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5.レイモンさんとライオン夫婦    (函館公園・動物園)

 函館市元町に地元に愛されたお店がある「函館カールレイモン」創業大正14年ハム・ソーセージの製造・販売をしている。
 創業当初は、日本人にハムとソーセージを食べる習慣がなく、苦しい経営状態が続いたが、昭和2年(1927)ドイツ海軍巡洋艦エムデン号が函館港に寄稿して大量の発注で資金くりができた。しかし、函館でソーセージが売れるまでに3年という歳月が必要だった。
 昭和4年 店を函館市内に移転
 昭和5年 五稜郭工場が完成
 昭和8年 大野村(現・北斗市)に工場が完成し、五稜郭工場から移転、経営は順調であった。
 その頃、上野動物園では、エチオピア皇帝から寄贈されたライオン夫婦に、昭和8年5月7日生まれの3つ子が産まれたのである。
 武(オス)、勇(オス)、花子(メス)(※1)
 レイモンさんは動物好きであった。その知らせを聞いた彼は、上野動物園を訪ねて、古賀忠道園長に懇願したのではないかと思われる。動物好きと言ってもライオンを飼いたいと言われた時に、古賀園長もさぞかしビックリしたでしょう。

武(オス)、勇(オス)、花子(メス)
(私の見た動物の生活より 三省堂)

 ただ、レイモンさんのやさしい人柄と懐の大きさ、ハム・ソーセージ工場経営なので食べ物には困らないと古賀は判断し、レイモンさんの元へと送ったと考えられる。
 同年の新聞に、ライオン2頭が掲載されてた。武もしくは勇のどちらかと花子がレイモンさんのところへ、この時期にはすでにきていたことになる。(※2)
 レイモンさんは、新たにライオンの名前を変えました。オス「ネロ」、メス「マウツイ」
 工場には、ミニ動物園が出来ていて一般開放されていた。
 動物園には、ライオン2頭、ヒグマ2頭、サル7匹、タカ1羽、ワシ?匹、イヌ14匹、ネコ7匹が飼育されていた。特にライオンやヒグマを見る機会がないこともあって、人づての評判となり、地元および函館市内の小中学校の遠足にやってきた。動物園と広い牧場が名所となった。(※3)
 昭和11年6月19日 北海道の北見枝幸(オホーツク海側)に皆既日食起こった。工場も皆既日食に近い部分日食が見られた。レイモンさんと新聞記者が、日食による動物たちの行動を見ようとなった。
 午後3時、徐々に太陽が欠けてきた。気温がぐんぐん下がり、夕方のような薄暗いなった。
 その時、檻にいたサルが数匹、狂ったように騒ぎ出した。悲鳴をあげて飛び回り、不安な表情で金網も破れるかと思うほどゆすぶり、そして太陽を睨む。キャッキャッと何かレイモンさんに訴える。そのうちリーダーが泣き叫んだかと思うと全部のサルが洞窟の中に飛び込んで出てこなかった。
 レイモンさんは、面白い面白いと大喜びであった。
 ワシもタカも大きな羽をバタバタと広げ泣き叫ぶ。
 気温がもっと下がり星が見えてきた。
 それまで、怯える様子のなかったヒグマの夫婦は、ものすごい唸り声をあげ、立ち上がって、檻を破って逃げ出そうなくらい騒ぎ出した。蝕まれた太陽を睨みつけていたが、こそこそと洞窟の中に入っていった。
 ライオンは百獣の王らしく見苦しい様な慌て方は見せなかった。最初からじっと太陽を睨みつけていた。
 レイモンさんもこれは立派だ、落ち着いたものだと感心していた。
 遂にライオンもこの天災に甚えきれなかったのか、突如、天地を揺るがすほどの大きな声で一声吠えて、恨めしそうなに後ろを向いて太陽を睨みながら、他の動物のようにいそいで窟に隠れるのではなく悠々として隠れたのである。
 動物の普段は見れない習性を見れ、記録として残ったことは大きな成果であった。(※4)

 日中戦争が始まった後、昭和13年に道庁長官が酪農の開発に本腰を入れ政府から助成金を得た。それで、道酪農販売組合連合会(ラクレン)の黒沢会長がレイモンさんに会って、畜産技術の監督を依頼に来ました。道庁は、満州での畜産技術の成功例を北海道実現させたいと思ったのでしょう。満州の畜産技術に時間を費やして、自社工場でいっぱいだったので断ったのである。
 しばらくして、道庁から呼び出されました。
 「日本人にはあなたと競争する力はない。これからは、畜産加工は日本人の手でやる。西洋人の助けはいらない。今後北海道はでの仕事を一切禁ずる」(※5)
 そして、鼻先に強制買収の契約書を突き付けられたのでした。そこには、レイモンの工場を酪連が買収すると書いてありました。そして、断れば今後のことは保証しない。脅迫でした。(※6)

