マニアックかあ・・・
後輩の井上は10個下だ。新聞記者としてはまだ5年目くらい。経済系の取材は初めてだったから、企業取材が長くキャップの僕が面倒を見ていた。ジェネレーションギャップはあるけれど、コロコロ笑い、愛嬌のある井上に惹かれていたのは事実だ。でもそれは今も昔も職場じゃ、いけないことだ。そもそも10個上のおじさんに興味はないだろう。仕事に徹して、ときどき心がドギマギする日々だった。
その日は珍しく、朝から井上が会社にいた。どうやら原稿を書くのに家やカフェじゃできなかったらしい。
「珍しいね。朝から会社なんて。また息詰まったら相談するんだぞ」
「はーい。わかりました〜」
ふざけてるのかもしれない。というか、バカにされてるんだろうなと思ったけれど、ここで怒っては子供じみている。正しく指示を出す。
「メモ用紙や原稿の裏に、書きたいこと、事実、その背景、どこに影響があるのかをしっかり頭で考えて書き出して並び替えてから書くんだぞ」
「わかってます。何度も教えられましたから」
それができていないから何度も言うんだ。言い返しても疲れるだけだから放っておく。行き詰まる前に、困って相談に来るはずだからだ。
井上は放っておいて自分の記事を書き始める。当時はまだニュースの取り合いの競争が地方都市ではあったから、ちっちゃな特ダネを仕込んでいた。自分もファクトを原稿が印刷され使わなくなった紙などの裏、裏紙に書き出していった。
「これくらい書き出してみたんですけど」
井上が想像より早く相談にやってきた。頑張っているけれど、詰めがまだ甘い。
「もう少し背景を考えてみな。なぜお客さんを集めなきゃいけないのか。他社や他業種との競争はどうかとかだな」
「やってみます」
おお、素直だ。嫌な顔はしない。地方都市でも増えてきたインバウンド向けの店舗がオープンする原稿に挑んでいた。だいぶ頭の中が整理されてきてるからそろそろ、記事を書き始めてもいい頃だ。
「それを書き出して整理したら、原稿を書き始めな」
「了解です」
言葉遣いも間違ってるがよしとする。仕事をしていれば、気になることはない。普通の後輩だ。自分の仕事を続けられる。
「あのー。いつも裏紙にいてくれるペンって、万年筆ですか?」
そう、高くないカートリッジ式のラミーの万年筆をブルーと赤で2本持っている。これは頭の整理や原稿指導用で、取材はモンブランのボールペンを使っていた。仕事道具はいいものを使いたいと思っているからだ。どれもお気に入りだ。気づいた井上に自慢してやろうと。
「そう、良くわかったね。これは」
「いえ、あのー。万年筆だけじゃなく、キーボードもノートパソコンなのに外付け使ってますよね」
そう、そこも気づいたか!。メカニカルスイッチの逸品を使っている。2万円以上するものだ。書くことに必要な道具は全ていいものを集めている。
「キーボード、カタカタ鳴ってますよね。結構、音するんですね」
あ、これはうるさいと言いたいのか。なんて言い訳しよう。いい物を揃えていると言っても無駄な気がしてきた。どれも世界に名がある逸品なのになあ。
「なんかいろいろこだわっているんですね。マニアックですよね」
マニアック!、確かにモノマニアかもしれないが。井上に言われると気になる。その言葉の裏に嘲笑のニュアンスでもあれば、僕の心的ダメージは大きい。
「いろいろその分野じゃ有名なものを集めてるんだよ。商売道具には拘りたいんだ」
「なるほど、やっぱりマニアックですね。オタクほどじゃないですかね」
オタク。これはもういろんなニュアンスを含む言葉だ。大概がいい意味じゃない。それに比べたらまだ、マニアックの方がいいか。どうなんだいったい。10個下の感覚はどうなんだ。直接聞けない。
「いいから、仕事しろ。またこの万年筆で赤入れしてやるよ」
「はーい」
威厳がない上司なのかもしれない。それでも、マニアックか。趣味がいいとかじゃなく、マニアックかあ。オタクじゃなくてよかったかあ。ああ、マニアックかあ。ちょっと仕事は休憩し、言葉を正しく辞書で調べてみることにした。気にするほどのことじゃないかもしれないけれど、気になる。マニアックかあ。
