臨床で扱う自己愛の問題について
自己愛と臨床
自己愛は心理学の中でも中心的なテーマである。元々は精神分析に端を発する概念ではあるが、現在では心理学の実証的な研究テーマとなり、国内外で多くの研究が行われている(川崎,2001)。臨床と基礎研究を繋ぐものであるが、にもかかわらず「自己愛を扱う臨床をやっている」と言うと、あまり良い反応が来ないのが常である。
なぜだろうか?臨床家にとって、一種「自己愛」の高さというのはスティグマとなっているのだろう。自分自身、自己愛が高い人間であると思うし、実際SVでも多くその点に関しては指摘されていた。
だが「自己愛」とは何なのか。なぜ「自己愛が高い」ことが臨床的に問題になるのか。
この点についてあまり理解は深められていないように思う。これだけ多くの研究者が、自己愛が高いことが、すなわち悪いことではない、と述べているにもかかわらず、否定的な反応が出てくることがその証左であるように思う。
ここで今一度、そのことについて考えてみたいと思う。
まずは社会心理学者である、大渕憲一(2003)の著作の巻頭の言葉から始めたい。
我々は、眉をひそめながら「あの人は自己愛が強い」と言うが、その一方で、実は自分こそ自己愛者ではないかと内心恐れているところがある。自分の背中に「自己愛者」と書かれた張り紙が張ってあるのではないかと不安になる。その意味で、自己愛は我々のコンプレックスそのものである。
現代社会に生きる我々が経験する悩みや惑いのほとんど、失望も、嫉妬も、恨みも、そして恐れも、そのほとんどが自己愛に由来している。自己愛を認めたくないと思うその心理こそが自己愛である。こうした意味で、自己愛は現代人の心理の扉を開く魔法の言葉である。<中略>
自己愛は程度の差はあれ、ほとんど誰にでもある。また、それは変動する心理である。誰もが、状況次第で自己愛者となり得る。何かをやり遂げて得意満面の時にはプライドが高揚し、我々は自己愛的となる。反対に、失恋したりクビを言い渡されてプライドが傷ついたとき、我々は人の言動に過敏になるが、それは自己愛症状に類似のものである。
本書は、現代人である我々自身の自己理解の試みであり、また、共にこの社会を生きる隣人を理解するための試みでもある。
同じくここでも、自己愛の視点から、自分と他者についての理解を深めることを目指したい。
自己愛とは何か?:短い歴史的なレビュー
まずは川崎(2001)などを手掛かりに、心理学における自己愛の研究についての歴史を振り返ろう。
ナルキッソスの神話
元々自己愛という言葉は、ギリシア神話の「ナルキッソス神話」に由来する。そこから自己その身体を性の対象とする「自体愛」の状態を表現する、一種の性的倒錯を表現する言葉としてナルシシズムという用語が用いられた。
精神分析における自己愛
それがフロイトによって用いられることで、まずは精神分析学の中に自己愛が登場することになる。
フロイトは、生まれたばかりの乳児が、自他の区別ができておらず、養育者と自己を一体のものとして捉えている様を「一次的ナルシシズム」と呼んだ。ここでは他者に向けられるべきリビドーが自身に向くので、そこで「自体愛」の状態が作られるのである。
二者関係・三者関係と発達していく上で、リビドーが他者に向けられるようになり、自体愛の状態は解消される。しかしながら、発達後にも外界の対象との関係で満足が得られない場合、それを自己に向ける状態になってしまうことがある。これをフロイトは「二次的ナルシシズム」と呼び、精神病水準の心性の理解を試みている。
こうしたフロイトの理解を受け継ぎつつ発展させたのが、カーンバーグである。カーンバーグは自己愛性パーソナリティ障害を、境界例の亜種として位置付ける。カーンバーグは「病的誇大自己」という、現実の自己イメージ、幼く万能的な自己イメージ、非現実的な無限の受容を引き受ける親イメージが区別されず一体となった、現実と理想、自他の境界が曖昧な病的な構造体を想定する。この病的誇大自己がその維持のために、スプリットや投影を行うために生じるのが「自己愛性パーソナリティ障害」であるとカーンバーグは述べるのである。
コフートによる自己愛理解
