「そんなことしたら〇〇さん、会社来なくなりますよ」——それが正解でした。---勤怠管理導入で問題社員が自然消滅した話
※ 本記事は実際の経験をベースに、個人・企業が特定されないよう業種・規模・固有名詞を匿名化して執筆しています。
はじめに
「そんなことしたら〇〇さん、会社来なくなりますよ」
ある社員がそう言った。スプレッドシートで出退勤を管理しようとした、ただそれだけのことに対して。
結果として、その言葉は正しかった。〇〇さんは来なくなった。他にも何人か来なくなった。会社はその後、驚くほど静かになった。
これは、中小企業で「勤怠管理」という当たり前のことをしただけで、長年の問題が一気に解決した話だ。そして最後には、思わぬ後日談まで届いた。
1. 就業規則がない会社の現実
少し前まで、私が関わっていた会社には就業規則がなかった。
社長が以前、社労士に勧められて作りかけたことがあったらしい。でも途中で止まり、そのまま何年も放置されていた。尻切れとんぼのドラフトが存在するだけで、実態として機能しているものは何もなかった。
断言できる。後に自分がそのドラフトをまとめ直し、社労士と詰めて正式に整備したのだから。
問題はそれだけではなかった。雇用形態は日給月給制だった。
日給月給制というのは、月給をベースにしながら欠勤や遅刻があれば控除できる制度だ。つまり「休んだら給与が減る」が前提のはずなのに、この会社では休みの記録をしていなかった。
遅刻しても、記録がない。
欠勤しても、記録がない。
給与は毎月同じ金額が振り込まれる。
これは制度として完全に破綻していた。日給月給制を採用している意味がまるでない。遅刻・欠勤し放題で給与が変わらないなら、する人間は際限なくやる。当たり前だ。
さらに致命的だったのは、問題が起きても処分できないという点だった。
就業規則がなければ、懲戒処分の根拠がない。「遅刻が多い」と注意することはできても、それ以上の対応が取れない。注意する→また遅刻する→また注意する、の無限ループだ。
経営側も分かってはいた。でも動けなかった。就業規則という「武器」がないまま、問題社員と向き合い続けていたのだ。出勤簿や賃金台帳といった法定帳簿も、お世辞にも整備されているとは言えない状態だった。
2. 問題社員の生態
こういう環境では、特定のタイプの人間が生き残る。
遅刻が常態化している社員がいた。10時出社のところを11時に来る。11時半に来ることもある。連絡なしで来ないこともある。そういう日が週に何度もある。
周囲はどうしていたか。最初のうちは不満を口にしていた。でも何も変わらないと分かると、やがて諦める。「あの人はそういう人だから」という空気が職場に漂い始める。
これが一番まずい。
真面目に来ている社員が「なんで私だけ毎日定時に来ているんだろう」と思い始めたとき、組織は少しずつ壊れていく。問題社員の問題は、その人だけに留まらない。周囲の意欲を静かに削っていく点にある。
経営者は頭を抱えていた。注意はする。でも変わらない。強く言えば辞めるかもしれない、でもこのままでもじわじわと職場が腐っていく。どちらに転んでも困る、という詰み状態だ。
そのまま何年も過ぎていた。
この状況には、もう一つ背景があった。
勤怠管理や有給管理の整備に消極的な幹部層が存在したのだ。
管理の仕組みがない状態は、管理する側にとっても楽だ。「今までこれで回ってきた」「細かく管理しなくても問題ない」という声は根強かった。
ただ、従業員を雇用する以上、勤怠や有給を適切に管理するのは会社の責任だ。管理すること自体が目的ではない。
公平なルールを作り、運用することが目的だ。
その認識が少しずつ共有され始め、社長から「ちゃんと管理しよう」という話が出た。
3. きっかけはスプレッドシート一枚
大袈裟な話ではない。
やったことはシンプルだ。出勤したか、休んだか、遅刻したか——それをスプレッドシートに記録して、社内の誰でも見られるようにした。それだけだ。クラウドの勤怠管理システムを入れようとか、タイムレコーダーを導入しようとか、そういう話ではない。ただ記録して、見えるようにした。
その話をした瞬間、ある社員がこう言った。
「そんなことしたら、〇〇さん会社来なくなりますよ」
この一言が、全てを表していた。
〇〇さんが毎日遅刻しているのを、全員が知っていた。でもそれが「なかったこと」になっていた。記録されない事実は、存在しないも同然だった。
スプレッドシートで記録を始めることは、その「なかったこと」を「あること」にする行為だ。問題社員はそれを本能的に察知していた。だから反応した。
「それでいい、やろう」。判断は一瞬だった。
あわせて、出勤日数・欠勤日数・遅刻回数を給与明細に記載するようにした。毎月、数字として本人に渡る。「見えるようにした」というのは、社内だけでなく本人にも、だった。
4. 管理を始めたら何が起きたか
記録を始めた最初の週、数字は衝撃的だった。
「感覚ではなんとなく遅刻が多い」と思っていたものが、数字になると全く違う景色に見える。月の半分近くに遅刻や欠勤の記録がついている社員がいた。日給月給制で、これだけの欠勤があれば控除額は相当な額になるはずだった。でも今まで一切控除されていなかった。
問題社員の反応はパターンがあった。
第一段階:言い訳
「電車が遅れた」「体調が悪かった」「家の事情があった」。最初は理由を説明しようとする。でも記録がある以上、言い訳の効力は薄い。
第二段階:反発
「なんでそんなことを記録するんですか」「監視されているみたいで嫌だ」。管理されること自体への拒否反応が出る。真面目に働いている社員には一切そういう反応はない。反発する人間が誰かは、一目瞭然だった。
第三段階:消滅
静かに来なくなった。
