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武士道 第14章 #36 ペルシア王子ナセル・シャーのロンドンでの舞踏会でのエピソード

#36  I sympathise with the Persian Prince, who, when taken into a ballroom in London and  asked to take part in the merriment ,  bluntly remarked that in his country they provided a particular set of girls  to do that kind of business for them .

私の訳:ペルシヤ王子がロンドンにて舞踏会に案内されて、舞踏に加わることを勧められた時、彼の国ではこの種の仕事をするために特別の女子の一団を準備していると、ブッキラ棒に答えたと言うが、私は王に同情する。


新渡戸稲造の『武士道』第14章に登場する、舞踏会でのペルシャ王子(シャー)のエピソードです。
文脈(Context)
この話は、日本人が西洋のパーティーにおいて、男性が自らダンスを踊ることに戸惑いを感じた(あるいは女性に踊らせるべきだという文化的背景があった)ことを説明するための例えとして引用されています。武士道の騎士道精神的な視点からは、高貴な人々が直接踊るよりも、それを観賞する立場にあるという文化的な対比を描いています

主要単語・表現

  • Sympathise with: ~に同情する、共感する

  • Take part in: ~に参加する、加わる

  • Merriment: 歓楽、浮かれ騒ぎ、にぎやかな宴

  • Bluntly: ぶっきらぼうに、単刀直入に

  • Remark: (意見などを)述べる、口にする

  • A particular set of girls: 特定の(専門の)娘たち

  • Do that kind of business: そういった種類の事柄(ここではダンスや客の接待など)を行う


時代背景と新渡戸の意図

新渡戸はこのペルシャ王子の逸話を引き合いに出すことで、「当時の西洋の社交(ダンス)」と「日本の伝統的な女性のたしなみ」の違いを説明しようとしました。

  1. 「見せるための芸」への違和感
    19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ロンドンの社交界では男女が共に踊る「舞踏会(Ballroom)」が社交の基本でした。しかし、ペルシャ(イラン)や当時の日本を含む東洋の価値観では、身分の高い人間が人前で体を動かして踊ることは品位を欠く行為とされていました。王子にとってダンスは「専門の職業人(踊り子など)に代金を払ってやらせる見世物」だったのです。

  2. 日本女性の「嗜み(たしなみ)」の定義
    新渡戸は、日本女性が琴を弾いたり詩を詠んだりするのは、舞踏会で自分を「誇示する(Show)」ためや「社会的な優位(Social ascendancy)」を得るためのものではないと主張しました。

    • それらはあくまで「家庭内の慰み(Home diversion)」であり。

    • 客人を迎える際の「主婦としてのホスピタリティ(おもてなし)」の一環である。

  1. 武士道的価値観の提示
    新渡戸は、西洋から見れば「女性の地位が低い」と思われがちだった当時の日本において、女性の教育は「家庭(Hearth)」を精神的な中心として守るためのものであり、その自己犠牲や献身こそが武士道精神に基づいた気高いものであると擁護しています。 

この一節は、単なる異文化の笑い話ではなく、新渡戸が「日本独自の美徳」を西洋の読者に理解させるためのレトリックとして使われたものです。

ワンポイント
この文章は、イギリスの作家サマセット・モームの『サミング・アップ』などのエッセイで見られる一節です。「自分たちで踊る(労力を使う)のではなく、プロに任せるのが高貴な者の振る舞いだ」という異文化間の価値観のギャップを皮肉を込めて描いています。

この逸話の主役とされるのは、19世紀のイラン(当時のペルシア)を治めたガージャール朝の第4代国王、ナーセロッディーン・シャー(在位:1848年 - 1896年)です。 
彼は歴代のペルシア君主として初めて公式にヨーロッパを訪問した人物であり、1873年の訪英時にはロンドンで熱烈な歓迎を受けました。ご質問の逸話は、この訪欧時に起きた文化的な衝突(カルチャーショック)を象徴する有名なエピソードとして知られています。 

逸話の背景と詳細

  • ダンスへの違和感: 当時のペルシアは、男女の社交が厳格に分けられた社会でした。そのため、シャーはロンドンの舞踏会で貴族や紳士淑女が自ら手を取り合って踊る姿を見て、非常に驚いたと言われています。

  • 王の言葉: 彼にとって、踊りや芸は「身分の低い専門の者が、高貴な人々に見せるために行うもの」という認識でした。そのため、自ら汗をかいて踊るイギリス貴族たちを見て、「なぜこれほど裕福な人々が、自分たちで踊るというような『苦労』をするのか。ペルシアでは金を出して他人にやらせるのに」といった趣旨の発言を残したとされています。

  • 西洋への眼差し: シャーは西洋の技術や写真術、軍事力には強い関心を持ちましたが、同時に、女性が肩や胸を露出したドレスを着て男性と踊る西洋の社交習慣には、当惑や嫌悪感(あるいは裏返しの好奇心)を抱いていたことが自身の旅行記(Safarnama)にも記されています。 

ナーセロッディーン・シャーについて

  • 近代化と芸術: 彼はイラン初の西洋式高等教育機関であるダール・アル=フヌーンの設立を支持し、また自身も熱心な写真家として多くの宮廷写真を残すなど、近代文化の導入に努めました。

  • 暗殺: 長きにわたる治世の末、1896年にテヘラン近郊の聖廟で暗殺されました。 

このエピソードは、単なる笑い話としてだけでなく、19世紀における「東洋の君主」と「西洋の近代社交」の間にあった深い価値観の断絶を示す例として、サマセット・モームなどの文筆家によってしばしば引用されています。

ナーセロッディーン・シャー





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橋本 このたびはご評価をいただきありがとございます。また、チップまで下さるとは私にとって大変な喜びです。さらに英文訓読の役を進め、アップさせていきたいと思います。