“何者かになりたい”と苦しかった私が、やっと見つけた答え。
私はずっと、何者かになりたかったんです。
そしてその“何者か”には、いつも 形容詞 がついていて...。
「世間体のよい何者か」になたりたい。
というもの。
この価値観のルーツは、間違いなく母。
私はしっかり覚えていて、
小学生の頃、「将来何になりたい?」という話になったときのこと。
母は目を輝かせて言ったのです。
「弁護士になればいいわ」
当時の私は、ちょっとばっかし成績が良かった。
だから母の中では、
「成績がいい → 弁護士→世間体がいい→自分の喜び」
というシンプルな思考が働いていたのでしょう。
私は母に聞きました。
「弁護士って何をするの?」
母が弁護士の役割を、
あれこれ語ってる最中にもう思ってました。
絶対にイヤだ!!
小学生の私でも、
自分には向いていないことだけはハッキリ自覚できました。
ただ同時に、こうも思ったんです。
その職業についたら、母はきっと喜ぶんだろうな...と。
私はシチュワーデス(当時の名称で失礼)
になりたかった。
単純に制服への憧れと、
あちこち海外へ行きた~いの思いからでした。
しかし、
小学生で、乗り物酔いが激しい私には無理かなと思い始め、
中学生で、生理痛がひどい私には体力的に無理だなと諦めモード。
そして高校生になる頃には、
この英語の成績では無理だと、本格的に断念しました。
その後も、「何者かになる」ための大学ではなく、
偏差値で選んだ大学へ行き、
そこでも何かを見つけることはできませんでした。
このへんから、私の長い“何者にもなれない時代”が始まりました。
“世間体のよい何者か”を目指すほど、
私は空っぽになっていった。
本当は心からやりたいことじゃないのに、
世間的に聞こえがよさそうなものにばかり手を出して、
“その職業の私”になろうとしていた私。
でも結局、
胸を張って言える肩書きはひとつもなく、
世間に対して説明できるものも、何もなかったんです。
結婚後も”何者かになる”べく、挑戦は続きました。
だって義理母がよくこう言うから。
「あの人はねぇ、よく働く人で…」
「どこどこにお勤めされてて...。」
まるで
“どこで働いているか=立派、価値がある”
が当然の常識かのように。
そういう言葉を聞くたびに、
母の価値観とも重なって、
私は勝手に自分が価値のない存在のように感じて、
ますます“何者でもない私”が苦しくなっていきました。
“何者か”になろうとして、資格を集め続けた日々。
自分に価値がほしくて、
肩書きがほしくて、
私は資格を取り続けました。
それでも、このままではダメだと、
今度は、自分が本当に興味があるもの、
自分にも人にも役に立つであろうもの。
ハンドリフレクソロジスト
薬膳アドバイザー
心理カウンセラー
ホロスコープリーディング
認定ヒーラー
どれも本気で学んだし、
どれにも夢中になりました。
まわりの人のこころや体に寄り添うことで、
病院でも良くならなかった症状が改善したと聞けたとき、
気持ちがラクになれたと喜ばれたとき、
自分が誰かの力になれたことが、
小さな誇り...のようにも感じられました。
でも、どれも、
体力が続かなかったり、
親のことで良きタイミングを逃したり…。
堂々と肩書きとして名乗り、
対価をいただくというレベルには至りませんでした。
なので当時の私は、そこに達していないことで、
「また中途半端に終わった…」と、
自分を責めていました。
世間体って…
いつの間にか心に入り込むもの。
よく見られたい
外れたくない
立派でいたい
誰しもが感じる気持ちだろうけど、それが強すぎると、
自分の感覚より、世間が基準になってしまうんですよね。
でも、そういうものに本当にうんざりした時、
周りの目より、私の心は軽いの?重いの?
世間の基準より、私の体の反応はどうなの?
立派に見えるかより、私はそれを好きなの?
これを何度も何度も確かめていたら、
世間体というものが、
徐々に意味をなさなくなっていったんです。
結果として、
肩書きにはならなかったし、
お金にもつながらなかったし、
いわゆる世間体の良さにもならなかった。
それでも、
あの時期に学んだこと、
触れたこと、
感じたこと、
人の言葉に耳を傾けた時間、
誰かの手をなでた時の感覚、
その過程は外から見える形にはならなかったけど、
内側ではちょっとずつ積み重なり、
私の中にジワジワと“核”を作ってくれていたのだと感じます。
そして、自分の価値を自分で認められた時、
「世間体のいい何者かにならねば!」の思いは、
どこかに吹っ飛んでいきました。
最近では義理母が、あのような事を言わなくなりました。
多分、言われても私が気にならなくなったから。
「ほ~そうなんですね~」と流せるようになったんです。
世間体の“よさ”ではなく、自分の“心地よさ”を。
「世間体がどうのこうの」という言葉を幾度となく聞かされて、
いつの間にか植え付けられた、実態のない世間体。
そんなものに左右されて自分を見失っていたことが、
今では悔しいとさえ感じます。
もっと早くそこに気づいて、
世間体の良さより心地よさ、
どう見られるかよりどう感じるか、
立派さより自分らしさを選択していれば、
何者かになることに右往左往をする必要もなかった…。
そしてその選択ができたなら、
不要な形容詞なんてつかない、
自分なりの、自分にしかなれない何者かに、
自然と、すんなり、軽やかになれちゃうように思えるのです♪
あなたがいま、“何者かにならなきゃ” に疲れているなら、
世間体の“よさ”ではなく、
自分の“心地よさ”
の感覚のほうへちょっと戻ってみるのはいかがでしょうか?♪
少しでも、あなたの心と体がラクになりますように🍀
お役に立てたら嬉しいです😊