一方でコフートは、自己愛性パーソナリティ障害を「自己の発達の停滞」であると捉えている。コフートは、一次的ナルシシズムが崩れ去っても、自己への関心はより現実的な形で存続すると考えた。人は大人になっても、自己の有能さや才覚を認めてくれ、自信と勇気を与えてくれる他者や、道徳的価値の体現者として我々に生きる指針を与えてくれる他者が必要なのである。幼少期に親から共感的な関わりが適度に与えられることによって、子どもの誇大自己は、成熟した野心や自尊感情へと変化する。しかしそれが与えられないと、いつまでたっても誇大自己は存続したままになってしまい、それが自己愛性パーソナリティの障害の特徴として現れることになると、コフートは考えたのである。
カーンバーグとコフートの描く自己愛性パーソナリティの像は随分異なっている。治療に対するアプローチもカーンバーグの直面化に対して、コフートの共感的応答という、真逆と言って良いようなものである。これは両者がみていたクライアントの層が異なることに由来するという指摘もある(安村,2016)。いずれにしても、臨床場面では両方のタイプがいるということを理解することは必要である。
DSM-3の自己愛性人格障害とNPIの開発
主にカーンバーグが描いたような一群の人物像が、DSM-3において「自己愛性パーソナリティ障害」として収録されることになった。これは誇大的な自己意識、自己中心性、自己顕示性の強さ、共感性の欠如など、いわゆる一般的な「ナルシスト像」に一致したものとなっている。
このDSMの項目に基づいて、より一般の性格傾向としての自己愛を測定するNPIという尺度が作成された。この尺度の開発によって実証的研究が広がることなった。現在は自己愛の性格傾向は自己愛性パーソナリティ障害よりも多くの研究がおこなわれ、多くのモデルが提出されている。
自己愛の二つのダブタイプ
また、自己愛の概念を臨床的に応用するためには、自己愛の「誇大性」に注目するだけではなく、その「脆弱性」あるいは「過敏性」と呼ばれるタイプにも目を向けなくてはならないと指摘されている。「過敏性」のタイプは他者からの評価に過敏で、誇大性をうちに隠し、自己消去的な振る舞いをしたりする一群であり、日本のような文化圏ではこちらが中心であるともされる。
しかしながらNPIに比べて、脆弱性や過敏性を含んで標準化された尺度が存在していないという問題があり、実証的研究はそこまで追いついていない。
自己愛とは何か
自己愛という言葉は「①誰しもが持つ一般的な心理的機能を表す用語」「②特定のパーソナリティやその障害を表す用語」という二つの意味で用いられている。
一般的な心理的機能を表す用語としての自己愛
まず、①について。フロイトは自己愛を特定の病的な心性であると論じたが、現代ではそのような見方に同意する心理学者・理論家は存在しないと言って良い。
専門家たちは、自己愛の中心にあるのは自尊心・プライドであると考えている。自尊心・プライドは「自分に対する肯定的な自己評価、そしてそれに伴う快感情」であり、一般的にみられるものであり、それ自体は悪いものではない。
社会的成功は他者からの称賛を浴び、自尊心やプライドを満たすものである。それゆえに自尊心やプライドは、それを手段として用いることで、私たちを生産的な活動へと向かわせることができるものである。
特定のパーソナリティやその障害を表す用語としての自己愛
①の定義が定まるのであれば、②も明らかになっていく。高い自尊心を満たすこと・プライドを守ること、それ自体を目的として活動する人たちを「自己愛者」と呼ぶことができる。自己愛者は、称賛されようとするがために、社会的成功を求め、他者をそのために用いようとする。
これが顕在化したのが「誇大型」の自己愛者であり、反対に挫折や他者からの批判・挫折に対する過敏性を示すのが「過敏型」の自己愛者となる。

自己愛とは何か
まとめるならば、「自尊心を満たそうとする一般的な心性を自己愛と呼び、健全な状態では自己愛は手段としてより高次の目的を果たすために働くが、不健全な状態では自己愛はそれ自体を目的として働くものとなる」といえる。
それ自体を目的とする不健全な自己愛が、他者への共感性を欠いて一方的に発露されたり、または反応が強くその頻度も高いような時、それは病的なものとして発現すると考えられる。
実証研究からみた自己愛者の特徴
まずは大渕(2003)を参照し、実証研究で明らかにされた自己愛者の特徴をみていきたい。
自尊心の不安定性
もし自己愛者の自尊心を持っているのであれば、なぜ彼らは人からの批判に対して敏感なのだろうか。ストア派の哲学者が主張するように、自分に自信があるなら、人の批判などに動揺する必要はないのではないか?
