見出し画像

人も作品も、出会うタイミング(ジェーン・スー著『これでもいいのだ』を読んで)

ジェーン・スーさんのエッセイが好きだ。20代の頃からつまみ読みしていた。
彼女の魅力は、「どんな人か説明するのが難しい」ところだと思う。
初めの頃はブレない芯を持つキャリアウーマンといった印象を持っていたのだが、いい意味でブレブレなところが好き。(失礼なことを言ってすみません。)

思い込みや決めつけのハラスメントについて、私はある程度自覚的に回避することができると思う。(中略)けれど、分不相応な権力を手にしたとき、私は自分が不遜にならないでいる自信がない。

ジェーン・スー『これでもいいのだ』「ハラスメントと権力」より

自分の中に複数の目がある人の書く文章だと思う。
「女性」「氷河期世代」「独身」「40代」と言ったキーワードから集まるファンも多い方だと思うけれど、決してその枠内で何かを書こうとしていない。
あくまで一人の人間の眼差しを通した世の中を、思いつく限りに分析する姿勢を敬愛している。
説教めいた語りになるのを嫌い、そうなりかけるとコラム中で修正するナチュラルさも好きだ。


20代の頃は、恥ずかしながら、ある種の「教養」的にスーさんの著作に触れていたように思う。
がむしゃらに仕事上のスキルアップや心と身体の限界に挑戦していた時期。一味違う視点で仕事や社会を語るスーさんの著作は、かえって「こんなんも持ってまっせ私」という一つの「引き出し」として、卑しくも自分の心にあったと思う。
つまり、あんまり自分のハートに「響いて」はいなかったという感じ。

仕事の絡みで、久しぶりに手に取り読み始めたのが『これでもいいのだ』。
なんということだ、あの頃と違って、完全に「響いて」しまった…!!

多分、既読のエッセイ(『貴様いつまで〜』『おつかれ、今日の私』など)と大きく何かが変わっている訳ではない。
私がスーさんの言葉を必要とするタイミングで、スーさんに出会え直せたんだ。

第1章「女友達は、唯一元本割れしない財産である」では結婚・離婚・出産などを経験しつつある友人などとの関わりで考えることが綴られている。これは明らかに32歳既婚子なし女の感心分野。

第2章「中年女子たちよ、人生の舵をとれ」で印象に残る「オール・フリー・チューズデー」の編。毎週火曜日はパートナーと互いに一切の干渉をしない(家事や食事も含め)という協定を結んでいるということで、結婚によって自他の境界が曖昧になることに悩みつつあった私には目から鱗だ。

第4章「大人だって傷付いている」この章は少し泣いた。「空腹のかたち」でなされた中年期の欲についての言語化には唸った。

若いころは、目と口を満足させるものが一発で分かった。(中略)食べればすぐに、目も口も胃も満足してくれた。
そこから、「目が食べたいものと、胃が受け付けるものが違う」のフェーズを経て、次にくるのが「目と口が食べたいものさえわからない」の段階。

横を見ると、私と同じく、舐めまわすようにアイスクリームを物色する小学生がいた。買えるのはひとつと決まっているのだろう。(中略)胃腸の心配をせずに済むであろう彼の方が、私よりずっと豊かに思えた。

ジェーン・スー『これでもいいのだ』「空腹のかたち」より

最終的にはお腹と口のかたちに合うアイスクリームにありつけて、「ハレルヤ!」と叫ぶスーさんのなんとチャーミングなことか。
この章だと「<大丈夫だよ>と言ってほしかった」も好き。電動自転車で転けてしまった時のびっくりと傷付きを、大人でも大丈夫と言って欲しい時があることに気づいたエピソード。この本ごとムギュッて抱きしめたくなる。抱きしめたいのはスーさんであり、これからの自分でもあるんだろうな。



非常に平和ボケしながら、これからの自分のライフプランや老後を思うと暗くなってしまう昨今。
しなやかな姿勢で世を見つめ人生を愛し、「これでもいい」と言ってくれるジェーン・スーさん。
今の私が一番会いたかった人に、本を通して再会できたことに、感謝しています。

いいなと思ったら応援しよう!