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「っぽさ」

子どもらしく。
男性らしく。
女性らしく。
文学にはそういった表現方法がある。
テキストベースですべてを表現するための、ユニバーサルデザイン的なものが。
これでもかというほどの「っぽさ」を台詞回しに組み込んでいくこと、それは今ではハラスメントと言われてしまうような押しつけであるが、文学ではそれが気持ちいいのである。

文学の時代から、映像文化への進化を遂げ、その「っぽさ」ってのは昔のTVCMで多用されていたように思う。
結構ドロッドロの「っぽさ」をふんだんに盛り込まれている表現方法は、実は見ていて結構気持ちがいい。
コカ・コーラのCM。

「っぽさ」満点である。
僕はこの時代の陽キャの世界を全く知らないが、なんとなく「っぽい」。
楽しそうである。
映像作品に関してはこの「っぽさ」がどんどんなくなっている気がする。
「映え」と「っぽさ」の戦いに、「映え」が勝利し、「っぽさ」とは違うなにかが浸潤している。
感情をさておき、人間の本能的に目を引くなにかに一生懸命だ。
CMとか「綺麗なんだけど、つまんないね」って言いたいのをぐっとこらえて、ハラスメントにならぬよう、記憶から消去を試みている。

僕が中年に差し掛かったのもあるが、今はこの「っぽさ」を求めている。
懐古厨なのかもしれない。
未だ文学作品には、参入障壁と、読書層の嗜好により「っぽさ」が割と残されているのがありがたい。
特に児童文学はとても「っぽい」。
「子どもはこうあるべき」ではなく、「子どもが夢中になって読んでしまう」表現方法としての優しさとしての「っぽさ」がいいのである。
これは押し付けではなく、『喜んでほしいのです』という願いのスタイルなのだなあ。
似ているようで少し違うのです。

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