しかし、事実はそうではない。自己愛者の自尊心は高い一方で、不安定でもある。そのせいで、プライドが高い人はそれを傷つけられることに敏感になってしまう。また、プライドを傷つけられた結果激しい怒りを示したり、あるいはそうした状況を回避しようとしてしまう。
アメリカのF・ロードワルトはそれを確かめるために、次のような実験をした。
事前にNPIによって自己愛度を調べた学生に対して、知能検査を二回受けさせた。その結果として、一回目は全ての学生に「劣等生」であったと、そして二回目は全ての学生に「優等生」だという(偽の)通知を受け取らせた。また、逆の順番でも操作を行った。
結果、すべての学生が劣等生であると言われると自己評価が下がり、優等生であると言われて自己評価が上がることになった。しかし、もともと自己愛傾向が高い人ほど、その変動の幅が大きかった。この実験結果は、自己愛者の自尊心の方がより不安定であり、より外部の情報に左右されやすいことが示すものである。
自己愛者は誇大的自己イメージを持っていながら、それは砂上の楼閣のように脆い基盤の上にそれは打ち立てられたものである。彼らは自尊心に捉われており、自尊心が低下することに過敏であり、それはまた不安定である。
自尊心方略
人付き合いに何かメリットを期待することは誰でもある。しかし自己愛者に特徴的なのは、自尊心を守るとか、自尊心を高めるために他人を利用するという、「自尊心方略」を用いることである。その例が、他の人々の言動をどのように理解し解釈しているかという「社会的認知」の特徴にみられる。
アメリカのキャンベルは次のような実験を行っている。
大学生を二人一組にして、創造性課題と呼ばれる発想力などを問う課題に取り組ませる。それが終わった後で、二人の成果が「優等生」ないしは「劣等生」であるという結果が、その実際の成績とは関係なく伝えられることになる。その後、「この成績に対して、あなたとパートナーのどちらがより貢献したか?」とたずねた。
結果、自己愛の強い学生は良い成績の時は自分の貢献が大きかったと答え、悪い成績のときは逆に相手の責任であると答えた。自己愛の低い学生は、ちょうどその反対のパターンであった。この実験結果は、自己愛者が良い結果については自分の貢献を強調するが、悪い結果の時は、それを人のせいにすることを示している。
つまり、自己愛者は他の人から与えられる情報を歪めて知覚し、時にはそれを自分に都合のいい形で解釈する傾向があるのである。研究者はこれを「自己誇大バイアス」とよび、自己愛者の社会的情報処理が自尊心を維持・高揚する方向に歪められていること、言い換えると社会的認知が自尊心方略として働いていることを表している。
ゼロサム思考
自己愛者は自分に有利な見方をするだけではなく、他の人を否定的に見る傾向がある。
自尊心やプライドは、成績とか人からの評判など、社会が個人に与えてくれる情報に基づいて上がったり下がったりするものである。これについて、ある人たちはまるで「ゼロサム・ゲーム」のように、自尊心やプライドの根拠となるものは有限であると考える。つまり、称賛を得るためのリソースが有限であり、結果として他者が賞賛されているのをみると、否定的な認知を抱いたり、価値下げを行ってしまうのである。
こうした「ゼロサム思考」は自己愛者だけにみられる特徴ではないが、自尊心にこだわりを持つ自己愛者においてはこれが特に顕著になる。
ロードワルトたちの研究はそれを示している。
学生たちを三人ずつのグループに分けて、対人感受性の課題に取り組ませた。これは写真に映った人物の動作や表情から彼女が何をしているところかを推測して当てる心理テストであり、人の気持ちを理解する能力を調べるものである。課題を終えた後、実験参加者は個別に結果を知らされるが、全員が「グループ内であなたの成績が一番悪かった」と聞かされる。その後、グループの学生たちにお互いに人柄を評定させたところ、自己愛傾向の高い学生は、他の学生たちをより否定的に評価したのである。