一人は「体調が悪いので退職します」と直接申し出てきた。それはまだ分かりやすい。問題は他の面々だ。
ある日突然、医者の診断書が届いて休職に入る。しばらくすると退職届が郵送で送られてくる。
休職中に傷病手当金を申請していた者もいた。そのパターンが何人かいた。
経営側は何もしていない。怒鳴ったわけでも、降格させたわけでも、解雇したわけでもない。
ただ、それまで曖昧だったものを記録し、見えるようにしただけだった。
ただし、これらの退職や休職の手続きが短期間に重なり、労務対応には想像以上の時間と労力を要した。
労務対応は思っている以上に専門性が高い。社労士や弁護士と連携しながら進めたが、もし専門家の支援がなければ対応に苦慮した場面もあった。
この経験を通じて強く感じたのは、「問題が起きてから専門家を探す」のでは遅いということだ。
就業規則や勤怠管理の整備と同様に、相談できる専門家との関係づくりもまた重要な経営基盤だと思う。
5. 職場に起きた変化
問題社員が去った後の職場は、静かに変わった。
一番変わったのは、真面目に働いていた社員の空気だった。
「なんで私だけ毎日ちゃんと来ているんだろう」という、言葉にならない不満がいつの間にか消えていた。
ちゃんとやっている人間が、ちゃんとやっている人間として扱われるようになった。
当たり前のことが、当たり前になっただけだ。でもそれがどれほど大事なことか。
管理する側の精神的コストも大きく下がった。毎朝「今日は何時に来るんだろう」と気にしながら仕事をすることがなくなった。問題社員への対応策を考える時間がなくなった。
面白いことに、これまで少し遅刻する程度だった普通の社員も、自然と遅刻しなくなった。怒られたわけでも注意されたわけでもない。遅刻回数が給与明細に載るようになっただけだ。
見えるようにするだけで、人は自然と行動を変える。
パートの社員に有給休暇の付与を案内したとき、「パートでも有給休暇ってあるんですね」と言われた。当たり前のことが、当たり前として機能していなかった。それが整備されただけで、こういう反応が返ってくる。
そして退職者が落ち着いた後、売上に変化はなかった。むしろ辞めていった分の人件費が減った分、利益は改善した。いなくても何も困らなかった。それが全てを物語っている。
6. 後日談
後から振り返ると、勤怠管理が問題を解決したのではない。問題を可視化したことで、組織が自ら正常化したのだ。
変わったのは、「曖昧だったものが数字として見えるようになった」ことだ。
遅刻や欠勤が多い人だけではない。真面目に働いている人の姿も同じように見えるようになった。
組織には、ルールがない方が居心地の良い人もいる。一方で、ルールが整備されている方が安心して働ける人もいる。
勤怠管理を始めたことで、その違いが表面化しただけだった。
実際、管理を始めたからといって、全員が反発したわけではない。
むしろ大半の社員は自然に受け入れた。
反発したのは、それまで曖昧さの中で成立していた働き方を続けたい人たちだった。
結果として、組織に残った人たちは「決められたルールの中で働くこと」に違和感を持たない人たちだった。
組織運営という観点では、それが最も大きな変化だったと思う。
しばらくして、偶然SNSで近況を目にした。
そこには、退職した社員同士の結婚報告が投稿されていた。
最初にこう言っていたあの社員も、その中にいた。
「そんなことしたら〇〇さん来なくなりますよ」
7. 本当の問題と、次の課題
勤怠管理を始めたことで、長年放置されていた問題は表面化した。
結果として組織の空気は変わり、職場は以前よりずっと健全になった。
しかし、振り返ってみると、勤怠管理そのものが本質だったわけではない。
むしろ、そこで終わりではなかった。
勤怠管理を整備すると、今度は有給休暇をどう管理するかという問題に行き当たった。
欠勤や遅刻を記録する以上、有給休暇を曖昧なままにしておくわけにはいかない。
ところが、有給管理を整備しようとすると、さらに別の問題が見えてくる。
就業規則だ。
有給管理をきちんと運用しようとすると、就業規則が存在しないことの影響が次々に見えてきた。
有給休暇には「入社から6ヶ月後に10日付与」というルールがある。入社日が全員バラバラの中小企業では、これが意外と厄介だった。全員の入社日を把握して個別に管理しないといけない。
有給休暇の一斉付与という方法がある。全員の付与日を統一する方法だ。これができれば管理が圧倒的に楽になる。
でもそれには就業規則に明記する必要がある。就業規則がなければ、一斉付与の根拠がない。
もし経営側が「問題社員を処分したい」と思っていたとしても、就業規則がなければ懲戒の根拠がない。
記録があっても、「だから何?」という話になりかねない。
今回はたまたま自然消滅という形で解決したが、もし相手が開き直って居座り続けたら、どうなっていたか分からない。
実際には、勤怠管理と有給管理を同時に整備した。
これまで有給管理してなかった分は勤続年数をベースに付与日数を計算し直し、本来の入社日起算より不利にならないよう調整した。
法律の最低基準を下回らない形で社員側に配慮した設計にして当面はしのぐことにした。
その過程で気づいた。
勤怠管理を整えたら、有給管理の問題が見えた。
有給管理を整えようとしたら、就業規則の問題が見えた。
一つ解決すると、次の課題が現れる。
中小企業の労務管理とは、そういうものなのかもしれない。
次回は、就業規則を「作る」のではなく、「使える状態にする」までの話を書く。
就業規則がない会社でどう整備を進めたか、何を優先したか、どんな落とし穴があったか。実体験ベースで書いていく。
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