当に観ると、坂本の音楽なしに『オネアミスの翼』は成立しない。
4. テーマと世界観:「宗教」「科学」「個人」
『オネアミスの翼』の根底にあるテーマは、「宗教と科学」「信仰と現実」 の相互作用。監督・山賀博之は、キリスト教、般若心経、トルコ音楽など、様々な宗教や文化を研究して、本作専用の宗教を作り上げた。リイクニの信仰は、この独自の宗教システム。彼女は「祈り」を通じて、世界と繋がる。一方、シロツグは「科学」(宇宙飛行)を通じて、世界と繋がろうとする。二人の関係は、「信仰と科学の対話」。最後にシロツグが「祈り」を発するという展開も、「科学と宗教の融合」を暗示してる。
また、1987年という公開時期も重要。この時代は、バブル経済絶頂期で、日本は「技術大国」としてのピークにあった。でも同時に、「核兵器の恐怖」「環境破壊」への不安もあった。『オネアミスの翼』は、そんな時代に「科学技術は素晴らしい。でも、それはあくまで手段であって、目的ではない」というメッセージを発してたんだ。シロツグの「祈り」は、テクノロジーの先にある「人間の本質」を求める行為。これ、めっちゃ深い。
脱線トーク・たとえ話・オタク史の小ネタ
さて、ちょっと脱線しよう。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』ってさ、単なる映画じゃなくて、1980年代後半の日本アニメ・オタク文化の「一大転機」だったんだよ。
1. DAICON FILMからGAINAXへ:若き天才たちの野心
『オネアミスの翼』の製作の背景には、アマチュア映像集団「DAICON FILM」がある。1980年代初頭、岡田斗司夫がプロデュースして、山賀博之、庵野秀明、前田真宏、貞本義行ら、当時大学生だった天才たちが、「日本SF大会」のOPアニメを制作。その後、彼らは『超時空要塞マクロス』『風の谷のナウシカ』の制作現場で経験を積んで、「自分たちのオリジナル商業作品を作ろう」って決起したわけ。
1984年、岡田は「色々やって人材もそろってきたし、このまま解散するのはつまらないから、何か企画はないか?」って発言。そこから『オネアミスの翼』の企画が始まった。最初は「4000万円のOVA」として企画されてたけど、バンダイの山科誠社長の太鼓判で、2時間の劇場用映画として製作することが決定。予算は3億6000万円。その後、坂本龍一の音楽監督起用で4000万円追加され、結局4億4000万円かかった。(公開宣伝費含めて総製作費8億円)。当時のアニメ映画としては、ぶっ飛んだ予算だった。
2. 若きクリエイターたちの熱血:宮崎駿・押井守の応援
この企画、バンダイの役員会では「本当にこんなアマチュア集団に大金を預けていいのか?」って反対もあったらしい。でも、宮崎駿と押井守が役員会に出席して、「こいつらは本物だ。応援しよう」と推薦したんだ。宮崎は「金のない無名の若者たちが集団作業で作る姿勢に好感を持ってた」と言われてる。押井は「飾り窓だけじゃなくて、建物そのものを建てられるはず」と評したらしい。
ただし、完成後は宮崎も「将軍が簡単に打ち上げを諦めたこと」や「主人公以外の努力してきた年配者を描かないこと」を批判して、『キネマ旬報』での対談では「山賀とほぼ口論に近い形」になったらしい。この「厳しい批評」があったからこそ、アニメ業界は『オネアミスの翼』の価値を理解したんだと思う。
3. 当時のオタク反応と「難解性」の評価
公開当時、『オネアミスの翼』は「難解」「大人向け」って言われて、興行成績は振るわなかった(配給収入3億4700万円)。8億円の製作費対比、赤字。でも、その後のビデオ・レーザーディスク販売は長く好調で、近藤光(ufotable社長)が「オネアミスの翼は15年かかって回収している」と述べてるほど。つまり、劇場では「難しすぎた」が、ビデオ世代には「何度も見直す価値のある傑作」として認識されたわけ。
オタク文化の観点からすると、『オネアミスの翼』は「アニメは子供向けの娯楽」という常識を壊した作品。あんた『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』で熱狂してた当時のキッズたちも、『オネアミスの翼』を見ると「え、アニメってこんなことできるの?」って、脳がバグった。グノォム博士のキャラデザイン、ロケットのメカデザイン、細部のこだわり、全部がマニア心をくすぐった。同人誌も出まくったらしい。
4. 1987年という時代背景
1987年って、日本アニメ業界にとって何が起きてたか。翌年1988年の『AKIRA』公開。後の『新世紀エヴァンゲリオン』につながる庵野秀明の飛躍。『トップをねらえ!』のようなOVA時代の到来。『オネアミスの翼』は、そのど真ん中で、「劇場用フルカラーアニメの可能性」を提示した作品だったわけ。
バブル経済の絶頂期。日本は「技術大国」としてのピークにあった。アメリカ映画のハリウッドのような「世界的ヒット」を目指す野心が、日本のアニメ業界にもあった。『オネアミスの翼』は、ロサンゼルスのグローマンズ・チャイニーズ・シアターでワールドプレミア上映されて(1987年2月18日)、シド・ミード、マイケル・ビーンら、ハリウッドの有名人も来場。『STAR QUEST』という英語タイトルで海外展開も試みられた。ただし、英語版の翻訳は「アメリカのスタッフが大幅編集」して、日本版とはニュアンスが完全に異なり、批評家からは「画とストーリーが一致していない」と指摘されたらしい。
でもね、この「失敗」も含めて、『オネアミスの翼』は「日本アニメの国際進出」への最初の大きな一歩だった。
テンフォーティ的まとめ(ぶっちゃけどうなの?)
