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人間一人一言語、か? 皆さんの疑問

本書の冒頭で「人間一人一言語」と述べたが、次のように考える読者がおられるかもしれない。
 日本に住んでいても親のどちらかが外国人の子供は実に流暢に日本語と外国語を話しているではないか。また、ヨーロッパの方では3ヶ国語くらい話せる人も稀ではないという、と。

 小生がアメリカに留学していた時にその地域の日本人会でよく集まったが、あちらに定住している人の子供。我々とも実に自然な日本語で話をするし、親とも日本語で普通に話している。学校ではもちろん英語で話をしている。よくみていると、兄弟間では英語で話をしている人もいた。これは大したものなのだろうか。
 そのような環境で育った高校生くらいの大きな子もいた。
 そのような人と例えば「経済」について話してみたことがある。

すると意外なことにたどたどしい。普通の会話なら流暢なのだが「経済」となるとたどたどしい。もちろん小生は高度な論調を聞きたいわけではなかったのだが。
 「経済」economics ね。と完璧な発音で言い換えたが後が全く続かない。
 私がその時に思ったのはその子はきっと英語であればある程度  “economics”  について自分なりの考えを述べられたであろう。きっと、英語で考えることは出来るのだ。いや、ちょっと難しいことは英語で考えているのである。つまり家庭内のある程度決まりきった会話なら日本でも可能なのだが、ちょっと難しい概念は英語で考えているのである。英語で考え英語で話しているのだろう。英語で考え日本語で表現することをは通常行ってはいないのだ。この意味で、人間は一人一言語であると申し上げたのである。更に述べると、我々の目指すところは英語で書かれたこの様な難しい概念を日本語で理解したりそれを英語で伝えたりすること。武士道はその難しい最たるものであろう。



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橋本 このたびはご評価をいただきありがとございます。また、チップまで下さるとは私にとって大変な喜びです。さらに英文訓読の役を進め、アップさせていきたいと思います。