「もうおばさんだから」をやめた。
あなたにも、こんな言葉を向けられたことはありませんか
「もう若くないからね」
「一度も結婚したことがない人には、何か問題がある」
「子どもを産んでいない女は、女として終わっている」
直接言われたこともあれば、テレビや広告、誰かの何気ない一言から、じわりと染み込んできた言葉もあります。
女は若いほど価値がある。愛されるのは若いうち。結婚して、子どもを産んで、家庭を持って、はじめて一人前。
そんな古びたものさしで、私は長い間、自分を測っていました。
白髪を一本見つけるだけで気分が沈み、街を歩く若い女性を見ては、自分が失ったものを数える。「この年齢で、今さら何を始めるの?」——誰かに笑われる前に、自分で自分を笑っておく。傷つかないように、先回りして夢を諦める。そうやって、静かに小さくなっていく自分がいました。
家族との関係もうまくいかず、周りにも本当のところは理解されない。それなのに、
「独身なら自由でいいね」 「好きなことができて幸せでしょう」
と言われるたび、私はもっと孤独になりました。自由なのではありません。どこへ向かえばいいのか分からないまま、ただ広い場所に放り出されていただけだったのです。
結婚も出産も、もう手遅れだと言われるなら。どうせいつか死ぬのなら、それに代わる何かを、この人生に残しておきたかった。
それが私にとって、海外に出るということでした。
もしあなたも、同じような孤独を抱えているなら。それは、あなたがおかしいからではありません。誰かがつくった狭いものさしが、そもそも間違っているだけです。
きっかけは、ほんの小さな一歩でした
今いる場所を離れたい。誰も自分の過去を知らない場所で、もう一度人生を始めてみたい。そう思いながら、私は何年も動けませんでした。
そんな私が、なんとなく始めた語学アプリで、世界中の人と出会いました。
「世界は広いよ」 「どこかに必ず、あなたに会いたい人がいる」 「Age is just a number. 年齢はただの数字だよ」
最初は、きれいごとだと思いました。けれど、私の未来を自分のことのように楽しみにしてくれる人がいました。旅を応援し、実際に力を貸してくれた人もいました。彼らは、私が若いかどうかを聞きませんでした。結婚しているか、子どもがいるかも気にしませんでした。ただ、
「あなたは、これから何をしたいの?」
と聞いてくれました。
そこで初めて気づいたのです。私を閉じ込めていたのは、年齢ではない。年齢で女の価値を決めたがる、誰かの狭い価値観だったのだと。
おばさんがやったのは、たった3つのことでした
もし今、あなたが同じ場所で立ち止まっているなら、特別な才能や勇気は必要ありません。私がやったのは、次の3つだけです。
1つ目は、「もう遅い」という声を疑うこと。
本当に遅いのか。それとも、夢を持たない方が都合のいい誰かの言葉を、自分の声だと思い込んでいるだけなのか。私は、行きたい国、会いたい人、見たい景色を書き出しました。年齢も、世間体も、いったん紙の外に追い出して。「できるか」ではなく、「私は、どうしたいのか」を先に考えたのです。
2つ目は、夢のためのお金を自分でつくること。
スキマバイト、メルカリで不用品を売り、創作したものも販売しました。売れない日もありました。数百円、数千円を積み重ねながら、本当に海外へ行けるのかと何度も不安になりました。それでも一つ売れるたびに、「私は、自分の人生を他人任せにしていない」と思えました。夢は、誰かが迎えに来てくれるのを待つものではありません。おばさんだって、自分の手で、少しずつ現実に引き寄せられるのです。
3つ目は、完璧になる前に出発すること。
英語がもっと上手になってから。お金がもっと貯まってから。自信がついてから。そんな日は、たぶん永遠に来ません。だから私は、不完全なまま飛行機に乗りました。パスポート、航空券、宿、滞在日数、移動方法。分からないことは、一日一つずつ調べました。
出発後も、格好いいことばかりではありませんでした。約束が変わった。頼れると思っていた人に会えなくなった。フィンランドで突然ひとりになり、「私はどこへ行っても孤独なのかもしれない」と泣いた夜もありました。海外へ出たからといって、別人になれるわけではありません。それでも翌朝、私は宿を探し、荷物を持ち、自分の足で次の場所へ向かいました。
強くなったのではありません。泣いても、自分を見捨てなくなった。それだけです。
そして、私はここにいます
沖縄を出てから、62日間。私はドイツ、オーストリア、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニア、フィンランドの7か国を移動しました。
ドイツで出会った、あーちゃんたちの世界は、私が知っていた世界とは違いました。自分の好きな服を着る。好きな人を愛する。誰かが否定してきても、縮こまって許しを請うのではなく、中指を立てて、自分たちの愛を守る。「あなたの偏見に合わせて、私の存在を小さくする気はない」という姿勢が、たまらなく美しかったのです。彼らは、誰かに認めてもらってから自由になったのではなく、先に自分で自分を認めていました。
私はずっと、世間にこう尋ねていました。
おばさんの私でも、まだ何かを始めていいですか。結婚していない私でも、幸せになっていいですか。子どもがいない私でも、女として生きていていいですか。
もう、聞かなくていい。誰の許可もいりません。
若くてかわいければ、もっと助けてもらえるのだろうか。そう思っていた私に、現地で出会った人たちは、ただ一人の人間として接してくれました。「あなたの人生は、まだまだこれからだよ」——そう言って、私の未来を自分のことのように楽しみにしてくれました。
若さは、美しさの一つです。でも、美しさのすべてではありません。好奇心を失わないこと。間違えたら笑うこと。人に優しくすること。雑に扱う人から離れること。何歳になっても、自分の人生に興味を持ち続けること。それもまた、女を美しくします。
老いるとは、価値が減ることではありません。余計なものを脱ぎながら、さらに自分になっていくことです。おばさんという言葉は、終わりの合図ではなく、身軽になった今から、もう一度自分を選び直せるという合図なのだと、私は知りました。
だから、あなたに伝えたいこと
老いるのが怖い。若さを失いたくない。そう思う日があってもいいのです。私にもあります。
けれど、若さを失うことと、人生の可能性を失うことは、同じではありません。
年齢を超えて生きるとは、年齢を無視することでも、必死に若く見せることでもありません。年齢に、自分の人生の決定権を渡さないことです。
「もうおばさんだから」と笑う人がいるなら、笑わせておけばいい。その人の狭い世界に、あなたまで閉じこもる必要はありません。おばさんという言葉は、誰かに使わせるものではなく、自分で使いこなすものに変えられます。
行きたい場所へ行く。着たい服を着る。好きなものを好きだと言う。傷つけてくる人から離れる。自分の人生を、自分の手に戻す。
私はおばさんになって、それを始めました。若い頃にできなかったことを、今の私がしています。だから、遅いとは思いません。
若さだけが、女の価値ではない。結婚や出産だけが、人生の成功でもない。あなたの人生を値踏みする声に、愛想よく笑わなくていい。
「私は私を生きる」
そう決めて、そちらに背を向ければいいのです。
人生の主役を降りるには、まだ早すぎます。というより、何歳になっても、降りる必要などありません。
さあ、今日、あなたはどの一歩を選びますか。
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