さて、最後にテンフォーティなりに『王立宇宙軍 オネアミスの翼』をまとめてみるよ。ぶっちゃけ、この作品って、何だったのか?
『オネアミスの翼』は、「アニメの可能性を最大限まで追求した傑作にして、青年たちの魂のドキュメント」 だ。物語、キャラクター、映像、音響、全てが「高い完成度」で統一されてる。とりわけ、シロツグという「凡庸だけどリアルな主人公」を通じて、「個人の夢と世界の衝突」を描いたテーマが最高。リイクニとマナ、そして宇宙軍メンバーたちとの関係の中で、シロツグが少しずつ成長していく。最後に彼が「祈り」を発するという結末も、「科学と宗教の融合」「個から全体への目覚め」を象徴してて、マジで深い。
ただね、ぶっちゃけ、当時の観客には「難解」「何が言いたいのかわかんない」って思われちゃった。興行成績も振るわなかった。宮崎駿からも「将軍の描き方が甘い」って批判されたし、安彦良和からは「何のメッセージもない。ただ映像が素晴らしい。『地球は青かった』? それ、ガガーリン50年代だろ。ふざけんな」って言われた(笑)。つまり、当時は「映像は凄いけど、テーマが伝わりきらない」って評価だったんだよ。
でも、今見直すと、メッチャ深いんだ。1987年の日本が「技術大国」として絶頂期にあった時代に、「科学技術は素晴らしい。でも、人間の本質は祈りや信仰の中にある」というメッセージを発した。これ、マジで前衛的。バブル経済の狂乱の中で、「本当に大事なものは何か」って問いかけてた。
だからね、『オネアミスの翼』は「難解」ではなく、単に「当時の観客のリテラシーより上にあった」ってだけなんだ。時間が経って、観客も成長した。今見ると、ね、めっちゃ素晴らしい。
最後に一つ。『オネアミスの翼』って、シロツグが「凡庸な男」のまま、宇宙に行く。彼は「英雄」じゃなくて、「平凡なやつ」。でも、その「平凡さ」の中に、めっちゃ「人間らしさ」がある。もし、お前が「自分って凡庸だな」って思ってても、大丈夫。シロツグだって、平凡なやつが、最後には宇宙に行っちゃう。つまり、「凡庸さ」ってのは、夢を追う邪魔にはならないんだ。むしろ、「本物」の土台になるんだ。
だからね、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』は、「全ての凡庸な人間への応援歌」 だと思う。シロツグ、リイクニ、マナ、宇宙軍メンバーたち、全員が「市井の人間」。でも、みんなで力を合わせれば、人類の夢を叶えられる。この「集団で一つのものを作り上げる」という経験が、監督・山賀博之をはじめ、若きクリエイターたちが本作を通じて、僕たち観客に伝えたかったメッセージなんだと思う。
じゃ、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』、ぜひ一度、劇場で、またはビデオで見直してくれよ。今見ると、違う景色が見えるはずだ。お前はどう思った? シロツグの「祈り」のシーン、ぶっちゃけどうだった? コメント欄で教えてくれよ!
じゃ、テンフォーティでした! また次回のトークで会おうぜ!
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