伏義と女媧は人類の始祖

伏義が八卦の図を描くヒントになったのは河の中から現れた龍馬の背中にあった縞模様からだと易学では伝えられています。これを「河図(かと)」と言います。「河図洛書(かとらくしょ)」と言えば、中国における伝統的な瑞祥である河図と洛書の総称で、「河図」は伏義の伝説にちなみ、「洛書」は夏王朝の始祖の禹にちなみます。禹が洪水を治めた時に洛水から現れた神亀の背中にあったという文様を言います。洛水は洛河の古名で、洛河は陝西省洛南県に源があり、東流して河南省で黄河に合流する420kmの河川。中国中部の歴史上重要な地域を流れているために中国では非常に有名な河川です。伏義は八卦の図を描いたことから、易学の書である『易経』も伏義の手になるものとされます。
伏義には洪水伝説があります。伏義と女媧は兄妹であり、大洪水が起きた時に二人だけが生き延び、それが人類の祖となったという話で、この話は中国には広く残されています。こうした話は中国以外にもありますが、中国の古典学者の聞一多(ぶんいった、1899~1946)氏は雲南省を中心に民間伝承における伏義の伝説を採集しており、それによると、伏義▪︎女媧の父が雷公を閉じ込めていたが、子供たちがそれを解放してしまい、父は雷公と戦いますが、雷公が洪水を起こしたために兄妹を残して人類は滅亡してしまいます。兄妹は雷公を助けた時にもらった種を植えており、そこから生えた巨大なヒョウタンの中に避難して助かり、二人は結婚して子孫を残したということになっています。聞一多氏によると、伏義とはこの伝説の中に舟として登場するヒョウタンを指しており、そのことから「木徳」の王であるという要素も導き出されたのではないかと推論しています。
伏義は、女媧と同じく中国少数民族の苗族が信奉した神と推測されており、洪水神話とは天災によって氏族の多数が極端に減少してしまった出来事を神話に反映したのではないかと考えられています。苗(ミャオ)族とは自称ではなく、漢民族が付けたもの。同系統の言語を話す人々はタイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住んでいます。
伏義は道教に取り込まれたのち、仏教の神仏習合の理論の上では、阿弥陀如来によって遣わされ、女媧とともに出現したばかりの地上世界を造った存在とされています。日本でも仏教側の立場から編纂された神道論集の一つである『諸神本懐集』(14世紀)では伏義の本地は宝応声菩薩(観世音菩薩▪︎日天子)であるとの唐の時代の説が収録されています。伏義と女媧の組み合わせが地上の最初の男女であるという定義は中国の民間伝承にも広く用いられており、仏教側においてもこれが共通の認識であったということになります。『諸神本懐集(しょじんほんかいしゅう)』は二巻。元亨4年(1324)本願寺第三世覚如の長子の存覚が空性房了源の求めに応じて、その頃一般に流布していた同名の書物に添削を施したもので、本地垂迹説による神祇観を述べたもの。


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