ロードワルトたちは、この実験結果について「対人感受性が低い」と言われて自尊心が傷ついた自己愛者は、自分より能力が高いとされた人を悪く評価することによって、自尊心の回復を試みたと解釈している。
自己愛者は、ある場面が他の人のプライドのために使われてしまったら、自分のプライドのために残された分は少なくなると感じる。だからこそ、他の人が成功したり、賞賛されるのを見るのを好まない。他者の成功や達成を認めたくないので、何かと粗探しをして、他者の成果を貶めようとする。
人を批判したり欠点を指摘することも、自己愛者の場合、自分の自尊心やプライドを維持したり、それを高める方略として行われる場合がある。
親密さの脅威
多くの人にとって、他者を好きになるのはその魅力に惹かれるためであり、恋する者の願いとは、愛する人と親密な関係になることである。しかし自己愛者が恋愛に期待することはこうした親密感や一体感ではない。自己愛者の関心事は、その異性と付き合ったり親しくなることが、自分のプライドを満足させるかどうかにある。それ故、彼らは自分を賛美してくれる相手を恋人とするか、あるいは、周囲の人々が羨むような魅力を持つ恋人を持とうとする。
また自己愛者にとって、多くの人が恋愛に求めるような親密さは、それほど魅力的なことではない。その一つの理由は、親密になるにつれて相手が以前ほど自分を賛美してくれなくなることである。もう一つの理由は、親密になるにつれて本当の自分の姿が相手に開示されると、相手が自分に失望するのではないかと恐れるからである。
このように自己愛と恋愛の関係を理論家したキャンベルは、またNPIを用いていくつかの研究を行なっている。それによれば、自己愛者は恋人を選ぶ時には「優しさ」や「誠実さ」といった内的な属性よりも、容姿や才能と行った外部からの情報を重視することが示された。なぜならこうした恋人は、自分の内的な自尊心を満足させるだけでなく、他の人々に対する自己顕示ともなるからである。また別の心理学者によれば、自己愛者の恋愛パターンは「恋人を支配し、思い通り操ろうとするゲーム感覚の愛」という特徴が顕著に見られることが明らかにされている。
親密さの脅威、そして外的な要素の重視、ゲームのような恋愛パターンといったものは自己愛者の親密な関係での困難さを示すものである。
自己愛者の心理
まとめると、次のようにいうことができる。
自己愛者の自己イメージは動揺しやすい。それはその位置を他者からの情報によって決定してしまうからである。またそのリソースは有限であるものとして考え、他者に対する羨望や敵意として示されやすい。成功は自分の手柄にされるが、失敗は他者のせいにされてしまう。内省は深まりづらく、外的要因に帰属されてしまう。
また他者の評価を気にするあまり、彼らは頻繁に「セルフハンディキャップ」として事前の言い訳を行っていく。あえて自分に不利なことまで行うことすらある。失敗を恐れるが故に大事な場面ほど本気になることができない。人間関係では、自分の本当の姿が顕になり、そして拒否されることを恐れるために、親密になることを避ける。
自己愛者は自らのプライドを満足するために、相手を搾取する。しかし、自尊心のために絶えず心を砕いている割に、自己愛者が人間関係に満足することはない。なぜなら、自己愛者は相手が自分を褒めてくれるのは、自分がそう仕向けていることに、心のどこかで気づいているからである。
しかし彼らの脆弱な自尊心が、自ら自尊心方略をやめることを許さない。自己愛者の望みはあるがままの自分が愛されることであるが、そのことから自らを疎外している人であると言える。
臨床場面で現れる自己愛の問題
ではこうした自己愛の問題は、臨床場面ではどのように表れるか。すでに述べたように、DSMの診断基準を満たすような自己愛性パーソナリティ障害は日本ではそれほど多くはない。
