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Anna C. Hartshomeとは

この中に登場する Anna C. Hartshorne(アナ・C・ハーツホン)は、日本の女子高等教育、特に津田塾大学の発展に生涯を捧げたアメリカ人の女性教育家・著述家です。新渡戸稲造の親しい友人であり、本書の執筆に際して多くの有益な助言を与えただけでなく、初版の表紙デザイン(装幀)を手がけた人物でもあります。
彼女の主な経歴や人物像は以下の通りです。

基本情報と来歴

  • クエーカー教徒の家系: アメリカ・フィラデルフィアの著名なクエーカー教徒(キリスト教プロテスタントの一派)の医師ヘンリー・ハーツホンの娘として生まれました。

  • 津田梅子との出会い: 1885年にアメリカのブリンマー大学で、留学中だった津田梅子と出会い、生涯の親友となりました。

  • 来日と教育活動: 1890年代に父親とともに来日し、普連土女学校(現・普連土学園)で英語教師を務めました。

『武士道』への貢献

  • 執筆のサポート: 新渡戸稲造がアメリカ・ペンシルベニア州での療養中に『武士道』を執筆した際、原稿に対して多くの貴重なアドバイス(valuable suggestions)を与えました。

  • 表紙のデザイン: 美術の才能もあった彼女は、初版の表紙に「昇る朝陽と桜の花」をあしらった日本風のデザインを施しました。

津田塾大学(女子英学塾)の創設と再建

  • 学校の創立: 1900年、津田梅子が「女子英学塾(のちの津田塾大学)」を創設する際、米国での資金調達や学校の立ち上げを全面的に支えました。

  • 無報酬での奉職: 創立後から1940年までの約40年間にわたり、同校で英語講師として無報酬(ボランティア)で教鞭を執り続けました。 []

  • 関東大震災からの再建: 1923年の関東大震災で校舎が全焼した際、彼女は単身アメリカへ渡り、全米を巡って多額の復興寄付金を集め、キャンパスの再建に決定的な貢献を果たしました。

1940年に一時帰国したのち太平洋戦争が勃発したため日本に戻ることは叶いませんでしたが、1957年に97歳で亡くなるまで日本の教え子たちを想い続けた、日本の女子教育における最大の恩人の一人です。

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橋本 このたびはご評価をいただきありがとございます。また、チップまで下さるとは私にとって大変な喜びです。さらに英文訓読の役を進め、アップさせていきたいと思います。