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なぜ、あの人の一言にこんなに腹が立つのか─仏教が教える「第二の矢」を避ける方法

今朝は、怒りについてお話ししました。

人はなぜ怒るのか。 そして、怒りの苦しみを、どうすれば和らげることができるのか。

お釈迦さまの「二本の矢」のたとえを手がかりに、 一緒に考えてみたいと思います。

一日に何回、イラッときますか

皆さんは、一日に何回くらい、 イラッとしたり、ムカッとしたりするでしょうか。

仏教の話をしている私でも、 イラッとくることはあります。

昨日も、夢の中で何かに怒っていました。 内容はよく覚えていないのに、 怒っていたことだけは、はっきり覚えている。

朝から、なんとなくモヤモヤした気持ちで目が覚めました。

不安になったとき。 寂しくなったとき。 気持ちを受け止めてもらえなかったとき。 思い通りにならないとき。

人は、怒ったり、腹を立てたりするものです。

お釈迦さまの「二本の矢」のたとえ

お釈迦さまは、苦しみについて、 次のように語られています。

パーリ仏典『サンユッタ・ニカーヤ』に出てくる、 有名な「二本の矢」のたとえです。

(以下、原文を現代語に訳したものです)

「教えを聞いたことのない凡夫は、 苦しい感受に触れられると、 悲しみ、疲れ果て、嘆き、胸を打って泣き叫び、迷妄に陥る。 彼は二つの感受を受ける。 身体的な感受と、心の感受である」

「たとえば、ある人が矢で射られ、 さらに第二の矢で射られたとしよう。 その人は、二本の矢による苦しみを受けるのである」

一本目の矢は、身体的・感情的な苦しみです。

石が飛んできて頭にぶつかれば、 どんな悟った人でも痛い。

お腹がすけば苦しいし、 体が疲れればつらい。

悲しさや、不安や、寂しさも、 人間として自然な感情です。

これが、一本目の矢。

二本目の矢は、 そこから増幅される苦しみです。

「なぜ自分がこんな目に」 「誰のせいだ」 「許せない」

こうした思考が、 怒りや恨みや攻撃衝動を生み、 苦しみを何倍にも膨らませる。

これが、二本目の矢です。

怒りは「二次感情」

心理学では、怒りを「二次感情」と呼びます。 これは、お釈迦さまの「二本目の矢」と、 驚くほど重なります。

最初にあるのは、一次感情です。

悲しい。 不安だ。 怖い。 寂しい。 傷ついた。 疲れた。

これらは自然な感情で、 避けようがありません。

けれど、この一次感情を認められなかったり、 押し込めたりすると、

「なぜなんだ」 「あいつのせいだ」 「許せない」

という二次感情に変わる。 これが、怒りです。

つまり、 怒りの根っこには、 たいてい別の感情が隠れています。


怒りは二次感情

信念(ビリーフ)が矢を刺す

論理療法(REBT)では、 出来事そのものよりも、 それをどう受け取るかが、感情を左右すると考えます。

私たちは、 出来事を「信念」や「価値観」というフィルターを通して見ています。

たとえば、電車で公共マナーの悪い人を見たとします。

席を広げて荷物を置き、 もう一人二人座れるのに占領している。

イラッとしますよね。 それ自体は、自然な反応です。

けれど、 「公共マナーは絶対に守るべきだ」 という信念がとても強いと、

電車を降りても、 その人のことが頭から離れない。

一日中、ムカムカする。

これは、 二本目の矢が刺さっている状態です。

「公共マナーは守るべきだけれど、 守らない人もいる」

そう少し緩めてみると、 二本目の矢が、ポロリと取れることがあります。

メールの返信が遅い人にイライラするのも、 同じ構造です。

「メールにはすぐ返信すべきだ」 という信念が強いと、 返信が来ないだけで腹が立つ。

けれど、 「必ずしも、すぐ返信するのが当然とも言えない」 と緩めると、 イライラは減っていきます。

お釈迦さまは、 心の奥にある 「こうあるべきだ」という思い込みに気づかせ、 それを手放すことで、 二本目の矢を抜いていかれたのだと思います。

論理療法(ABC理論)

「のだな」で眺めてみる

二本目の矢で苦しまないために、 一つの実践を紹介します。

「のだな」の法則です。

腹が立っているとき、 「腹を立てているのだな」とつぶやいてみる。

イライラしているとき、 「イライラしているのだな」。

悲しいとき、 「悲しんでいるのだな」。

「のだな」には、 良い・悪いという評価がありません。

「こうすべきだ」という意味もありません。

ただ、 今の自分の状態を、 少し離れた場所から眺める視点が生まれます。

これは、自分に対しても使えますし、 相手に対しても使えます。

怒っている人を見て、 「あの人は、すごく腹を立てているのだな」。

そう眺めることで、 相手の怒りに巻き込まれず、 距離を保つことができます。

「悲しんでいるのだな」 「疲れているのだな」 「傷ついたのだな」 「不安を感じているのだな」

こう見つめることができると、 二本目の矢は、飛んできません。


のだなの法則

一本目の矢だけにする

もう一度、 お釈迦さまの言葉を振り返ります。

「教えを聞いたことのない凡夫は、 苦しみに触れられると、 二つの苦しみを受ける。 身体的な苦しみと、心の苦しみである」

一本目の矢は、避けられません。

体がある以上、 お腹はすくし、体は痛む。

心がある以上、 悲しみも、不安も感じます。

けれど、 二本目の矢は、 物事の捉え方を少し変えるだけで、 ポロリと取れることがあります。

苦しみは、 一本の矢だけにしたいですね。

今日、もしイラッときたら、 少し立ち止まって、考えてみてください。

今、刺さっているこの矢は、 一本目でしょうか。 それとも、二本目でしょうか。


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