しかし実証研究から明らかにされているように、日常のさまざまな場面で、自己愛の心理的プロセスが影響する出来事は観察することができる。最初に言及した大渕(2003)がいうように「現代社会に生きる我々が経験する悩みや惑いのほとんど、失望も、嫉妬も、恨みも、そして恐れも、そのほとんどが自己愛に由来している」のである。臨床場面でそれを的確に捉えることができれば、クライアントの支援に役立たせることを期待できる。
臨床場面で現れる自己愛の問題は、「自己愛的反応」と「対人関係の障害」という、二つに大別して考えることができる。
自己愛的反応
自己愛的反応とは、プライドが傷つけられたり、それを守ろうとするために生じる、一連の反応であると言える。後に詳述する市橋(2000)は、自己愛が引き起こす問題として「怒り」「引きこもり」「抑うつ」の三つをあげている。
「怒り」や「引きこもり」と自己愛の関係は、様々な理論モデルや実証研究が国内外において示されている(詳しくは小塩・川崎(2011)を参照のこと)。忘れがちになるのは「抑うつ」である。理想とする自分に対してそうではない惨めな自分を自覚するとき、いわゆる「心因性のうつ」を引き起こすことは理解しておく必要がある。
こうした自己愛反応は、直接的に精神疾患や「生きづらさ」となっていたり、あるいはそのきっかけや維持要因となっている場合がある。
自己愛的反応によって引き起こされる抑うつがあまりにも大きい場合、うつ病の診断基準を満たすことがある。社交不安症を過敏型の自己愛と結びつけた、実証的モデルが提出されている(清水,2011)。難治性の強迫性障害や摂食障害の背後に自己愛の病理がみられる場合もある(市橋,2000)。また、不登校やひきこもりも自己愛の問題と合わせて語られることが多い。
あるいは近年流行している、いわゆる(実証的な概念でない)HSP・HSCといったものの一部も、こうした自己愛反応として理解することは可能であろう。他にも、自閉症スペクトラムの認知特性と重なり、自己愛反応が見られることもある。
対人関係の障害
実証的な研究で見た通り、自己愛の問題は親密な人間関係の構築の困難さとして浮かび上がってくる。複雑性PTSDや発達性トラウマ障害、あるいはアダルトチルドレンといった「愛着外傷」の人間関係のパターンも、自己愛の観点から理解しうる。ADHDの二次障害としての自己評価や対人関係の問題の中にも同様の傾向を見出すことがある。
また自己愛の問題があることは、適切なソーシャルサポートから自らを切り離すことにつながりかねない、ということも指摘できるだろう。
自己愛の問題への対処法
われわれのほとんどの悩みが自己愛に由来するとして、それではどうしたらいいのだろうか。大渕(2003)は自己愛への対処法として「他者への依存度を下げること」が必要であり、そのためには過度に人に依存しない自己評価の基盤を作ることが求められると述べている。
しかし、どうやって「人に依存しない自己評価の基盤を作る」ことができるのか?
その具体的な方法を考えるためのヒントとなるのが、市橋秀夫の「内的価値の崩壊と結果主義はどのように精神発達に影響しているか」という論文である(市橋,2000)。これは、どのような行動や認知が「人に依存しない自己評価の基盤」となるかについて、判断する指針を与えてくれる。
市橋論文に関してはフリーアクセスが可能なので、その内容は軽く述べることに留めておく(注・2022年10月の時点で非公開になってしまった)。その上で、筆者がこの論文を参考にして、どのように自己愛の心理教育を行なっているか、その実例について述べることとする。最後に実際に治療をする上で、注意していることについて言及したい。
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