 レイモンさんは、動物たちを函館公園にある簡易的な動物園に寄贈することになった。函館市もそれに対して予算をつけて、新たにライオンとヒグマの檻を作った。
 ただ、2頭のライオンが函館公園に引っ越しをするときには2頭の子供がいたはずが何も書かれていないので、たぶん、有田サーカスが生まれる前から引き取りたいと申し出ていたので、そちらに渡ったのかもしれない。(※7)
 昭和13年9月18日にレイモンさんの工場から函館公園の新しい檻に入ったのである。
 20日、函館日日新聞に
 「ライオン夫婦の名前を募集します」
 新しく名前を募集したのである。応募資格が男女小学生、幼稚園児、一等10円(2名)、2等5円(2名)、3等3円(2名)、同一名多数の場合は抽選にする。(※8) 
 9月29日と30日函館日日新聞に
 「ライオン名付懸賞 締切愈々迫る」
と力の入れ様であった。
 10月3日に審査の結果 
 オスは「猛夫」
 メスは「レイ子」
が選ばれた。猛夫は同名が2名、レイ子は14名で抽選で2名が賞金を手に入れた。
 選ばれた理由として、猛々しく敵に向かう意味で「猛夫」、女子は、礼節・貞節を守り家庭を守りるという意味で「レイ子」になった。
 戦時体制を感じさせる命名であった。これは函館に限ったことではない、大阪もチンパンジーオス「ロイド」→「勝太」、京都のインドゾウ・メス「カリヤニー号」→「共栄号」、キリン「ワンジロー」→「皇国号」と言う名前に変えたのである。
 10月23日に盛大に命名式を行いました。

 動物たちにとって平和な日々が続き、昭和14年8月4日、レイ子が双子を産んだ。猿の出産が失敗に終わった事があり、飼育員は喜んだのである。(※9)
 戦争が進むにつれ、レイモンさん一家に暗雲が漂うになった。
 「スパイ、スパイ」と外国人という見た目だけで、その様に言われ続けられた。包丁を持った人にも追いかけれたこともある。
 レイモンさんの婦人は、殺されるかもしれないと毎日怯える日が続いたと言う。(※10)

 昭和17年3月20日
 ライオンのメス、レイ子が栄養失調で亡くなったのである。(※11)
 生前、レイモンさんは、「馬肉をなんかを食べさせないといけない」と言っていたが、満足なエサが与えられずに亡くなったのである。
 当時、水産都市でもあったことで、他の都市よりも景気がよかったと言われる。魚や馬肉の臓物などもあったはずであるが、それが一切されていなかったのである。
 昭和18年9月上野動物園の処分が発表されると、数日もしないうちにライオンとクマが処分対象となり処分された。
 何故、これほどエサも満足に与えられず、東京よりも遠い場所にあるにも関わらず、こんなに早く処分が決まったのか?
 函館の置かれていた状態で察するしかない。函館は軍事都市で、日魯漁業により何かあれば、海軍に守られていた。当時の市長は、日魯漁業に関わっているので、軍に気を遣って処分されたのではないかと言われている。
 終戦後、レイモンさんは、強制買収に取られた大野工場を返してもらう裁判を起こしたが、結局は敗訴となった。
 「日本は戦争に負けたが、わたしは日本に負けた。せっかく平和になり自由になれたというのに、わたしには何も返ってこないのですか」(※12)心は深く沈んだ。ハム・ソーセージ作りの権利だけは取り返すことはできたのであった。
 それは、レイモンさんの好きだった動物たちも栄養失調や処分で亡くなった思いも一緒に込めていたと思う。

 レイモンさんの努力によって、ハム・ソーセージは函館市民に愛され今に至りました。
 昭和62年(1987)12月1日 午後7時31分、レイモンさんは永遠の眠りにつきました。ライオン夫婦と共に天国へ・・・(※13)

※1 「上野動物園百年史資料編」東京都 466頁 にて、1932年8月に産まれた「富士」と「桜」は宝塚と台湾に行ったと、古賀忠道が証言(動物は見ている 古賀忠道著 21頁 参照)、1933年8月に3つ子誕生、その次に産まれたのが1935年、レイモンさんの工場に1933年にはライオンがいたので、3つ子の2頭がレイモンさんのところと判断、「私の見た 動物の生活」古賀忠道著1940年 143-147頁 にて、3つ子の様子を掲載
※2 函館新聞 昭和8年9月5日付け 参考
※3 「大きな手大きな愛〝胃袋の宣教師〟函館カール・レイモン物語」川島康雄著 71-73頁 参考
※4 「海峡第45号」昭和33年9月 海峡評論社 雑誌内の「ライオンの事ども」常野知哉 26-27頁 参考  
※5 「レイモンさんのハムはボヘミアの味」シュミット村木眞寿美著 182頁5-6行 引用
※6 「レイモンさんのハムはボヘミアの味」シュミット村木眞寿美著 181-183頁 参考 
※7 「ライオンおめでた お腹の子へ 早くも買ひ手」函館タイムズ 昭和13年7月9日
※8 当時の10円は現在の価値にして約6千円 昭和2年(1927)の物価指数は1.099なので、令和元年(2019)の698.8、約636倍の差がある。昭和時代の1円は今でいう636円の価値が妥当である。
※9 「レイ子夫人安産 赤ちゃんは二頭です」函館日日新聞 昭和14年8月5日 
※10 「レイモンさんのハムはボヘミアの味」シュミット村木眞寿美著 189-194頁 参考 
※11 「函館市史 年表編」平成19年 函館市史編さん室 421頁 参考
※12 「大きな手大きな愛〝胃袋の宣教師〟函館カール・レイモン物語」川島康雄著 96頁10-11行 引用
※13 「レイモンさんのハムはボヘミアの味」シュミット村木眞寿美著 208頁 参考 

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